7話 儀式

「何だったんだあれは……」

「だから神様でしょ。すっごいフランクだったけど。まあ、漫画でも神様が出てきた時って最初から馴れ馴れしいことが多いし、あんなもんなのかもね」


何らかの理由で神様と一緒に巨悪を倒す物語でも、付喪神と恋愛する物語でも、神様キャラは大体出会い頭から主人公に馴れ馴れしい。主人公側は敬っている場合もあるけど、最初から不遜な態度を取っている場合もあるしこれで問題ないだろう。神様によっては最初からタメ口だとダメな場合だってあるだろうが、おどけていただけで怒ってはいなかったから大丈夫だろう。


「人助け……ねえ。誰か助けて欲しい人いるのかしら」

「そりゃー街に襲撃に来る化け物や人間の撃退だろ。……なー、マジでやんのかよ。俺やりたくねえんだけど」

「でもさっきも言ってたけど、人助けしないと元の世界に帰れないみたいよ。ま、どういう理由で困ってるか分からないんだけど、別の世界から人助け要因を呼ばなきゃならないぐらい困ってるなら、頑張ってもいいんじゃない?」

「……お前のお人好しさ、俺にはやーっぱ分かんねえよなあ」


仁沙は宿題も勉強も基本面倒だと嫌がるくせに、誰かに何かを頼まれた時には基本嫌がらない。部活も本人は帰宅部でいたがるぐらいにめんどくさがっているくせに、大会があるとか強い相手がいるとかメンツが足りないとかで頼み倒された場合に断っているのをほとんど見たことがない。

ただ、何でもかんでも受けているわけではなくてちゃんと基準も設けられているようだ。女の子の頼み優先だとか、先約優先だとか、レギュラーメンバーとして選ばれるのは嫌がるだとか、あからさまに男に馬鹿にされている時は後で殴りに行くとか。

ずる賢い人間や裏表の激しい女の子に関しては、裏で仁沙にばれないように便利人間扱いしていて、甲賀はさすがに苛立って仁沙に告げ口したことがある。その時は「あたしが直接聞いたら殴るわ」と言うだけで特に何もしなかったから、甲賀の苛立ちが特に収まらなくてご本人との『平和的解決』に持ち込んだ。

ちなみに勉強に関しては普段から八郎太に教えてもらっているのを知っているからか、誰も教えて欲しいと言う人はいない。むしろ八郎太にノートをコピーさせて欲しいと頼む人間の方が多い。八郎太はきっちりお菓子だとか弁当のおかずだとかで見返りを求めてから貸している。


「甲賀にアピールするためにやってるようなもんでもないし、分からなくてもいいわよ」

「むしろ誰かにアピールしたいっていう、分かりやすい行動原理があってくれた方が良かったよ」

「ふふん。謎が多い方がミステリアスな美女って感じするでしょ」

「おまえを見てミステリアスな美女を連想する人間なんて、霊長類の中ではゴリラぐらいしかいないと……いって!」

「八郎太、うるさい」


**********


本日から訓練場に仁沙も加わったわけだが、わくわくしながら説明が始まるのを待っている仁沙に、セレンは実に居心地の悪そうな顔をしていた。

どうもセレンの価値観では女が戦場にいるというのはありえないようだ。昨日は用意されなかったが、いそいそと膝や肘につけるタイプの防具が用意されている。こんなものがあるなら早く出して欲しかったと八郎太も甲賀も思う。


「うーーーん……。どれも重くて持てないわ……」

「ナイフとかはどうなんだよ?さすがにこのサイズのナイフが持てないとかないだろ」


仁沙が困ったのは武器選びだった。仁沙は喧嘩はそこそこするのだが、筋力も握力もそこまであるわけではない。これで喧嘩で負けたことがあまりないと言うととても驚かれるのだが、体力測定で計ったもので握力だけは女子の平均程度だった。ついでに腕相撲も不意をついても勝てないぐらいだ。

仁沙の戦い方は速さと柔軟性の高さを活かしたものだ。喧嘩の途中で身の回りにあるものをぶつけたりすることはあるものの、最初から武器を持つことはない。

仁沙でも持てるナイフで、サバイバルナイフもあったので八郎太が試しに持たせてみたが、どうもしっくり来ないみたいで逆手に握りながら首を傾げていた。


「うーん……。パンチとキックの方が慣れてるんだけど、それじゃあダメなのかしら……」

「え。いやさすがに武器があった方がいいと思うんだけど」

「普段使い慣れてない武器で戦っても当たんないでしょ」

「えー……。じゃあこういうのはどうだよ。せめてこれぐらいはつけろよ」


八郎太が防具が入った箱から取り出したのは、膝から足先までを覆える銅の脛当すねあてだった。これならば仁沙の蹴りの威力も上げてくれるだろうし、もしも剣で斬られたり火あぶりにされたりしても少しは守ってくれるだろう。本当は鉄の脛当てがあれば良かったのだが、残念ながらなかった。

が、これに関しても仁沙は難色を示していた。


「えー……。重いし可愛くなーい」

「重いのは銅なんだから当たり前だ。むしろ鉄とかより軽いんだから我慢しろよ。っつーか可愛くないって、防具に可愛いも可愛くないもねえだろ」

「RPGの防具は高くなればなるほど女の子向けの防具は可愛くなってるわよ!」

「あれは魔力とかがこめられてるからだよ!普通あんな露出激しめの薄い布の塊が防御力高いわけねえだろ!まだパジャマの方がマシだ!」

「やだー!可愛くないものは着ないー!」

「おまえ普段全然オシャレしないし寝癖だってそのままなのに、こんなところだけこだわるなよ!」


意地でも何か武器か防具を持たないと許さない八郎太に、仁沙はぶーぶーと文句を垂れながら銅の脛当てを受け取る。

自分達より圧倒的に強いということで戦場に引っ張り出したくせに、こんなところだけやけに過保護になるのは勘弁して欲しい。

なお、この間セレンが何度か「嫌ならやめても……」とか「無理そうなら帰ってもらったら……」と小さく声をかけていたが、全く聞かれていなかったので諦めて無言で武器選びを眺めていた。その様子を眺めていた甲賀の方も遠い目になっていた。

座ってベルトをはめる形で銅の脛当てを足にはめ、立ち上がって歩き出した仁沙はやっぱりしっくり来ないと眉をひそめていた。当たり前だが運動靴の方が歩きやすいし、何なら装備を選ばず運動靴で戦いたいぐらいだが、それは八郎太が許してくれないだろう。


「これでいきます」

「めちゃくちゃ不満そうだが、本当にいいのか?」

「何かつけないと怒るうるさいやつがいるんで」

「……まあ、俺も何も装備しないって言われたら強制的に帰らせたがな。じゃあ次は水晶の使い方をーー」

「おや、そちらの女性も自警団に参加されるのですか?」


いつの間にか後ろから、この場にいないはずの第三者の声が聞こえて振り返る。

声をかけてきたのは、昨日最初に出会った3人の祭司だった。昨日見た時と同じく、目深のフードで口元まで隠している。こんなに顔全体をフードで覆ってしまっていて、前が見えているのだろうか。

昨日セレスから嫌というほど祭司についての話を聞いて知ったのだが、この3人の祭司にはそれぞれ『アル』、『イル』、『ウル』という名前があるらしい。非常に覚えやすい名前なのだが、どの祭司がどの名前なのかはさっぱり分からない。


「祭司様。……はい。ただ、俺としては訓練で諦めて大人しく宿に帰ってくれればと考えていましたけどね」

「まあ、戦力が増えるのはいいことだと思いますよ」


祭司の1人が仁沙の方を向いて言ったものの、フードのせいでどんな表情で言ったかが分からない。このフードは引きこもり陰キャにはぴったりなアイテムだが、この街の祭司のような、人を導いている存在には不似合いだ。


「祭司様は、どちらへ?神殿を離れるなんて珍しい」

「そろそろ儀式の時期ですからね。セレスと儀式の打ち合わせをしに行くんですよ」


『儀式』という単語を聞いた途端、セレンの表情がぴしりと固まる。説明用につまんでいた水晶を、力がなくなってもなお握りしめたみたいで、石の粉が指の間からこぼれ出た。


「そ、そういえばそんな時期ですね。……姉も祭司様のお役に立ちたいといつも言っておりましたので、喜ぶと思います」

「そうですね。セレスは街の皆のことを良く考えてくれるいい子ですから。……セレン、あなたも喜んでくれますか?」


じっとセレンの方を向く祭司の表情はやはり伺い知れない。ただ、祭司に返したセレンの笑顔が無理やり作られたものだということは分かった。


「ーーもちろんです。姉が誇りある役割を与えられたのですから」

「…………」


絞り出したセレンの言葉は震えていた。それを気にしてかそれとも別の意図があったのか、祭司の1人がしばらく黙ってセレンの方を見る。


「……そうですね。ではセレン、誇りある姉に負けないように、あなたも頑張ってくださいね」

「はい。ありがとうございます」


黙ってセレンの方を見ていた祭司とは別の祭司がセレンを鼓舞するように肩を叩き、その場から立ち去る。

祭司2人はその後一目散に宿屋の方に向かったのに対し、セレスについての話をしていた祭司は何か言いたげにセレンの方を振り返っていたのが気になった。

祭司が見えなくなった後も、セレンは俯いて両拳を強く握りしめていたので、仁沙が声をかけた。


「……セレン、さん?」

「…………」

「あのー……」

「……!あ、ああ……何だ?」

「いや……何か調子が悪そうだったんで……」


仁沙に向けた顔も心なしか青い。今の祭司との会話でかなりの懸念事項があったのか。

が、セレンはふるふると首を横に振った。


「……何でもない。それより訓練を始めるか。水晶の使い方から、だっけな……」

「やめといた方が……。今のセレンさん、パンチ一発で沈みそうだし……」

「いや、お前のパンチ受けたらどんな元気なやつでも気絶するだろ」

「さすがに普段から戦い慣れてる人を一発KOとか無理でしょ」


横から甲賀の茶々が入ったのでツッコんだものの、今ぐらいに弱っている人間なら熟練の戦士でも簡単に倒せそうだ。


「別に体調を崩したわけでもないから問題ない。それよりも自警団に本当に入るなら、ちゃんと水晶の使い方を学べ」

「それは何となく分かったからいいです。握ればいいんでしょ?」

「……まあ確かに、間違ってないが。まだ何の説明もしてないのに……」

「さっきうっかり握ってて、石を粉々にするとこ見てたんで」


普段別に空気を読める人間なわけでもないのに、こういうところだけ目ざといのは八郎太も甲賀もいつも驚く。

セレンも驚いたのか、それともうっかり握り潰したところを見られたのに微妙な気持ちになったのか、何か言いたげだが何も言えない顔をしていた。


「あ。そーだ」

「何だ?」

「セレンさん、あたしと勝負してくださいよ。水晶を使った状態で一対一で戦って、先に地面に相手の体をつけた方が勝ちってやつ」

「……は?何でそんなことしなきゃならない?俺は女と戦う気は」

「あたしが勝ったらセレンさんに聞きたいことがあるんで、それに答えてください。セレンさんが勝ったら、あたしは自警団入りを諦めます」


仁沙の自警団への参加が本当に嫌だったのか、セレンは黙り込む。本気で戦って怪我をさせるのも嫌だが、これで自警団に入るなんて言わなくなるならありかと考えたのだ。

これに焦ったのは八郎太と甲賀だ。仁沙を自警団正式メンバーにして自分達は無事元の世界に帰るまでは漁師として悠々自適な生活をするつもりだったのに、何を抜ける気満々でいるのだ。


「お、おい仁沙!何でいきなり訳の分かんない賭けしてるんだよ!」

「そうだよ!お前が自警団に入れなくなったら、俺達ずっと自警団で働かないといけないんだからな!」

「何であたしが自警団に入ったらあんた達が入らなくていいって前提になってるのよ……。情報を聞けるいい機会だと思ったのよ」

「情報?」

「そう。さっきのセレンさんの様子を見るに、あの白麻って神様が助けて欲しいって言ってたのは、多分セレンさんかセレスさんのことだと思うのよ。何かあからさまに悩んでる雰囲気ありまくりだったし。ただ、普通に聞いたんじゃぽっと出のあたし達に悩みなんて打ち明けてくれなさそうだったから、それで賭けを持ちかけてみたわけよ」

「……おまえそのキレまくりの閃きを何で実生活で生かせないかなあ……」


この世界に来てから、仁沙の閃きっぷりがすごい。話を聞いたらちゃんと納得できるものだし、これだけちゃんと納得できる説明ができて、なぜ勉強が全くできるようにならないのかが不思議でたまらない。やはり興味の方向性の問題なのか。


「……でもおまえ、相手は化け物相手にも兵隊相手にも生き残ってきたような人間だぞ。そんな相手に特に条件つけずにタイマン張るとか……」


せめてセレンに対してハンデを申し出るぐらいのずるさが欲しかった。ハンデを申し出たら引き受けてくれるかどうかは分からないが、セレンは女を弱い生き物と見ている節があるし、もしかしたらオッケーしてくれたかもしれない。

そんな八郎太の発言に、仁沙がニヤリと笑った。


「あたしが負けると思ってるの?」


確かに仁沙が負けた時なんてほとんど見たことがない。いや、正確には仁沙は負けても勝つまでリベンジマッチを仕掛けるので、負けで終わらないだけだ。

最近はそもそも負けること自体が減ってきたので純粋な勝率自体は8割程度か。2割は負けているのだから、絶対に勝っている認識は間違っている。これはあれか。ギャンブルで負けた記憶がなくなっている理論か。実に良くない。

そんなわけで本人は根拠のない自信でいっぱいだし、甲賀もその自信に当てられて勝てると思ってしまっているが、八郎太は不安だった。

セレンの方は逆に怪我をさせてしまわないか心配しているようだ。昨日持っていたのは腕の長さぐらいの片手剣だったのだが、まだ当たっても致命傷にならないようにと棍棒か鉄の杖かで悩んでいる。棍棒でも鉄の杖でも当たりどころが悪ければ死んでしまうのだが、どの武器でもそれは一緒なので仕方ない。


「……で、おまえは何でそんな装備なんだ?」


仁沙が装備しているのは、鉄兜だった。頭が重いのに慣れていないのか、かぶった瞬間ふらふらしている。しかもサイズが合っていないみたいで前が少し見えにくそうだ。

確かに頭を守るのは大事だ。スポーツをする際もバイクに乗る際も、ヘルメット必須の場合が多い。しかし今回セレンは相手に重傷を負わせないようにしているため、頭を狙われることは少ないだろう。そう考えると別の防具をつけた方がいいのではないか。サイズが合っていないにしても、別のものの方がまだマシな気がするし。

良く見ると八郎太が選んであげたはずの銅の脛当てもつけていなかった。一体何を考えているのか。


「これでいーのよこれで」

「いやどう考えてもいいように見えないから聞いてるんだけど……」


セレンだってまさかこれで本気だとは考えていないようで、頭が大丈夫かと心配するような視線を向けてきている。

しかし本人は大真面目だし、甲賀だってなぜだかこれで仁沙が勝利すると考えているようで、右拳を天に掲げて元気に応援している。彼らの思考回路が全く分からない。

兜をかぶったままだと、取れそうな水晶の欠片を見つけるのにも苦戦していた。何度か真ん中の鎧に体をぶつけた挙句に煩わしそうに兜を外して水晶の欠片を取っていた。

セレンが先程やっていたみたいに強く握り込むと、緋い光が漏れて体に吸い込まれていく。そのまま更に握っているとただの石と化した水晶が砕け、下に向けて指を開くと石の破片がパラパラと落ちた。


「……一応言っておくが、水晶を使っても怪我をしないわけではないからな。肉が硬くなるわけではないから、特に防御力には変わりない」

「なるほどー……。万能ってわけじゃないんですね」


仁沙が再度兜をかぶり直そうとしていたので、準備が終わるまで待った。手加減して適当にあまり痛くない程度に体を倒すだけの予定だし、女相手ということで油断しきっている。

その油断が、想定外の事態を招いたが。


「……もういいか?それじゃいくぞ……って!?」


今かぶったはずの兜をフルスイングで投げてきたことでセレンは虚を突かれ、目を見開く。

驚いている間に左側頭部に強烈な衝撃を受け、気付けば自身の体は地面に横たわっていた。

仁沙は兜を投げた後、2歩助走をつけてセレンの方に飛び上がり、後ろ回し蹴りを側頭部に喰らわせて横に吹っ飛ばしたのだ。

なお、その場に着地して飛んで行ったセレンを見た本人も、いつもよりスピードと攻撃力が上がったことに驚いていた。頭に当てるつもりだったし念のため銅の脛当てを脱いで靴下姿になっていて本当に良かったと思った。


「……おまえそれ、ずるくね?」


侮っていたのはセレンの驕りとは言え、手加減しようとしていた相手に対して不意打ちで勝つとは。

ドン引きとまではいかないが、正々堂々と言いがたいのではないか。

が、仁沙は八郎太のその反応に不服そうだった。


「何言ってるのよ。ちゃんとタイマンだし、油断してくれなんて頼んでないわよ。先手必勝とは考えてたけど」

「そうだそうだー!ルールに外れてさえいなければ、使えるもんは何でも使うのが正しい喧嘩ってもんだろー」

「……そういえば兄貴も何でも使うタイプだったな」

「お前も人のこと言えねえだろ」

「うっ……。……いやでも、オレは相手が乗り物つきで来たり、仲間大勢引き連れて来たり、刃物とか持ち出した時だけだから……」


甲賀や八郎太など、まだ兜を投げて驚かせるなんて序の口で、砂で目潰しだのあちこちに転がってるものを何でも使ったりするだの、気絶させた相手の仲間を武器にするだの混戦になれば何でもありだ。仁沙はまだほとんど身1つで戦うことが多いのに、そんな八郎太にずるいと言われるなんて心外過ぎる。


「……何が起こったんだ……」


セレンが仁沙に蹴られた左側頭部を押さえながら立ち上がる。衝撃はあったものの、何が起こったのかさっぱり分からなかった。今でもズキズキと痛むから何かが強くぶつかったことは分かるのだが、何がぶつかったのかは目で追いきれなかった。


「お前、魔術師だったのか……?」

「いや、普通に蹴っただけです……。そりゃいつもより吹っ飛んだなあって思いましたけど……」

「……お前本当に女か?」


どうやらセレンの中の女の概念が覆されたようだ。仁沙としては『心外な!』という気持ちでいっぱいだが、今回の目的は勝つことなのでまあ許そう。


「約束通り、あたしが聞きたいことに答えてくださいね」

「いや待て。こんなに強力なら、民間人のフリをしたスパイという可能性もある。この街に関することなら答えられない」

「あたしにスパイなんかできるわけないじゃないですか!水晶の力のおかげなだけで、あたしはちょっとだけ喧嘩の強いただの女子中学生ですよ!」

「……ただの女子中学生はちょっとだけ喧嘩が強いとかないんだよなあ……」


しかも、『ちょっと』だなんて控えめに言えるほど大人しいものでもない。

ほぼ聞こえない程度に呟いたのに、なぜだか感づかれて足を踏まれた。しかも呟いた八郎太ではなく、思うだけで留めておいた甲賀がだ。とんだとばっちりである。


「……まあ、あたしはセレンさんの悩みを聞きたいだけなんで、この街とは関係ないことかと」

「俺の悩み?俺に悩みがあるとでも?」

「いやあるでしょ。さっき祭司……様が立ち去った直後、ものすごく調子悪そうにしてましたし」


この『様』をつけないと目つきが険しくなるのをやめて欲しい。まあ、今回は祭司の話題そのものが好ましくない話題だったのか、表情の曇りが取れることはなかったが。


「姉さんが、もうすぐ……」

「え?」

「……いや、やっぱりダメだ。お前達はやっぱりスパイな気がしてならないし、もしスパイじゃなくても、そもそもよそ者のお前達に言うようなことでもない」

「えー!!約束破るんですか!?」

「俺はそもそも、お前が無理やり約束を取り付けようとするのを肯定はしていなかった。単純にお前が、俺が納得したと思って話を進めていっただけだ」

「はい!?……え、でも一応勝負はしましたよね?」

「俺はお前と一対一サシで戦うのには納得して戦っただけだ。お前の問いに答えるなんて一言も言っていない」

「そんなわけ……」


仁沙はセレンがどんな態度を取っていたかを思い出してみた。

思い返すと、仁沙の賭けに対して黙り込んで否定はしなかったものの、別に乗ってやるとも問いに答えてやるとも言っていなかった。否定をしなかったことで勝手に賭けに乗ってくれたと思い込んでいただけだ。

これでは確かにセレンに問いかけに答える必要性が発生しないため、いくらでも言い逃れは可能だ。ちゃんと聞き出すには、賭けに乗ってくれるという言質げんちを取っておく必要があった。


「じゃあもう1回!もう1回勝負してまたあたしが勝ったら質問に答えてください!」

「お断りだ。次も負ける気はないが、必ず勝てる見込みのない勝負に重要機密を差し出す馬鹿はいないだろう」

「重要機密なんですかそもそも!?」

「俺の個人情報は俺にとって最重要機密だ」


その言い分は確かに分かるものの、先程何か話しかけて言いよどんだところから考えても、重要機密と言ったのはそれだけが原因じゃない気がした。


**********


「うー……。うまくいくと思ったのに……」


その後、「お前の強さは分かったが、お前が一緒にいると面倒だ」というわけで結局一緒に戦うのはなしになり、宿屋に帰されてしまった。どうもセレンは個人の強さの評価よりは上司の機嫌取りができるタイプを好むようで。まあ軍隊としては集団の和を乱さない者を好むのかもしれないが、あんな少数で隊の規律も何もないだろう。

八郎太と甲賀は完全に仁沙が自分の代わりになってくれることを期待していたみたいで、宿屋に強制送還が決まった時には恨めしそうな目を向けられた。

宿屋の入り口では祭司とセレスが親しげに話していたので何だか足を止めてしまった。仁沙が見る時にはいつも3人1組で行動していた祭司が、今は1人しか見当たらない。まあ、仁沙だっていつも八郎太と甲賀と行動しているわけではないからそれと一緒か。


「セレス。僕は君が望むなら、次の儀式を行う相手は他の人間でもいいと思っているんだけど……」

「もう、ウル様は最近いつもそれをおっしゃいますね。私はウル様のお役に立てるんだから嬉しいって何度も申し上げてるのに」

「でも僕は……」


そこで祭司が宿屋の入り口からちょっと離れた位置で、どうしようか固まっていた仁沙を見つけて言葉を止める。どうしたのか気になって祭司が見ている方向に顔を向けたセレスも仁沙の存在に気付いてにっこり笑って声をかけた。


「あら、ニサちゃんお帰りなさい。セレンと一緒に訓練に行くって言ってたのに、1人で帰ってくるなんてどうしたの?」

「いやちょっとセレンさんに嫌われちゃって……」

「まあ。ニサちゃんとってもいい子だし、あの子何か勘違いしたのかしら。後でちゃんと聞くわね。今はウル様とお話してるから、ニサちゃん先に宿屋に入っておいて」

「……いや、僕の用件はもう終わったから仕事に戻ってくれ。呼び止めて悪かったね、セレス」


くるりと背中を向け、右手を手元でひらひらと振って滑るように立ち去って行った。足が悪いのだろうか、ずいぶんと引きずるような歩き方だ。

セレスはまだ祭司と話したかったのか、名残惜しそうな顔をしていた。名前まで呼んでいたし、他の者よりも親しいのかもしれない。


「仲がいいんですね」

「そうね。私とセレンは途中からウル様に育てていただいたから。ほら、以前お話したでしょう?餓死寸前だった私達を祭司様が救ってくださったって。その救ってくださった張本人がウル様なの」

「なるほど……。それだけ仲良しだから、どれが誰かってのも見分けつくんですね」


仁沙はここに来た時神殿で1回と先程訓練場で1回と、合計2回祭司を3人見る機会があったのだが、どれがそのウル様なのか全く分からない。何せ皆顔がフードで見えないし、手も足も同じローブで隠しているのだ。身長だって微妙に違うものの、ほとんど変わらない。これで見分けろというのは双子を見分けるより酷だ。せめてローブの色ぐらい変えておいて欲しい。


「そうねえ。私も最初は見分けがつかなかったけど、ウル様だけ分かるようになったわ。何となく雰囲気がね、1番優しい方」

「そうなんですね?」


この情報だけで仁沙が祭司を見分けられるようになる気はしない。

それにしても、セレスの祭司を見る目は何となく親代わりの相手に対するものではない気がした。それが何なのかは仁沙には分からなかったが。


「そういえばセレスさん、祭司様と何の話をしてたんですか?」

「儀式のお話よ。そろそろ儀式の時期も近いからね」

「儀式……って何の儀式なんですか?」


セレンと祭司が会話した時にもちらっとこの単語を聞いた気がする。何となく響きだけでも怪しく思えるのだが、神殿なんてものがあるぐらいだから儀式だって日常的に行われるのか。

セレンはこちらをスパイ認定しているので何も答えてくれなかったが、セレスは質問すれば大体答えてくれるので聞きやすい。

今回も、もし仁沙がスパイだったとすれば、持ち帰れば間違いなく上司から褒めてもらえた情報を聞き出すことができた。


「この街の水晶を枯れないようにする儀式よ。儀式を行わないと水晶がダメになっちゃうらしいからね」

「へえ……。石なのに枯れちゃうって不思議ですね」

「何せ特殊な鉱石だからね。定期的に儀式で命を吹き込んであげないといけないの」

「どんな儀式なんですか?祭司様がセレスさんを儀式を行う相手って言ってましたけど、セレスさん何かするんですか?」


仁沙が知っている儀式というのは、仁沙の住んでいる国では『ミサ』と呼ばれているもので、神父が壇上に立って神にパンやら葡萄酒を差し出して祈るというものだ。そこで洗礼を受けたい人間が壇上に向かうと、神父を通して神の祝福を得られる。

セレスの役割も神の祝福を得る人間なのだろうか。もしくは、全員当番制で神父役をしているのか。しかし、神父をセレスが務めるとしたら祭司はどんな位置づけになるのだろう。

色々考えていたが、セレスの回答は仁沙の思っていたどれとも違った。


「水晶に命を捧げるの」

「……え?」

「あ、ごめんね。アバウト過ぎて分かりにくかったわね。まず祭司様が私を刺して、その血液を供物くもつに水晶に祈りを捧げるの。すると水晶が私の血液を吸って水晶がその後1年間は枯れなくなるの。厳密には1年以上もちそうって話なんだけど、1年以上経ったらどのタイミングでダメになっていくか分からないから、とりあえず1年ごとに儀式を行っているわね」

「刺されるって……腕をちょっと刺して血を出すとかそういうのですか?」

「それじゃ水晶に充分に命を与えられないわ。大体右胸の下辺りを刺して大量出血させているわね」

「そんなところ刺したら死んじゃうんじゃ……」

「だから水晶に命を捧げるって表現したのよ」


あっけらかんとしているセレスの声音と内容のえげつなさの温度差に混乱していた。

セレスの言葉から察するに、セレスはこれまでに1年ごとに何度も人が死んでいるところを見ている。そして今年はセレスが死んでしまう年なのだ。

それなのにそのことを悲しみも恐怖もなく穏やかな笑顔で説明しているなんて、仁沙の常識ではありえなかった。

そして、だからセレンが暗い顔をしていたのかということも納得した。自分の姉がもうすぐ死んでしまうと分かっていて、冷静にいられるわけがない。


「……嫌じゃないんですか?全然辛そうな顔してないですけど」

「どうして?」

「どうしてって……。殺されるんですよ?普通嫌じゃないですか?」

「私が儀式に出れば、この街の皆が豊かに暮らせるの」


豊かに暮らせるとは言っても、食糧事情が改善されたわけではない。確かに圧倒的武力は身に着けてそうなので、近隣諸国に攻め入れば一気に街を大きくすることもできるだろうが、特に自らあちこちに攻撃するつもりもないようだ。


「それにね。私祭司様の……ウル様のお役に立ちたいの。街の役に立ちたいってよりは、こっちの方が本音かな」

「セレスさんに死ぬことを望むような人のために役に立つ必要ないですよ!」

「……ウル様は、私が儀式に出ることは望んでいないわ。ウル様が特に私を選んだわけでもないし、何なら私に何度も儀式に出る人を変えないかって持ち掛けてくださってる。自分なら発言することもできるからって」

「それならなおさら、セレスさんが儀式に出る必要ないじゃないですか。……いやそりゃあ、その場合他の人が儀式で刺されることになっちゃうから、それはそれで良くないですけど……」

「私が。私がウル様のお役に立ちたいからいいの。ずっと私を助けてくれたウル様に私が報いれることなんで、これぐらいしかないんだから」


そこまでセレスを突き動かす理由は、やはり仁沙には分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る