第2話 ご馳走になることに嫌悪感を抱かず

「おかえりー」

 と、寝床に朝と寸分違わぬ形で伏していたヒックが、家に戻ってきたツカサを見て声をかけた。

「ただいま」

 ツカサもヒックに応える。久しぶりにした挨拶に歯がゆさと楽しさを感じながら、ツカサ言う。

「昼食にしようと思うけれど、ヒックは何を食べるの? お米は食べれるのかしら」

「大体何でも食べるよ。タマネギは無理だけどね」

「タマネギ・・・って何?」

「ああ、この村では採れないのか。野菜の一種だよ。皮が何重にもなってて臭いがきついんだ」

「ふーん、知らないわね。それはヒックの故郷にある食べ物なのね」

「いや、僕らにとっては食べ物ではないんだけれど」

「じゃあどうして育ててるのよ」

「自生してるんだよ。勝手にさ」

「食べない野菜が繁殖するなんて、変な所ね、あなたの故郷って」

 ツカサはもう少しタマネギのことについて聞いてみようかと思ったが、どうせ村では手には入らない食べ物なのだから聞いても無駄だと考え直し、食事の準備に取りかかった。

 昼に何を食べるか、夜に何を食べるかそれぞれ考える。やはりいくらか食料が余る。毎度こんな感じなので、ツカサの家には少しずつ食料の貯蔵が増えてきている。

「ねえツカサ、ひとつ訊きたいことがあるんだけど」

 ツカサが釜に火をくべ、保存するものと今日食べてしまうものをより分けているとヒックが後ろから話しかけてきた。

「どうしたの?」

 振り返らずに作業を進めながらツカサは返事をする。

「大したことじゃないけどさ、この村に猫はいないの?」

「いるわよ。どのくらいかは忘れたけれど、何頭か飼育されてたはず。倉を持つ人はネズミ避けに重宝してるわよ。この家からだって外を見てれば散歩してる猫を見かけることだってあるもの」

「いや、そうじゃなくてさ」

 ツカサの言葉にヒックは首を横に振る。わかってないなと呆れた様子で。

「猫のことを言ってるんだよ」

「・・・私も猫のことを言ってるのよ?」

 ヒックの言うことがどうにも理解できず、ツカサはヒックの目を見て言った。

「猫って猫でしょ? ヒックみたいなーー」

 と、言いかけたところで、ツカサはちょうど家の外を歩く猫を見つけた。ほら、と指さす。

「あそこにもいるじゃない」

 ツカサの指さす方を確認するヒック。しかしその反応は先ほどと変わらない。

「いやいやいや、あれは猫じゃないよ。原始猫だよ。あんなのと僕を一緒にしないでよ」

「何を言ってるの?」

 どう見ても姿形がそっくりな猫である。これは偶然だが外にいる猫とヒックは毛並みも似ている。お互いを入れ替えてたとしても、ツカサには見分けられないだろう。

「だからさ、あれは原始猫なの。進化の遙か手前の生き物。君たちからすると猿と同程度」

「あの猫とヒックが、猿と人間くらい違う生き物って言いたいの?」

「そういうこと。そもそもあいつら喋れないでしょ」

「まあ、そうだけど。普通猫は喋らないのよ。もちろん、これは私たちの普通として」

「ちょっとまってよ・・・じゃあこういうこと? この村には猫はいないってことなの?」

「ヒックの言うところの猫はいないわね。いるのは原始猫・・・でいいのかしら? それだけよ。もちろんどの原始猫も喋ったりなんかしないわ」

「そっか、いないのか」

 ヒックは相当なショックを受けたらしい。落胆したように顔をうなだれた。

「そもそも人間以外の動物は口を利かないはずでしょ。神の御使いだって喋りはしないわ」

「・・・ん? いやちょっと待ってよ。ツカサ、だとしたら君は喋る猫を見たことがないんだよね」

 思い立ったようにヒックは顔を上げた。

「だったらどうして、僕に驚かないんだ。人以外は口を利かないというのなら、それが君の常識なら、この状況はもっと驚いてしかるべきなんじゃないのか」

「何を今更」

 ヒックの言葉にツカサは苦笑する。

「もちろん驚いてるわよ」

「嘘だよ。まったくもって普通に会話してるじゃないか」

「びっくりし過ぎてむしろ冷静でいられたの」

「そんな・・・。」

「はい、完成したから食べましょ」

 逆に驚かされたヒックを後目に、ツカサは淡々と昼食をヒックの元へと運んだ。

 炊いた米と野菜の汁物。いつもどおりのツカサの昼食である。

「では、いただきます」

「いただきます」

 ツカサの言葉に合わせてヒックもそう言ったが、しかしご飯に手を付けようとはしない。

「食べないの? 自分で作っておいてなんだけれど、美味しいよ」

「いや、僕熱いものは冷まさないと食べられないんだ」

「なるほど」

 やっぱり猫じゃない、と心の中で思いながら、ツカサは一人もくもくとご飯を食べた。

 ツカサが、そしてだいぶ遅れてヒックが昼食を終えてからしばらく経った後、家の戸を叩く音が響いた。ほんの一瞬、ツカサの動きが止まる。

「ヒック、隠れていて」

 ツカサは小さな声でそう言うと、扉の向こうへ返事をしながら歩いていく。

「ーー。」

 朝ほどではないが、それでも十全には体を動かせないヒックはゆっくりと寝床へ潜り込んだ。潜り込んだ隙間から、扉を観察する。

 戸を叩く音と共に声も響いていた。落ち着きのある深い音、年齢を重ねた男性の声だ。それと同時に枯れ木が割れるような声も聞こえる。

 ツカサが扉を開く。扉の向こう側には複数の男衆がいた。先頭に立つのは年を重ねた翁であった。ヒックはその男が特別な地位のものであることに一目で気づいた。彼の故郷にもやはり似たような雰囲気を携える者がいたからだ。

「村長、このような場所に足を運んでいただきまして」

 村長を見てツカサが一礼する。

「来たくて来たわけではない」

 村長と呼ばれた翁は疲れたように言葉をもらす。

「しかし来なければなるまい。来なければ、ならんのだ。この儂とてできることであればーー」

「村長」

 言葉を紡ごうとした村長に、控えていた男が声を掛けた。男の言葉に村長は一度言葉を止め、「わかっておる」とつぶやいた。

「わかっておる。これはそういうものなのだからの。のう、ツカサよ」

「はい」

「明日に決まった」

 村長が目を伏せたまま言った言葉に、ツカサの肩が少しだけ揺れた。しかしそれもわずかの間、直ぐにツカサは「はい」と応じた。

「明日の正午、日が最も高い時に行う」

「明日の正午・・・承知しました」

「装束はわかっておるな」

「はい」

 村長の後ろに控える男たちの顔色は悪い。淡々と受け答えをするツカサに畏怖を抱いているようだった。焦燥と嫌悪が入り交じったような感情をヒックは敏感に感じていた。

 ツカサの何を恐れているのだろうか。ヒックにはそれがわからない。男衆の畏怖が何に基づくものなのか。寝床の中からヒックは観察を続ける。

 そうする間にもツカサは村長と会話を続けていた。と言っても、ツカサの口にする言葉はほとんどが「はい」や「わかりました」だったので、会話というには不十分なものではあったが。

 一通り話を終え、村長が最後にと前置きして言う。

「何か食したい物があれば持って来させるが、希望する物はあるか?」

「いえ、希望はありません。食材は既にキリクのお母様より十二分にいただいておりますので」

「そうか」

 頷くと、村長はそのままきびすを返して家から去って言った。去り際に小さく呟いた声は、猫の聴覚を持つヒックに届いていた。

 男衆もその後ろに続き、扉の前からは皆いなくなった。

「キリクのお兄さんとの約束は破ってしまうわね」

 ヒックに言っているのかそれとも独り言なのか、ツカサは肩に手を当てて大きく息を吐く。

 ヒックが寝床から体を出すと同時に、また扉が叩かれた。先ほどよりも小さく、まるで遠慮するような音だった。ヒックは慌てて寝床の中に戻る。

「ヒイラギだ。ツカサ、少し話ができないか?」

「ええ、もちろん」

 再度ツカサは扉を開く。扉の前には先ほどの男衆の中にいた背の高い男が立っていた。

「ヒイラギさん、皆と一緒に行かなくてよかったの?」

「こっそり抜けて来たんだよ」

「貴方がこっそりね。絶対気づかれてる」

「そう言うな」

 ヒイラギと呼ばれた男は苦笑いする。背は高いが線の細いその腕でツカサの肩にやさしく触れた。少しだけ、その手に熱が宿る。

「なあ、ツカサーー今ならまだ」

「やめて」

「――。」

 冷たく、そして鋭く、大きくもないツカサの声にヒイラギはたじろいだ。ヒックも寝床の中で身を強張らせる。ツカサの言葉にはそれだけの意思と力が篭っていた。肩に触れた手の暖かさをそぎ落とすように、ツカサは半歩身を引く。 

 肩から手が放れる瞬間、ヒイラギは悔しそうな表情を見せた。そう、この男は悔しがっている。他の男衆が見せたような、畏怖や焦燥の目でツカサを見てはいなかった。その目に宿るのは憐憫のみ。

 何を不憫に思うのか、もちろんヒックには知る由もない。

 固まってしまったヒイラギにツカサが気づく。

「でも、ありがとう、ヒイラギさん」

 開いた距離を詰めることなく、言葉だけを近くにおいた。ヒイラギはぎこちなく、届かなくなった手を引っ込める。

「俺が君に気を使わせてどうするんだ」

 自嘲するように言葉をこぼした。

「貴方はそのままでいいの。これはただ私がこうだっていう、それだけの話なんだから」

「君ならきっとカマツのようになれるのに」

 ツカサはわずかに肩を揺らした。しかし直ぐに首を横に振る。

「言わないでよ。お母さんのようになるのは、もう無理なの。わかってるはずでしょう」

 諭すようなその物言いは、これ以上話すことはないというツカサの意志の現れだった。それでもヒイラギは何かを言おうとしたけれど、しかしそれが形になることはなかった。

「さよなら、できればその時には来ないで」

 うなだれるヒイラギを置いて、ツカサは扉を閉めた。暫く扉の前にヒイラギはいたようだが、扉が再度叩かれることはなく、遠ざかる足音が聞こえた。

「もう出てもいいかな」

「うん、いいよ。お待たせ」

 ヒックはもそもそと寝床から這い出た。伸びをして背中を舐める。一通り綺麗に整ったのを確認して、「さて」と言った。

「親しげに見えたけれど、彼は友人かい」

「あの人はヒイラギさん。私のお母さんの従兄なのよ」

「となると君の親族なんだね。ずいぶんと君のことを気にかけていたようだけれど、優しい人なんだね」

「どうかな。あの人はきっと私じゃなくて・・・。」

 ツカサが言葉に詰まる。

「ん?」

 ヒックが訝しげにのぞき込むと、直ぐに手を振って、なんでもないと示した。

「いや、うん。いい人よ。私が一人で生活するようになってから、ずいぶんとお世話になったわ」

「そうーーところで、明日の正午に何があるの?」

 前置きを終え、ただ核心だけを問う。

 周囲にいた男衆の気配は異様だったし、本題を告げた村長もただならぬ顔つきであった。きっと村にとって重い何かを告げたのだろうということは想像に難くない。ヒックが訊いているのはその根幹であった。

 準備が必要で、親しげな他人が気を遣うようなこと。

「いったいツカサは何をするのさ」

「ーー何もしないわよ」

「そんなわけないだろ。あの人たちは君に何かをさせるために、役割を与えるために来ていたじゃないか」

 ツカサはヒックの言葉に首を振る。そうじゃない、そうじゃないのだと。

「本当に何もしないの。私は何もせずにただ立っているだけ」

 続くツカサの言葉に、ヒックは身をこわばらせた。異質な物を、異なるものを、理解の埒外のものをこの星で初めて見たからだ。

 ツカサは言う。

「ただ何もせず、神様に食べてもらうだけだもの」

 その目は談笑していたときと何一つ変わらなかった。

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