第2話

エリーの物語


白狼王国第ニ王女シェーラ付きの護衛騎士であり、乳兄弟であった彼女は自分の仕事に誇りを持っていた。

しかし…


「姫様っ!!ぐあっ…!」


「シア!」


王女を狙った凶刃を背に受け、傷が醜く華やかさを失ったとして王女付きを外されたのだった。




「エリシア…先程、侯爵家から断りがあった。…瑕疵を理由にして…すまない」


申し訳なさそうに眉根を寄せて謝罪の言葉を口にするのは、エリシアの兄であるイオニス・ディ・ノルド、ノルド伯爵家の跡取りである。


「父がいれば…こうはならなかったかもしれない…すまない、不甲斐ない兄で…」


彼らの父親であるノルド伯爵は執務中に倒れ、以降眠り続けている。


「そんな事ないわ。兄様は凄く頑張ってくれてる。今回の事は避けようも無かった事。侯爵家の跡取りの婚約者が傷物なんて、醜聞にしかならないもの」


政略により結ばれた婚約、顔を合わせたのも婚約が決まった時のみ。

エリシアが姫の騎士として仕えていた頃、侯爵子息は学院にて春を謳歌していたと聞く。


「ノルド家の役に立てぬ事は残念ですが…正直、彼と婚姻関係を結ばずとも良くなった事は、私にとって僥倖です」


エリシアの晴れやかな表情を見て、イオニスは胸を撫で下ろした。

しかし、喜んでばかりもいられない…瑕疵を理由に婚約を破棄された彼女には今後、まともな縁談は来ないだろう。


「せめて、護衛騎士の任を解かれていなければ、まだ」


エリシアの顔が途端に曇る。

彼女にとって、シェーラ姫の護衛騎士解任の件はかなりのしこりとなっている。


「…私を解任するように言ったのは、姉姫のイザベラ様だそうです。…おそらく、王位継承に関わる事だと…あくまで想像ですが」


現在この国には王太子がいない。

王子が2人、王女が2人いるが、国王もまだまだ現役である上に特別秀でている者がいない事もあり、継承争いは硬直状態が続いている。

他陣営の勢力を削るという意味でも、今回の件は渡りに船だったのだろう。


「シェーラ様もエリシア騎士解任について抗議して下さったそうだが…撤回は難しいそうだ」


兄妹の中で1番幼い姫様は、発言力も弱い。


「…私は、それでも鍛錬を続けようと思います。この傷が癒えたら…また」


背中に残された傷はまだジクジクと痛む。

医師が言うには、傷跡が残るだろうとの事だ。


窓から見た空は、どんよりと分厚い雲に覆われていた。





傷を受けてから数ヶ月経ち、リハビリも順調に進み剣を握れるようになった頃、ノルド家に来客があった。

蒼い龍と剣の紋章を付けた大柄な騎士と、彼に守られる華奢な少女。


「シア…会いたかった!」


屋敷に入るや否やエリシアに泣きながら抱きついて来たのは、かつての主君シェーラ姫だった。


「姫様…私も、お会いしたかったです」


共に涙を流し喜び合う2人を微笑ましく見つめるイオニスと騎士。

しばらく抱擁を交わした後、落ち着いたシェーラ姫の口からその騎士について紹介がなされた。


「彼は蒼龍騎士団団長、ユージーン・ハウゼン。次の護衛騎士が決まるまでの間、暫定的に私の身辺警護を担ってくれてるの」


「おう、よろしくな。ノルドの嬢ちゃん」


噂には聞いた事があった。

平民出身者からなる蒼龍騎士団の団長は、かなり型破りな人物だと。

よく言えば豪快、悪く言えば礼儀知らず。

目の前の人物を見て、なるほどと思うエリシアだったが、不思議と不快な気持ちにならないのは、その人懐っこい笑み故だろうか。


「こちらこそ。しかし、嬢ちゃんはやめていただきたい、私の名前はエリシアです」


瞬間ぷっと噴き出し、鈴を転がすような笑い声が響いた。


「ふふふっ、ユージーンはね?私の事も変な呼び方なさるのよ。私の頼れるシアもユージーンから見たら嬢ちゃんなのね、ふふっ!」


笑っている姫様を見て、胸がじんわりと温かくなる。


「仕方ねぇだろ?俺から見たら嬢ちゃんは嬢ちゃんだし、チビ姫はチビ姫だし、坊ちゃんは坊ちゃんだ」


「この場合の坊ちゃんは…もしかしなくとも僕の事かな?」


釣られるように兄も笑って答えた。


姫様の側に仕えていた時、エリシアはいつも気を張っていた。

気心知れた我が家への訪問の際も、一瞬たりとも気を抜いた事などなかった。


じっと目の前の大柄な男を見つめる。


緊張感は感じさせないが…隙がない。

きっとここで姫様が狙われたとしても、この男なら難なく守り切るだろう、そう感じさせる何かがあった。


「ん?どした?」


それが私と彼、ユージーンとの初めての邂逅だった。





「たまにで良い、鍛錬相手になってはいただけないか?」


何度目かの遭遇時に、エリシアはユージーンに頼んでみた。


「あん?別に構わねぇが」


相手の答えは拍子抜けするほど軽かった。


「そ、即答だな。てっきり断られると思っていたが…」


「チビ姫の警護中はともかく、それ以外の空き時間になら付き合ってやるよ」


紫煙を燻らせながら、その人はニッと笑った。


「強くなりたいって言う若者を手助けするのも、年長者の役目だろ?」


蒼龍騎士団の団長は型破りだが、団員にはかなり慕われているらしい。

エリシアは、その一端が理解できた様な気がした。





その日の気分は最悪だった。


「あら、排除した筈のネズミが身の程知らずにもまだ元気に走り回っているようね」


ユージーンとの鍛錬が始まり、訓練場の出入りが頻繁になった頃、宮廷との渡り廊下で不快な人物に遭遇してしまった。


第一王女イザベラ、証拠は掴めていないが、エリシアがシェーラ姫付きの護衛騎士を解任された原因を作った人物であり、シェーラ姫と敵対関係にある人物だ。


「害獣駆除の依頼を出しておかないと、ねえ、ステフ」


「おっしゃる通りでございます、イザベラ様」


同調するのは、イザベラの護衛騎士ステファン。


下手に相手をするのは下策であると、エリシアは会釈だけして通り過ぎようとした。


「そういえば最近、卑しい平民の騎士と親しくしているそうね」


足がぴたりと止まる。


「害獣は害獣同士、仲良くするのがお似合いね」



カッとなるのは若い証拠だと、彼が笑う声が聞こえた気がした。 




「エリシア…」


イオニスは何度目かわからないため息を漏らす。


「ユージーン団長に、感謝するんだよ」


ついカッとなって手をあげそうになったエリシアを抱き寄せる形で止めたのは、イザベラがエリシアの後を追う様子を見て嫌な予感を感じとったユージーンだった。


王族に手を出したとなると、イオニスにもシェーラ姫にも庇いきれない。

よくて修道院送り、最悪は処刑される未来が待っている。


イザベラはそれを狙ってエリシアを挑発したのだろう。

彼女は、そういう人だ。


「……兄様、私、初めて父や兄様以外の殿方からの抱擁を受けました」


エリシアが呆然とした様子で淡々と語る。


「私、どうしたら良いのでしょうか」


「別に、いつも通りにしていれば良いと思うけど?」


姫様一筋で騎士の道を歩んでいた妹には、だいぶ刺激が強かったらしい。


イオニスは堪えきれず噴き出して、それを見たエリシアは酷く怪訝な顔をしていた。




「最近、ユージーンと親しいんですって?」


お茶の席で姫様がそんな事を言い始めた。


「まぁ、そうですね。最近では鍛錬の相手をしていただいてます」


「もう、そういう意味で言ったのではないのよ?一代限りとはいえ叙勲もされているし、それに、シアと結婚すれば…一代だけではなくなるかも」


途端、エリシアの顔が真っ赤に染まる。

あわあわと口を開き、声ならぬ声をあげる彼女を見てシェーラ姫は楽しそうに笑った。


「…シアが護衛騎士を解任された時、悲しくて悲しくて仕方なかったけれど…こうやって2人でのんびりお茶を飲んで、他愛もない話をするのも、良いものね」


「…たしかに、こういうのも悪くないです」


護衛騎士を務めていた頃は、常に気を張っていた為こんな風に笑い合う事はあまりなかった様に思う。

扉の外には信頼できる人がいて、何があろうときっと姫様を守ってくれる。

その安心感が、なんとも言えず心地よかった。



このまま穏やかな日が続けば良いと願わずにはいられなかった。





訃報を報せる鐘が鳴る。

一度も目を開く事の無いまま、ノルド伯爵は永遠の眠りについた。


悲しみに伏せる暇なく、悲報は続く。



「エリシア…今、王宮から使者が来た。姫様が…“魔の眠り”についた」




薄い呼吸に合わせて上下する胸。


「姫様…?」


呼びかけにも、何も、彼女は応えない。


“魔の眠り”に関して、エリシアはよく知っていた。

彼女の父が罹っていたのも、その“魔の眠り”だったからだ。


一度眠りにつけば最後、死ぬまで解かれる事はない死の眠り。

そしてこれは不思議なことに、“魔の眠り”に冒される者は国内に1人しか存在せず、罹った者が死ねば一分の隙なく誰かが罹患する。


だからこそ古の魔女の呪いだと言われ、そしてそれは貴族や王族など高貴な血筋のみに現れた。



悲痛そうに眉根を寄せる彼を見た。

どうして守ってやれなかったのかと詰りたい気持ちにかられる。

彼を責めても仕方のない事だと分かっていながら、それでもやりようの無い怒りが溢れてきて、エリシアはただ床を殴り、想いのまま泣きわめいた。





シェーラ姫が“魔の眠り”についてから、国の情勢も大きく変わった。

穏健派とされていたシェーラ姫の派閥が解体され、各方面へと流れていったからだ。


守るべき主君を失い、父を亡くし、親友さえ失いつつあるエリシアは、ただ呆然とその流れを見つめていた。



「よっ、ノルドの嬢ちゃん」


久しぶりに会うユージーンは、よく眠れていないのだろうか、その顔には濃い隈が残っている。


「今日は渡すもんがあって来たんだ」


覇気のない顔でぼうっと見つめるエリシアの視界が、1枚の紙で埋まった。


「チビ姫からお前に。本当はもっと騎士としての勘や自身を取り戻してから渡せって言われてたんだけどな…今の嬢ちゃんには、必要だろう」


震える手でそれを受け取る。

そこには、エリシアに対する感謝、謝罪、ありあまる親愛の気持ちが込められていた。

読み進めていくうちに涙が溢れてくる…


「…え?」


思わず声が漏れた。

そこにはこんな一文があった。


“私の大事な貴女を、リック兄様の白狼騎士団へ推薦します”


偉大な初代国王の名を冠する少数精鋭からなる騎士団。

この国でその名を知らぬ者はいない。


「で、これが俺からの推薦状な」


ポンっと軽く渡されたそれに、凄く重みを感じる。


「ま、待ってくれ!私が…あの白狼騎士団に!?」


混乱して頭が回らない。

選りすぐられた精鋭のみで構成される白狼騎士団。

しかも、姫様がリック兄様と呼ぶのは1人しかいない。


王弟殿下の子息、リカルド・フォン・クレセリア。

武も人柄も優れていて、非常に評判の良い人物。


そんな方が、今代の白狼騎士団の団長を務められているのか…。


「チビ姫は言ってたぜ、シアは努力家で強くて、自分の自慢の騎士様なんだと」


“シア”と微笑む姫様の姿を思い出す。


「さあ、どうする?」


ユージーンが挑発するように、ニッと笑う。

エリシアは応えるように笑みを返した。


「私は…必ずや姫様のご期待に沿ってみせます!」


空に向かって腕を突き出す。

あなたが誇れる騎士であれるように、と、エリシアは決意を固めた。




「エリシア・ディ・ノルド。親しい方には、シアと呼ばれていました。ですがどうか…私の事はエリーとお呼びください。私はここに、白狼騎士団の1人となりに来たのですから」


それは彼女なりのケジメであり、希望であった。



「白狼騎士団、エリー。偉大なる白狼王の名の下に…守り通す!」


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白狼騎士団 @listil

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