第5話 さざめく汚濁は届くことはなく
神殺しの下準備を一通り終え、ツカサとヒックは一度丘の上の家に戻ることにした。儀式の開始までにはまだ時間がある。それにツカサは儀式に出られる格好にはなっていない。どちらにせよ家には帰る必要があった。
「疲れた・・・。」
ツカサは家に着くなりそう言って寝床へと倒れ込む。平時よりも早く起きたこと、それに早朝から海へ潜っていたことが堪えているのだろう。普段の達振る舞いから大人びた印象を周りに与えてはいるが、体は十代前半の子供である。
一方ヒックはといえば、こちらはツカサと対照的に元気であった。海に潜った疲労を微塵も感じさせない。もっとも昨日は日がな一日寝ていただけなので、その時間の多くが傷を回復させるためだったとはいえ体力は余っていたのである。
ツカサが寝息を立て始めたころ、部屋の中をうろついていたヒックは足音を極力殺して外へと出た。別にこれといってやましいことをしに出ていくわけではない。ただ、ヒックが外に出ると言ったら、ツカサが付いてくる気がしたのだ。それはヒックの望むところではなかった。神殺しのそのときまで、ツカサには体力を残して置いてもらわなければ、ヒックが困るのだ。
「先入観抜きでこの村を歩きたいってのもあるけどね」
家を後にしながらヒックはひとりごちる。
ツカサから聞いた村の話、昨日の男衆の態度、それ以外にもこの村を知っておきたい。知識は多ければ多い方がいいというのがヒックの持論だ。情報は過不足なくあるべきだが、見聞は違う。知っているものの差が土壇場で結果を左右することもある。そして今日はその土壇場が近づいている。
ヒックの立てた策は絶対のものではない。結果を予想するなら七割程度の成功率。三割の確率でツカサは予定通り人柱となる。それに関してはツカサに話ていない。話せば神殺しの決意が鈍るかもしれなず、また話したところで理解できない場合もある。ならば話す必要はない。ヒックはそう決めた。ツカサに今日より先を生きもらうにはやるしかないのだから。
「でも本当に、文明の進んでない場所だ」
ツカサの家がある丘の上から海沿いの道を歩きつつ呟く。
この周辺地域はヒックの生活していた場所とはあまりにもかけ離れていて比較対照にすることすら難しい。地球の全てがこの程度だとすれば、ヒックにとっては期待外れもいいところだった。
もっとも、そうでないことをヒックは知っている。否、それだけでないことをヒックは気づいている。これもまたツカサには言っていないことの一つだ。言ったところでどうしようもない。
浜辺前の杉木に爪を立て、一息に登った。今日もまた漁師達が浜に出て来ている。村長の指示があるため船を出すものは一人もいないが、皆が船を洗ったり縄を補強したりとそれぞれの作業をしている。一人でいる者もいれば、数人で固まっていたりもする。ヒックは道沿いに近い所にいた三人組に目を付け、そろりと杉から降りて三人組の元へ近づいた。そして近すぎず遠すぎず、会話の音が拾える位置でくるんと丸まった。動きだけ見れば、そこいらの原始的な猫と変わりない。
しばらく耳をそばだて、三人組の会話が漁の工夫についてという話題から一向に変わる気配がないのを察知し、またそろりとその場を離れた。
ヒックは少数のより集まりを見つけては耳をそばだて、その場を離れまた別の集まりへということを三度ほど繰り返す。
四組目の集まりが酒の出来についての話をしているとわかり、その場を離れようとしたとき、一人の細身で長身な男が声の調子を落として話題を変えた。
「でも、今日の儀式は本当にやる意味があるのかな」
ヒックは移動しようと片足を上げた姿勢のまま止まる。
男の言葉に、別の小柄な男が慌てて周囲を見回す。
「滅多なこと言うもんじゃねえよ。昨日できなかったせいで漁に出れなかったんだぞ」
隣に腰を下ろしていた巨漢の男も頷く。
「そうだ、潮目が変わる前に漁に出れなきゃこの季節を無駄にしちまう」
「そりゃそうだけどよ。いや、だからこそなんだよ。だからこそ儀式に意味がないと困るだろ」
「お前は何を心配してるんだ?」
「海神様に若い女食わせて、ここから去ってもらうってのはわかるけどもよ。ツカサでいいのか?食わせる生け贄は本当にあの娘でいいのか?」
「他に誰がいるんだよ。言っちゃなんだが今この村にツカサ以上に生け贄にふさわしい奴なんていねえぞ」
「こいつの言うとおりだ。神守の親族で身寄りがなくて若い女、ツカサが一番この条件にあってる」
「そこなんだよ。条件に合ってるところが問題なんだよ」
「・・・?」
長身の男の物言いに小柄と巨漢はそろって首を捻る。
「ツカサがどうして身寄りがないのか、言い換えればツカサの親がどうしていないのか、俺たちは知ってるだろう」
「そりゃ勿論」
「母親が神の居城に仕えてることは別にいい。問題は父親の方だ」
「ツカサの親父っていうと、サイカのことか」
ツカサの父親の名。初めて聞く情報に、ヒックは更に耳を立てる。
「そう、そのサイカはどうやって死んだ」
「どうって、漁の最中にーー海神に食われたんだろ。そう聞いたぞ」
「ああ、その通りだ。俺はサイカと同じ船に乗ってたから間近で見た。奴が海神に食われるのを。おぞましかったよ、とてもこの世の光景とは思えなかった」
「でもそれが儀式に関係あるのか。確かに親子二代揃って海神に身を捧げることになるのは気の毒だが」
「そこだよ。親子二代ってのが気にかかる。不運が重なった結果とはいえ、サイカの命を海神は既に受け取っている。だというのに、また同じ血を捧げていいものなのか?ことさら血を好む海神に」
「同じ血を捧げる・・・か。確かに、それは考えようによっては不敬にあたるのかもしれんが、しかし神のことだ、俺たちの考えなど遠く及ばんだろう」
「まあな。ツカサを捧げないとして、じゃあ代わりに誰を捧げるんだという話ではある」
「まずは今日の儀式を完遂する。その後のことはその後考えればいいだろう。ところで今日の賭場だけどよーー、」
「・・・。」
話題が変わり、以降ツカサや儀式のことを話はしなかった。ヒックは音もなくその場を後にする。
神事にただ考えもせず付き従う村人達だけではないということか。ヒックは去りながら長身の男を一瞥した。ああいった人物が増えれば、きっと信仰の根幹にメスが入ることになるのだろう。しかしそれはきっとまだ遙か先のこと。今日明日どうこうなるというものでもない。
それではツカサは救われない。もっとも、ツカサにとって救いがなんなのかは未だヒックにはわからないのだが。
ともかく、何もしなければ順当に生け贄とされ、命が保たれることはないのだろう。それでは困る。そうならないよう、今もヒックはより盤石をきすために歩き回っているのだから。
海岸線の杉並木を越え、海から離れた道に入る。禄に整備もされていないのは文明の程度のせいか、それともその先にあるものが蔑ろにされているからなのだろうか。
ヒックが歩き進んでいる道はこの村唯一の社に続く道であった。当然その道に初めて足を踏み入れたヒックはそのことを知らない。しばらく道を進み、社の象徴である鳥居が見えたところでようやく気づくに至った。ここにもまた別の神がいることを。
海にも神、土地にも神。八百万の神という言葉を知ったのはどの文献からだったか。
「まったくもって節操がないね」
鳥居の下をくぐりながらヒックは呟く。
更に道を行くと境内らしきものが視界に入ってきた。石造りの壁で土地を囲い、中央には社が設けられている。ヒックは足場の感触が変わるのを実感しながら、境内へと足を踏み入れた。
ヒックの元居た場所にはなかった建物に興味をそそられた。この村の建物は社と同様に全て木造であったが、この社はまた一団と貫禄がある。柱と柱の間に装飾を施した壁面があったり、瓦の形も村の家屋のものとはまた違う。こちらの方がより精巧であった。
惜しむらくはこの社が所々破損していることだろうか。木造部分に関しては修繕の跡が確認されるが、そうでない箇所は壊れたままなのが一目瞭然であった。ヒックはこの状態を見て取り、酷いいびつさを感じた。全て修繕せずに、どうして一部だけなのか。まったく修繕しないのならそれはそれで筋が通る。単にこの社が信仰の対象として不要になったというだけのこと。しかし、境内は草木が手入れされている様子が見て取れるし、今も参拝者がいる。不要になったわけでも忘れられたわけでもない。
「しかしだとしたら」
どういうことなのだろうか。
ヒックが更に思索を進めていると、参拝者同士の会話が聞こえてきた。内容は浜辺で聞いた時と同じ、ツカサの行う儀式についてだ。
「しかしねえ、ツカサちゃんも大変だわね」
腰の曲がった老女が社に腰掛け、隣の壮年の女性に話をしていた。
「親が二人ともいなくなって、自分までだなんて」
「でも、考えようによっては幸せなことかもしれませんよ。神様に捧げるわけですもの」
壮年の女性はふらつく老女の背を手で支える。支えられながら、老女は悲しげな顔をした。
「そうは言ってもねえ」
「それに、父親は確かにいなくなりましたけど、母親は違うじゃないですか」
「あれ、そうだったかね」
「ツカサの母親はーーカマツさんは神守になったんですもの」
「ああ、そうだった。名誉なことだわ。カマツちゃんの前は誰だったか・・・。」
「えっと、確かカマツさんが四つほど前の春だったから・・・その五つほど前の夏でしたね。あのとき神守になったのは村長のお孫さんですよ」
「ああ、クサビの孫っこだったかねえ。あの子も明るい良い子だったんね」
「でしたね。もう会えないのは寂しいですけど」
「神守だからねえ。途中で放棄するわけにもいくまいに」
ツカサは社の下で話を聞く。神守ーーこの村における一番の関心事項である。話を聞いていてわかったことが一つ。ツカサの母親はカマツという名前であること。そしてもう一つ。ヒックはツカサから神守の話を聞いたとき、自分の知識から、神守とは人間が行っていた神職の一つである巫女のようなものだと考えていた。しかし、ヒックの頭上で二人の女性が話す雰囲気はそういったものとは一線を角している。
頭上の二人の話は、神守から生け贄の儀式へと戻っていた。
「上手くいけばいいけども、駄目ならまた難儀なことに・・・。」
「二人目、なんてこともあり得ますか」
「今はそうそうないけれど、昔はようあった。私が子をこさえてた頃だからもう昔も昔な話だけれども。でも大抵は、二人目を選ぶ頃には海神様も機嫌を直して海を空けてくれるんだけれどねえ」
「今回も一人で済めばいいですね」
「ほんになあ」
一人で済めばーーつまり、命の勘定としてこの二人の中ではツカサの命はもう仕方のないものとして整理されているわけである。なんのかんのと言いつつも、ツカサが贄となることを許容している。ヒックの聞く限りではそう判断できた。
老女が話し疲れたようで、社の板張りで少し休むと言い出した辺りで、ヒックは社の床下から姿を消した。
浜辺での会話や境内での会話を含め、道すがら幾人かの村人達の会話を盗み聞きしたが、儀式に関して村人の考えは似たり寄ったりであった。結局の所、ツカサの命よりも漁が再会できるかの方が村人にとっては大事なのである。漁で生活を保っている村としては至極当たり前のことではあるのだろうが。
「人間も猫と大差ないじゃん」
ヒックは自分が元居た場所とこの村を重ねる。当然文明の差は大きい。生態系も多様性の桁が違うだろう。しかし、ヒックはそれでも、と思うのだ。集団としての根幹が似ていると感じるのだ。大きな何かにすがって、与えられた役割に準じて。見切りを付けた世界と大差ないものが目の前にはあった。ツカサはその中に呑まれている。
いや、それは組織立った生き物としては、きっと普通のことなのだ。
ヒックにとって普通だと思えないのは、ツカサがその中で命すら集団の決定権に委ねようとしていたことだ。今もおそらく、最悪の場合は生け贄になるのも止む形無しと考えている。死にたがっているわけではないが、死を忌避しているわけでもない。諦めに似た何か。ツカサはそれを抱えている。それを是が非でも生かそうとしているのだから、これは一筋縄ではいきそうにない。
ヒックは誰かの手を借りることも一度検討してみた。
例えば、今日見てきた人間の中でただ一人、家の中で悲壮な顔をしていたあのヒイラギという男。ツカサのことを掛け替えの無いものと感じているあの男に協力を打診すれば。しかしその検討内容をヒックは却下する。何をどうするにしても少数で神殺しを行うにはヒックと宇宙船が必要になる。となれば、ヒックは協力者に対して自分の正体を明かさなければならない。喋ることのでき、知能が人間並みでーー本人はそれ以上を自負しているがーー未知の技術を持っていることを告げなければならない。
それは駄目だ。
ヒックの予想では、この村の文明程度ではヒックという存在を理解できない。受け入れられない。ツカサはさして驚き慌てることなくヒックと会話をしているが、それはツカサ個人の性格によるところが大きい。個々人ではツカサのように受け入れられる人間もいるかもしれないが、それを試すにはヒックにとってのリスクが大きすぎた。失敗すれば化け物として殺されることも十分に有りうる。上手くいけば神としてあがめられるかもしれないが。自身の身の安全を一番に置いているヒックにとって、その博打は打てない。
結果、ヒックがヒイラギに助力を請うことはなかった。
ヒックは一通り村を回り終え、頃合を見てツカサの家へ戻ることにした。
杉並木を引き返し、丘の上を目指す。故郷に残した友がいてくれたらとぼやきながら。
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