第4話 さりとて甘い囁きは聞こえていて

 水面に映る自分の顔をしげしげと眺め、ヒックが前足で軽く水を叩いた。広がる波紋がヒックとツカサの顔をかき消し、放射状に延びた後に波にかき消される。

「これが海か・・・。思ってたのとは違うかな」

「初めて見るの?」

「うん。故郷には海なんてなかったからね。大きな池や水辺はあったけれど、全部淡水だったし」

「ちなみに、ヒックは海がどんなものだと思っていたのかしら?」

「もっと澄んでいるものだと思っていたよ。いや、目の前の景色も透明ではあるんだけれど、どう言えばいいのかな、この水にはたくさんの何かが詰め込まれてる」

 もう一度ヒックは水面を前足でなぞる。押して戻す波に小さな波紋。大きな流れにはさして影響もない。そのまま波に飛び込むのかとも思ったが、ツカサの考えに反してヒックはすぐさま波の届かない場所まで引き返してくる。

「しょっぱい」

 嘗めとった前足を嫌々ふりながらヒックは舌を伸ばす。

「猫は水が嫌いじゃないのかしら。家の周りにいる猫は体を洗ってあげようとしたらいつも逃げるわよ」

 海水を嘗めとる手を止めて、ヒックはわざとらしく「はぁ~」とため息をつく。ひどく人間くさい動き。

「だからさ、そこらの原始動物と僕を一緒にしないでくれないかな。君たちがあれを猫と呼ぶのは、まあ諦めるとして、それでも同一視されたくはないね。火を恐れるのは進化の足りない動物だけ。水もまた然り、だよ」

「そこ、昨日から拘っているわよね」

「進化っていう積み上げてきたものを蔑ろにすると、僕が僕じゃなくなるからね」

 そういってまたヒックはさざ波に前足を伸ばす。

 進化というのが何を意味するのかツカサにはぴんとこなかったが、それでもヒックがそれを大切にしているのはわかったので、次からは他の猫と分けて考えようと決めた。

 決めたところで、ツカサとしては外見上は他の猫とヒックの区別が付かないのだけれども。

「それでは下準備といこうか」

 そう言ってヒックは海水へと体を晒す。波にあらがい進みながら、ちらりとツカサを見た。ツカサはまだ海に入っていない。躊躇し、思い悩み、体を止めていた。

「早く、ツカサが案内してくれないと僕にはわからないんだから」

 犬かきーー猫かき?ーーをしながらヒックが訴える。

「・・・。」

 それでも動こうとしないツカサにヒックは、

「それとも、諦めるのかい?」

 と、放つように言った。

 その一言で、ツカサの体は動き始める。思い出す。何が大切かを。どれが自分の最善かを。迷いながらも動き出す。

 朝日が昇る直前の、黎明の中をツカサとヒックは泳ぎ進む。普段は漁に出る村人達が海岸で支度を始めている頃合いだが、村長が昨日海に入ることを禁じたので、皆まだ眠りこけている。こっそりと何かを成すには申し分ない状況だった。

 夜明け前の海水はとても冷たい。未だ迷いある体はぎくしゃくとしか動かず、ツカサはもどかしく感じていた。

「ねぇ、まだなのかな」

 しばらく泳ぐとヒックは不満の声を挙げた。どうやら思ったよりも波が高いのか、それともそもそも泳ぎが得意ではなのか、ツカサから見れば小さなヒックの体は左右に振られながらなんとかツカサに付いてきているという有様だった。

「私の頭に乗れば?」

 ツカサが促すが、ヒックは頭を横に振って断る。

「そうしたいところだけれど、本番は僕一人で行くんだから、今行けなくてどうするんだよって話だ」

「ヒックがいいのならそれでいいけれど」

 振り返っていた向きを進行方向に向けなおし、ツカサは進む。進むと言っても正直なところツカサ自身も明確な目印を持って進んでいるわけではない。先日の記憶を探り探りで思い起こしているところなのだった。なので、実際のところヒックの望む位置はもう過ぎてしまっている可能性もなくはないのだけれど、ひとまずそれは脇に避けて、自分の勘に頼ってツカサは進む。

 合間には何度か水中へ目を向け、視界に入るものを確認しながら。そうでもしなければ万が一がある。海の神はこのくらいの浅瀬にはよっぽどのことがなければ近寄って来ないが、しかしまったく無警戒というわけにもいかない。そもそもそれ以外の理由としても水中に目を向けずに進むわけにはいかないのだ。

「・・・あった」

 まずツカサが気づき、ついで遅れてきたヒックも気づいた。

 水中にすっぽりと飲み込まれた異様な箱が見えた。先細りの円錐形をした黒い塊である。ツカサは最初見たときそれの名前を知らなかったが、今は違う。昨夜ヒックが説明してくれたそれは宇宙船と呼ぶものだった。


「ヒック、それは無理よ」

 海の神を打ち倒すーーと、唐突に宣言されたヒックの言葉をツカサは懐疑的にすら受け取らなかった。冗談、もしくは無知のどちらかだと判断したのだ。

 海の神は恐ろしい。当然である。恐ろしいからこそツカサ達村人にとっては神として奉るに足る存在なのだ。彼の神としての根源は恐怖だ。恐れこそがあの神である。それこそ前提条件として当たり前のことなのだ。それを打ち倒すというヒックの意見は、ツカサにとっては荒唐無稽も甚だしいものだった。できるとかできないなどど、考えることすらおこがましい。

 そのような説明をツカサは自身の持つ知識を使って説明したのだが、

「馬鹿馬鹿しい」

 と、ヒックは一笑にふした。つまり鼻で笑った。

「・・・もう一回説明するわね」

 そう前置きしてツカサはヒックに海の神が如何なるモノであるかを説明した。その大きな体、立ち並ぶ牙、死を呼ぶ背びれ、この世ならざる世界を見る眼。幾人が神の怒りにふれ、その全てがどうなったか。あらん限りの言葉でツカサは海の神を表す。やがて語ることが尽き、もう十分だろうとヒックに目をやると、ヒックは後ろ足で頭を掻いて、毛づくろいをしていた。

「聞いてたの?」

「聞いてたよ。聞くに堪えないお話をそれでもね」

 ヒックは毛づくろいをやめ、まるでツカサの話を虚仮にするように、あくびを一つ出す。

「あーだこーだと言ってはいるけどさ、それって特徴を聞くに唯の鮫だよね。鮫という名称がこの村にあるのかどうかはわからないけれど」

「・・・さめ?」

 ツカサは鮫という単語を知らないので首を傾げるばかりである。

「そう鮫。あるでしょ、魚には名前が。この辺で取れそうな魚だと、鯵とか鰯とかさ。それと一緒だよ。鮫って名前の大きな魚。それが君たちの言う海の神ってやつだ」

 今まで海の神としていたものに鮫という名前があるとツカサは言うのだ。

「分類の話だよ。大きさが違うから混同して考えはしにくいだろうけどね。で、つまりだ、僕が何を言いたいのかというと、あれは唯の大きな魚なんだってことさ」

「唯の大きな魚」

 口にしたその言葉で、ツカサの中の何かが動いた。身を捧げるとか、命を厭わないとかそういった感情が、確固たる信念だったそれが、揺らぐのを確かに感じた。

 海の神だったものが鮫と呼ばれる存在になり、そして鮫は唯の大きな魚なのだとヒックは主張した。

 まずは言葉から変えていく。絶対不屈の神と呼ばれる座から、唯の魚類の一種類に。神殺しの第一歩は、神でなくすところから始めるものだとヒックは言った。

「まず倒せない相手だという幻想を捨てる。君たちが信仰する他の神がどんなものかわからないけれど、少なくとも、海の神は死なない相手ではない」

 確かに、死ぬ存在なのかもしれないと、ツカサは思う。森の神もそうだった。鋭い牙と大きな爪を携え、森を闊歩していた森の神も、ある季節に姿を消した。季節が変わる頃に姿を現した森の神は、骨と皮をわずかに残すばかりの残骸となっていた。しかし。

「しかしそれでも、死ぬ存在と殺せる存在は別でしょう。ヒックの知識が正しくて、海の神が死ぬ存在だとしても、それを成せるかどうかはまた別の話よ」

「そう、別の話だよね」

 ヒックはにやりと笑う。猫の表情だというのに、ツカサにはヒックのにやりがはっきりとわかった。

「できるかどうかと、やるかどうかもまた別の話さ」

「・・・どういうことなの?」

「僕に考えがある。相手が海の神であることと、昨日僕の宇宙船が海に沈んだことはとてつもない幸運だよ。この幸運を上手く利用できれば、僕らで神殺しは成せる」

 尻尾を左右に揺らしながらヒックは言う。

「僕はツカサの口から海に沈んだとしか聞いていないけれど、宇宙船の場所は覚えているかい?」

「うちゅうせんっていうのは、ヒックが入っていたあの黒い円錐状の塊のこと?」

「そうそれ。沈んだ場所、わかるかな」

「おおよそは覚えているわ」

 昨日は起きたことと起きなかったことの衝撃もあり、あまり詳細まではわからないが、とはいってもツカサにとっては生まれてからずっと見てきた海である。ある程度は勘でわかる。

「だったら大丈夫さ。後は宇宙船の状態次第かな」

「うちゅうせんがヒックの想定通りの状態なら、できるのかしら。神殺し」

「確証はないけれど、神殺しを試す価値はある。もちろん、相手が魚である以上、実際にやるのは唯の漁だけど」

「唯の漁」

「できそうでしょ。漁師の娘さん」


 そんなやりとりを経て、朝の初めに宇宙船の状態を見るためにツカサとヒックは海に潜っているのだった。

「あったね」

「あれでいいのよね、宇宙船」

 一人と一匹が宇宙船を視認した後で、一度水面へと顔を上げて確認を取った。宇宙船の沈んでいる位置はそう深くない。夜明け前の薄明かりでも十分に視認できる位置。きっと朝日が昇れば水面からでも全容が見渡せる。円錐の先端が海底に突き刺さるように斜めを向いており、逆に円錐の底面は水面近くまで達している。

 宇宙船の状態を何度か確認し、ヒックは「よし」と呟いた。

「予想通りだ。着水時の進入角度と速度ならこの形になると思ってた。それに、方向にも恵まれてる」

「方向?」

「噴出孔が岸と反対方向を向いてる。こればかりは予想しようもなかったからね。うん、ついてるよツカサ」

「・・・そうなの?」

 ツカサにはヒックが何頷いて何に喜んでいるのかはわからない。ツカサにとっては昨日から本当にわからないことだけらけである。けれど一つだけ間違っているのはわかった。

 ――私がついているなんてあり得ない。ツカサは心からそう思った。

「それで、これからどうするのかしら」

 暗い感情が流れ込もうとするのを遮るようにツカサは次を促す。

「もう少し確認することがあるんだ。あれは流されてないよね」

「ええ、言われた通りちゃんと持ってるけれど、何でこんなもの」

 ツカサは腰に巻きつけたものを解いてヒックに見せる。薄茶色と桃色が混ざり合ったような色の管。表面は海水に濡れてもなお滑りを感じさせ、塩の匂いとは別の匂いを発している。

 ツカサが手にしているのは牛の腸だった。長さはツカサの伸長の三倍ほど。管の中は綺麗に処理してあり、腸の中でも丈夫そうな部分だけを選んで切り取った。やったのはツカサだが、指示を出していたのはヒックである。

「まさかこれを使って水の中で息をするつもりなの」

「それこそまさかだよ。そんなの一メートルも潜らない内に水圧で呼吸できなくなるに決まってるじゃないか」

「さも当たり前みたいに言われても知らないわよ」

「唯の命綱だよ。これからちょっと危険を孕んだ行動にでるから、安全装置が欲しいのさ。僕がこれを二度引っ張ったら引き上げて。そのときは死に掛けてるはずだから」

 物騒なことを言って、ヒックは牛の腸を自分の片足に巻きつけた。締結具合を確認して緩みのないよう再度力を込めた。

「それじゃ行ってくる。合図、忘れないでね」

 二度深呼吸をした後、軽く息を吸ってヒックは潜行を始めた。

 付いてくるなとは言われなかったが、役割を考えれば追従するわけにもいかず、ツカサは顔を水に浸けてヒックを目で追った。ヒックは緩やかな泳ぎで水面から大人の男一人分の深さまで潜ると、宇宙船の側面に前足をかけた。ツカサはヒックの触れている場所が昨日ヒックを宇宙船から引きずり出した部分であることを思い出した。開口部は水圧で閉じていたようだが、ヒックが軽く操作するとゆっくりと開いた。その開いた場所へヒックは体を滑り込ませる。ツカサからはヒックの体が見えなくなった。ツカサは気を引き締める。管を必要以上に張らぬよう、しかし緩めぬように手元で調整しながら送ったり手繰ったりと微調整を繰り返す。合図を見落とさぬように、感じ取れるように。

 ヒックの体が見えなくなってからツカサの体感で三十秒ほどが経過した。開口部から入るのに要した時間と合わせれば一分は経つ。常日頃から海に潜ることを習慣にしてきたツカサからすれば大した時間ではないが、人と比べれば矮小な体躯のヒックからすれば充分に長い時間が経過してしまったのではないだろうか。そんな危惧をツカサが抱き始めた頃合で変化が起きた。

 ばたん、と開口部が閉じたのだ。むろん水中なのでツカサの耳に音は届きはしなかったが、しかし衝撃は受けた。

「・・・!」

 驚いて、そして一寸送れてやるべきことを思い出す。ツカサは力一杯管を引いた。しかし当然の結果として、閉じた開口部に挟まれた部分から微動だにしない。慌てて更に力を込めると、開口部が相当に平滑だったのか、管がちぎれてしまった。

「え・・・。」

 ツカサは無意味だと判りながらも先端まで管を手繰り寄せ、ちぎれた先端を眺める。

 これではもうヒックからの合図がわからない。

「ってそうじゃないでしょ!」

 呆然とした自分を叱咤し、ツカサはやるべきことに目を向ける。文字通り無用の長物と化した管を手放し、宇宙船めがけて潜る。ヒックとは比べ物にならない早さで潜行し、数秒後にはヒックが入って行った開口部へと到着する。手探りで表面を撫でて確認すると、昨日もツカサが操作した取っ手が見つかった。

 これを捻れば開くことができたはずだとツカサは思い出す。昨日は意図して行ったことではなかったが、あの動作と扉の開閉は間違いなく連動していた。

「ーーっ」

 ツカサの手が取っ手から滑る。水中が故に力が込め難い。右回しに回そうとしても回転しないので、逆回しへと力を込め直す。しかし、取っ手は少しも動く気配がない。昨日と同じ取っ手と思ったが位置が違うのか。いやそうではない。ツカサは自身の考えを否定する。円錐の底面との位置関係から考えれば、今ツカサが手にしている取っ手は昨日と同じものであるはずだった。

 ツカサは動かないと知りつつ、再度操作を試みる。何度か繰り返し、このままでは駄目だと判断した。ツカサはこのまま潜り続けていてもあと二分は余裕で持つが、しかしヒックは既に潜行を開始してから三分以上経過している。無駄なことへ悠長に時間を掛けている暇はなかった。

 ツカサは開口部からの進入を諦め、別の場所に類似した扉のようなものがないか探し始める。円錐の軸を中心に、宇宙船に手で触れながら側面に沿うようにして泳ぐ。なめらかな表面に手が離されそうになりながらも何とか宇宙船の周囲を一周回るがそれらしきものは何も見つけられなかった。

 一度岸に戻り、開口部を破壊できそうな道具を持ってくるべきか。ツカサが逡巡を始めたそのときに、変化は起こった。開口部からツカサの身長分ほど離れた宇宙船の表面が、一部平行に移動したのだ。一部の板だけが、まるで宇宙船の表面を滑るように。

 何だろうかとツカサが移動した部分にまで近づくと、

「ボゴ・・・ガっっ!」

 危うくツカサは海水を飲み込みそうになった。

 動いた板が元あった場所はくり貫かれたように窪んでいて、ツカサがそこをのぞき込むとヒックの顔が見えたのだ。慌てて触れようと手を伸ばすが、ツカサの手はヒックにまでは届かなかった。氷のように、いや氷よりも透明な板がツカサとヒックの間にある。

 板を開く方法はないのか、ツカサは周りを見渡すが開口部に付けられていたような取っ手は見あたらない。

「・・・?」

 ツカサが視線を透明な板の向こうにいるヒックへ戻したとき、ようやく気づいた。ヒックはおぼれていない。というかそもそも、ヒックのいる空間に海水が満たされていない。ツカサが驚き固まっていると、透明な板越しにヒックがツカサの方を向いた。ようやくツカサの姿に気づいたらしく、暢気に前足を挙げて挨拶をしている。

 理由はわからないがともあれヒックは無事らしい。ツカサはそう認識した途端、安堵からか張っていた気がゆるみ、それと同時に酸素が不足しているのを感じ始めた。見るとヒックは前足を上に向けて顎と共にくいくいと上下指せている。先に上がっていろということだろう。ツカサはそう判断して水面へと上昇した。

 そのまま仰向けになって波に揺れる。ともすれば海の神が現れるかもしれないという状況で、それは些か危険をはらんだ行為なのだが、ツカサはそれに気づいていない。ツカサは海の神よりももっと気になることを考えていた。

 ヒックが海に潜り始めた瞬間、ほんの少し心配した。猫が水に潜って大丈夫なのだろうかと。ツカサとヒックを繋ぐ管がちぎれた時、その心配はとても大きくなった。いても立ってもいられず、すぐさま潜った。しかし、でも。

「いつのまにかヒックをこんなに気に掛けてる」

 口に出してみて、ツカサはさらに驚いた。そう、気に掛けているのだ。大丈夫だろうかと、危険はないのだろうかと。ただ見付けただけの、放置するのも忍びないので治療を施しただけの、たった一日足らず一緒にいただけの猫をツカサは自分でも驚くほど気に掛けていた。

 ツカサはその気持ちを嫌だとは思わないが、しかし歓迎もできないなと独りごちた。

「ぷはっ、戻ってきたよツカサ」

 ツカサが自分の心に驚き、それを自嘲し始めた辺りでようやく、ヒックは水面へと顔を出した。

「お帰りなさい。大丈夫そうね」

「まあ怪我はしてないね。昨日からある傷を除けば」

「それにしても驚いたわ。てっきり閉じこめられて溺れてしまったと思ったもの」

 ツカサは水面に浮いていた管を指さす。命綱だったはずのそれは、ヒックの体からは既に外れていた。

「ああ、これか。中を操作するにはあの出入り口を閉める必要があったんだよ。しかしそうか、驚かせたみたいだね」

「水中で透明な板の向こうにヒックが見えた時の方が驚いたわよ」

「あそこが予備の操作盤とそれを格納する部屋だったんだ。緊急時に気密性を保つようにできてるから、水没してないと思ってたんだよね。予想通りだった」

「それで、調べたいことは済んだの?」

「うん。結論だけ言えば、予想以上に予定通りだね。きっと上手くやれるよ」

 何を、とはツカサもわざわざ訪ねたりはしなかった。目的は決まりきっているのだから。

「つまりこういうことなのかしら。神殺しの準備はできたと」

「そうだね。うん、そう。準備完了だよ、あとはーー君がやるかどうかだ」

「やるわよ」

 ツカサは頷いた。

 ずっと考えていたのだ。ヒックに海の神は殺せる相手だと説明されてからずっと、ツカサは考え続けていた。予定通りツカサが生け贄になれば、ツカサは村という社会の意に背くことはない。自身は死んでしまうが、しかしツカサにとって村は世界の全てである。その意向と意志に逆らうことは、世界に逆らうことに等しい。世界から逃げて生きていけるとは思えなかった。だからこそ命を捧げる。ツカサにはその覚悟があった。

 ヒックから提示された案は、村の意に背いているようでその実おもむきが異なる。少なくとも、ヒックの説明ではそうなのだ。村の意図するところは、『ツカサを生け贄に捧げること』ではない。それは手段であって目的ではない。ヒックの理解では、『海の神に襲われる機会を減らす』ことこそが村の意である。生け贄を食べ、満足した海の神が村の領海から姿を消すことが村の望みである。

 つまるところ、海の神さえいなくなればいい。ならばそれが生きていようが死んでいようが構わない。そんな具合にヒックは昨夜ツカサに説明した。説明というよりも、説得を行った。

 最初は理解の意を示そうとはしていなかったツカサも、一晩あけ、そして宇宙船を再度目にし、ようやく納得するに至った。ツカサとしても、自分が死んでいるよりは生きている方が遙かに良いのだ。生きて成したいことだってあるのだから。

 だからツカサは頷く。

「私は神様を殺す」

 その言葉にはしかしどことなく頼りなさが残っていて、その不器用な有様にヒックは笑ってしまった。

「まだ迷ってますって顔に書いてあるね」

 くすくすと笑い、そのまま岸に向けて泳ぎ始めた。

 言われたツカサはばつが悪そうにしていたが、諦めてヒックの後ろを追う。

 薄明かりに一筋まばゆい光が射し始めていた。

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