第12話 次の混迷は手を振って
目を開けて、日の光を浴びて、ツカサは深呼吸をした。
こんなにも一日が楽しみだったのはいつ以来だろうか。両親が共にいた頃はもちろん、母が神守となり、父とツカサの二人暮らしになってからも、たまにはこんな風に胸躍る一日があった。
それは釣りを教わった日であったり。
それは弓を初めて射た日であったり。
そして狩りに挑んだ日であった。
もしかして、とツカサは思った。父もこんな風に楽しみにしていたのだろうか。娘に何かを伝えようと、教えようとした日は、これほど心躍っていたのだろうか。ツカサには確かめる手段はない。でも、もしもシイナが昔のツカサと同じ目をしていたら、同じ楽しみを持っていたら。それはきっと一つの証明になるのだろう。
ツカサがシイナと約束をした狩りの時間は今日の真昼を過ぎた頃だ。朝の内にキリクの家へ行って手伝いをやり終えておかなければならない。もし手伝いが長引いたら、最悪の場合ツカサはキリクの親に頭を下げて仕事量を減らして貰わなければならないが、ここ数日の様子から見てそれはないだろうと踏んでいた。
そもそもやるように言いつけられる仕事の量が少ないのだ。以前はキリクの兄がツカサに気を使って、それとなく仕事量を減らしてくれたことはあったのだが。しかしここ数日はキリクの母親から申しつけられる分も減っていた。
ツカサが海神を殺したからか、それともカシナが姿を消したからなのか、それとも他に理由があるのかはツカサにはわからなかったが。
ともあれ、そんな理由でツカサはここ最近時間を持て余してもいたのだった。早く家に帰るとヒックがいた場合気まずい思いをするので、帰宅を遅くするために余所で手伝いをすることもあった。しかし今日ばかりはツカサにとって時間の余裕はとても喜ばしいものだった。
ツカサは朝食を済ませ、簡単に身支度を整えてキリクの家へと向かう。
「うわぁ」
ツカサの口から思わず声が漏れた。
浮かれ気分でキリクの家に行くツカサの前に、ツカサとは逆に死にそうな顔をしたヒイラギが現れた。同年代より遙かに大人びているとはいえツカサも少女である。くたびれた中年(知り合い)の姿は早朝から見るには堪えるものがあった。
「ヒイラギさん、どうしたの?」
「おはようツカサ。どうしたって、何のこと」
「なんの事と言うか、何事と言うか・・・ヒイラギさん酷い顔色よ」
「あぁ、そのことか。このところ少し立て込んでいてな。まあ、でも大丈夫だ」
「とても大丈夫そうには見えないわよ。家で休んでいた方がいいんじゃないかしら」
「そうしたいのは山々だけれど、家に居たらそれはそれで仕事が山ほど待っているからな。こうして外に出ていた方が楽と言えば楽なんだよ」
空元気で笑うヒイラギは、ツカサの目にはどう見ても限界そうだった。ヒイラギが、面倒見が良すぎて割を食う種類の人間であることをツカサは知っている。今回もまた加減せずに周囲に手を貸した結果なのだろう。
「だったら、私の家で休んでいったらどうかしら」
「あー・・・いいか?」
「ええ。私はキリクの家に手伝いへ行くけれど、自由に使って」
「悪いな」
そう言ってヒイラギはツカサの家へと歩いて行った。
ツカサはヒイラギと別れてすぐに、今日はまだヒックが家にいたことを思い出したが、まあいいだろうと判断した。先日の様子から考えると、そしてヒイラギの猫好きを考慮すると、ヒックにとっては好ましくない展開になるかもしれないが。それもツカサの知ったことではない。むしろヒイラギが疲れを癒すにはいい環境とも思えた。
キリクの家ではいつものようにキリクの母親がツカサを迎える。いつも通りでなかったのは、仕事の量だ。
ここ数日の仕事量から考えれば多い量だった。もっとも、これはツカサが海神を殺す前と同じ程度に戻ったともいえる。あくまでもここ数日と比べて多いというだけで、別段無茶な量というわけでもない。むしろ与えてもらえる食料と比してみれば、この仕事でも少ないくらいだ。
しかし、今日は、今日に限ってはツカサとしても条件が違った。動物の毛刈りに小屋の掃除、草摘みまでしていたら流石に昼は大きく過ぎるだろう。
「あの・・・。」
「なんだい。何かあるのかい」
「いえ、なんでもありません。すぐに仕事にかかりますね」
「ふん。当然だよ」
そう言ってキリクの母は家の中へと消えていった。
ツカサは喉まで出かかった言葉を押し込める。言えるわけがない。言って良いはずもない。ツカサはキリクの家に食料を恵んで貰っている立場だ。労働の対価とはいえ、そもそもキリクの家は人手が足りているのだから。無理矢理作ってもらった仕事に対して、量がを減らして貰いたいなどとは口が裂けても言うべきではない。ツカサにできることは、ただシイナとの約束に間に合うように少しでも早く手を動かすだけだった。
そうして結局、ツカサが仕事を終えたのは太陽が真上からそれなりに角度を落としてからだった。奮戦むなしく、約束の時を大きく過ぎてしまっていた。しや、奮戦したからこそこの時間に終わらせられたともいえなくもないが、ツカサとしてはとてもしくじったという気持ちで一杯だった。せめてもう少し余裕を持って約束を決めておけばよかった。
一日の対価としてはやはり余る量の食料を受け取り、ツカサは家へとひた走る。シイナとの狩りはツカサの済む丘の裏手にある森で行う予定だったので、シイナはツカサの家の前でで待っているはずなのだ。
途中嫌に顔を晴れやかにしたヒイラギとすれ違ったが、ツカサは軽く挨拶だけして家へと急いだ。
「はぁ、はぁ・・・いないわね」
息を切らしながら家についたツカサであったが、しかしシイナの姿はどこにもなかった。約束の時間を過ぎたので、家に帰ったのだろうか。しかし昨日はシイナも楽しみにしていたように見えた。帰ったということは余りないように思える。
ツカサが辺りを見渡して探していると、家の裏手からヒックが顔を出した。
「あ、おかえりツカサ。君、ヒイラギをこの家に呼んだだろ。酷い目にあったよ」
「あぁ、うん。ええそうね」
「あいつ加減てものを知らないんだよ。僕のことを抱き枕か何かだと思ってるんだ。ツカサは抱き枕って知ってるかい。ぼくの故郷ではとても人気があったけれど」
「へえそうなの。でも悪いわね、いまそれどころじゃーー」
「シイナなら森へ入って行ったよ」
ヒックが言う。
「ずいぶん早くに来てツカサを待っていたようだけれど、半刻ほど前にしびれを切らしたように、森の中へ揚々と進んで行っていたよ」
「え・・・一人で?」
「うん、一人で。そこに立てかけてあった刃物を持っていったようだけれど」
ヒックが示したのは、ツカサが狩りの道具を置いていた棚である。弓矢や縄は残っていたが、小振りの鉈が消えていた。
「・・・っ。」
ツカサは息を飲み、そして弓だけを持って急いで掛けだした。後ろからヒックが付いてくる。
「あの子が一人で森なんて危なすぎる」
ツカサの裏手にある森は広大な広さがある。生きている動物も多種多様であった。当然、中には危険な生物だっている。狩りにはそれなりに覚えのあるツカサでさえ躊躇するような生き物も。場所にさえ気を付ければそうそう出くわすものでもない。問題はツカサはその方法を知っているが、シイナはそうではないということだった。
「猪や狼にでも出会えば大けがをするのに。どうして止めてくれなかったのよ」
「それ僕に言ってるの?無茶言わないでよ。僕が声を掛けるのはツカサだけだよ」
「しゃべらなくてもやりようは・・・あぁ、もういいわよ」
ツカサにとって、言い合っている時間がもったいなかった。
ヒックはシイナが森へ入っていったのは半刻前と言った。あの子供の体格であればそう遠くへは行けていないはずだ。一応、昨日の内にシイナに森の危険性も伝えるには伝えていた。それが十全に伝わっていないからこその現状とも言えるが、それでもあまりの無茶はしないとツカサは信じたかった。兎を追いかけて森の深くへと入っていなければいいが。
「・・・こっちね」
土を確認してツカサは進路を定める。
心の焦りとは裏腹に、ツカサは森には行ってからずっとシイナの足取りを追うことができていた。至る所に痕跡が残っている。
普段はあまり人が立ち入ることのない森であるが、それでも木材の切り出しや山菜の調達等で人が入ることはある。そういった人たちが作った、もとい自然にできた道が残っている。
しかしシイナはあえてそういった道を辿っていないようだった。そのせいか、草や土のそこらに分け入った痕跡が残っている。鉈で草を分け、地を踏みしめた痕跡が。
冒険のつもりでいるのかもしれない。勇ましさに憧れた時期が自分にもあったことをツカサは懐かしく思った。
「もう少しで追いつける」
痕跡が新しいものになりはじめていた。ここからなら声が届くかもしれないと思い、ツカサは声を張り上げる。
「シイナ、どこに居るの。シイナ」
「なーご」
「シイナ、シイナ。返事をして」
「なー、なーご」
「シイ・・・その変な声やめてくれないかしら」
「酷いなツカサ。僕だって手伝おうとしてるのに」
と、そのとき、奥から声が響いた。
高い、切り裂くようなその声にツカサは体の骨が全て氷になったかのように、血が冷えるのを感じた。
確かに聞こえたのだ。悲鳴ではなく、救命を求める声が。
「助けてーーツカサ、助けて」
確かにそう聞こえた。
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