6話 幽霊少年

狼と戦った後セレンと改めて訓練をすることになったので、身も心もクタクタボロボロになった八郎太と甲賀を迎えたのは、慣れない仕事ながらも楽しそうに働く仁沙だった。


「おかえり!自警団はどうだった?」

「見ての通りだよ」

「……あんまり楽しくなかったってことね。後で詳しく聞こうじゃないの」

「詳しく話すほどのもんでもないけどな……。あー、でもおまえはこっちの方が向いてるかもしれねえな」

「失礼ね。宿屋の仕事も楽しくやってるわよ」

「3回ほどシーツをドロドロにして怒られながら、だけどね」


セレスの腕に抱えている大量のシーツは、仁沙が干そうとしては地面にぶちまけ、また洗って干そうとしては地面にぶちまけ、を繰り返して現在4回目の洗濯を終えたところだ。最初は失敗して困っていた仁沙に優しく声をかけていたセレスも、さすがに4回目となればちゃんとして欲しいときつめに注意するしかなかった。

ただ、大雑把で家事に関して絶望的なだけで、真面目にやろうとしているのは分かっている。窓拭きも四角く拭くのがポイントだと伝えたら、ちゃんと四角く隙間なく拭こうとしていた。力強く拭きすぎて窓がガタガタいっていたので更に注意することになったのだが。

仁沙としては頑張っているつもりなので曖昧に苦い笑いをセレスに浮かべていたのだが、八郎太はため息をついていた。


「……おまえはそんな適当な仕事でも問題ないんだな。代わって欲しいよ」

「適当って失礼ね!?あんたの仕事は自警団だっけ?いいわよ、代わってあげるわ。確かにあんた家事得意だし、こっちの方が向いてるでしょうね」

「あ!ずるい!!俺も代わって欲しい!自警団辞めたい!!」

「オレが先に代わってもらうって言ったから、兄貴は引き続き自警団やってくれ」

「そんなのありかよ!?日替わりで!シフト制でお願いします!!」

「……お前達、女に危険なことを代わってもらおうだなんて、男の風上にも置けないぞ。というか最初にも行ったが、女を連れて行く気なんてない」


先程も思ったが、セレンは今時なかなか見ないフェミニストだ。文明レベルというか思考レベルが、絶賛戦争が起こっていた時代のものなのか。まあ自警団が万年人手不足な時点で戦争が良く起こっている時代と変わらないのだろう。

ただ、島国でも戦争黎明期には女も戦っていた。何なら別の国では女が旗を持って戦争を勝利に導いていたなんかも聞く。戦士達の怪我を看ることが専門の看護師もいたとか何とか。

まあ元の世界で女扱いも大事に扱われることもほとんどないため悪い気はしないのだが、最初から戦力外通告されるのは気に食わない。


「八郎太達でも生き残ったんだから、あたしも戦えますよ」

「……その謎の自信は何なんだ?」

「だって八郎太と甲賀よりも、あたしの方が強いですもん」


『この女は何を言っているんだ』という視線を仁沙の方に向けていたが、八郎太と甲賀の方を向いてもぶんぶんと首を縦に振っていたもんだから、そういう文化の国もあるかと少しだけ考え直した。

街に攻めてくる兵も年齢は問わないが男しか見たことがなかったし、街で戦っている人間だって全員男だから意識する機会はなかったし、確かに女が戦う国だってあるのは本で読んだことがある。何なら女しかおらず、女が戦うしかない国だってあるらしい。

そんな国だと、どうやって次の世代を生み出し続けているのか謎だ。定期的に別の国から男を調達しているのか、それとも女同士で子供ができるようになった超人類なのか。


「……なら、明日は女もついて来い」

「やった!じゃあ俺と代わってもらうようにして……」

「いやオレの方が先に仁沙と代わってもらうって言ってたから!」

「男2人をいらんとは言ってないぞ。俺はまだ、女の実力は見せてもらってないんだから、女が自分の方が強いと言った発言は信じてない」

「え!!!!」


濁点がつきそうな驚きと落胆だ。地面に這いつくばってモアイ像みたいな顔になっている。さすがにここまで落ち込む八郎太と甲賀も珍しいので、写真に残したい気分になったものの、確かスマホを出すのはダメだと言っていた。


「……まあ、とは言っても毎日化け物は出るわけではないから、戦闘訓練をして終わりな日もあるんだがな。それでも実力は見れるから構わんだろう。少なくとも明日はそういう日だと思う」

「化け物は何日か置きに定期的に出るって感じなんですか?」

「いや、かなり不定期だな。ただ2日続けて化け物が出たことはない」

「ふーん。化け物ってどこから来てるか分かってるんですか?」

「……いや、色々なところに現れるから、どこから現れるかは特定できていない」

「えー、残念」

「何でだよ?」


セレンの返答に仁沙が口を尖らせたので、甲賀が何を思ったのかと尋ねる。

確かに化け物がどこから現れるのかが分かっていれば、もっと心の準備ができたとは思うが。あの突如鎧にボトっと落ちてきた時の胃の縮み上がり具合はもう経験したくない。


「だってその化け物が出現する場所が分かれば、化け物の巣が近くにあるって分かるじゃない。その巣を探して巣ごと潰しちゃえば、もう化け物が生まれないんだから現れないでしょ」

「1体でも大変なのに、巣なんてつつける気がしないんだけど!?」

「でも巣を潰さないと、いつまでも生まれるわよ。化け物討伐の仕事だってなくならないわ」

「お、俺はもし巣を潰す話になっても参加しないからな!」

「オレだって!!」

「もう、意気地なしねえ」


まあこんな意気地なしでも、元いた場所では問題なく生きていけるから構わないと思うが。

元の世界では国単位で不戦の誓いを立てているので、どこかと戦うことにはならない。もし変なものが出たとしても、この街みたいに男は全員戦いに招集されるわけではなく、志願した者から公務員という形で兵士になる。ということは、志願さえしなければ巨悪に立ち向かう根性がなくても問題ないのだ。

2人共夢なんてものはなく、サラリーマンとして企業に雇われて細々と銭を稼ぎ、妙齢になれば好きな女性と結婚して家庭を持てればいいぐらいに考えていた。確かにベンチャーで一山当てたり芸能人になったりできるなら派手な生活ができるんだろうが、うまくいく確率がかなり低いのを知ってる。


「……巣か。やっぱり潰さなければならないんだろうな。……でも」

「へ?」

「ああ……いや。何でもない」


どう考えても何でもなくなさそうなんだが、深掘りできるほど仲良くもないし、仁沙はもやもやを抱えたまま解散まで過ごすこととなった。


**********


宿での食事は元いた場所のものとそこまで大差はなかったものの、元いた場所と違って飽食の世界ではないようで肉はなく、そしてちょっと少なかった。最初雇われだからこんなに少ないのかと思っていたのだが、隣のテーブルで食べている客らしき人も同じような量だったので、この街の人間は皆同じように少ない食事なのだと気付いた。


「ここの街って、皆ほどほどにしか食べないんですね……」


皿の真ん中に少ししか乗っていないという極端なものではないが、甲賀みたいな育ち盛りの中学生には全く足りない。

食べられるだけありがたいのだが、残念ながら足りない。別に不満を伝えたいわけではないのだが、欲を言うなら出された量の2倍は食べたい。


「コウガくんの住んでるところは食べ物がたくさんあるのね」

「そうですね……。俺の小遣いが減らされても飯を減らされることはないんで、食べ物には溢れてると思います」


セレスに名前を呼ばれたことにちょっとだけでれっとした表情を浮かべながら答える。

自分達の住んでる場所に帰れるようになるまでは宿を拠点とするので、同じように宿を住処としているセレンとセレスに名乗ることになり、セレスは名前を呼んでくれるようになったのだ。

セレンは残念ながら自分達を認めてくれる気がないようで、『お前』とか『女』とかでしか読んでくれないのだが。そのことをセレスが1度諫めたが、特に改める気はないようだ。


「残念ながらこの地は痩せこけているからな。最低限の作物を確保するのが精いっぱいだ」

「祭司様は作物が良く実る土は用意してくれなかったんですか?」


確かに軍事力強化は大事なことだ。自分達の住む島国と交流のある大国だって、大国になったのは進んだ科学と膨大な兵の数のおかげという話だ。戦で色々な国を侵略できる国は何もかもを強奪できるのであっという間に発展できる。

が、戦争で勝つためにも食べ物が必要だ。飢えた兵士は元気な兵士には勝てない。まずはお腹いっぱい食べられる体制を作るのが先だろうと八郎太は思っている。


「……祭司様は、水晶の力があれば肥沃ひよくな地を自分達のものにするのも可能だから、大丈夫とおっしゃっている」

「うーん、この食事でも自警団の仕事はちゃんとできてるから、確かに食事面は気にしなくてもいいのか」


まず水晶の力を取り込んだ時、得も言われぬ全能感が体中を包み込んだ。あれなら体調の悪さも空腹ですらも吹き飛ばしてくれる気がする。ということは食事が多少足りなくても問題ないのか。

ただ、水晶があれば全て解決というのも何か違う気がする。そもそも見たところまだ自分達の街を守るのが精いっぱいで食料問題は解決できていないし。


「魚を取る人がもうちょっと増えればとは思うんだけどねー……。魚は海の方まで取りに行くから、街がどこにあっても関係ないし」


「この1人1匹の魚が、1人3匹食べられるようになれば、話は違うのに」とセレスはため息をつく。確かに魚だけでもたくさん食べられれば空腹問題は解決する。


「オレ、自警団より魚を取る役に回った方が絶対いいと思うんですけど……」

「俺を海に行かせてくれたら、この街の食糧問題解決してみせます!」

「……考えておく」


さすがに食糧事情は本当に深刻だったようだ。ちゃんと取り合ってくれた。

ただ、これでも考えておく止まりなのがむしろ心配なぐらいだ。人間は食べないと生きていけないんだぞ。まあ、今飢えるほどではないので、目の前襲い掛かってくる化け物の方が心配なのは分かるが。

食事が終わると、空いている部屋に案内してくれた。他の部屋と違って何もない部屋だったが、布団を用意してくれたので休むのに問題なかった。

残念ながらこの世界にはシャワーどころかお風呂もなく、体を清めるのは川で洗うか、バケツかたらいに水を張ってタオルを洗いながら体を拭くらしい。タオルはあるのにお風呂がないのには違和感を感じるところだが、ないものは仕方ない。

仁沙は食事の前にいつの間にかセレスと共に体を拭いていたらしいので、八郎太と甲賀だけ拭くことになった。部屋にバケツを運んできて、2人分の大きなタオルを用意してもらって体を拭く。

腕や足など外に出ている部分を拭くとタオルが真っ黒になった。なお、宿にずっといたはずの仁沙も真っ黒になっていたらしいので、これは恐らく遺跡に行っていたせいだろう。


「ここが寒い場所じゃなくて良かったー……。もし雪国で体を綺麗にする手段がこれしかなかったら命がけだよ」

「まあここでも、暑いわけじゃないから水で体拭くとちょっと寒いけどな」

「っつーか仁沙、ジロジロ見るなよ。変態」

「別に体拭いてるところなんて興味ないわよ。この部屋、何もなくて暇なんだもの」

「いや、そこは拭いてる間だけでも壁の方向いて話すようにするとか配慮してくれてもいいだろ!」

「もー。昔はそんなこと言わなかったのに、めんどくさいわね」


人類、女の方が成長が早いとか言ったのは一体誰なのだろう。仁沙を見ていると、本当に女が男より成長しているのか疑問に思えてくる。この年になっても男女の性差による羞恥心が芽生えている気がしない。


「そういえば気になってたんだけど、化け物ってどんなだったの?RPG初期で出てくる魔物と言えばスライムとかゴブリンとかそんな感じだけど」

「狼……だったな。ゲーム名で言えばレッドウルフとかそんな名前がついてそう」

「狼ってあんまり化け物って感じしないんだけど、化け物って呼ばれてるのねえ」


まあ、RPGだと敵キャラ全て魔物で一括りにされていることが多いのでそれと同じようなものだろうか。

が、八郎太と甲賀が顔を青くしてぶるりと体を震わせたので、そういう理由でもないのだと分かった。


「いや……あれはまさに化け物だったな。マジで死ぬかと思った」

「普通の狼と会ったことないからそう思ってる可能性あるわよ?あたし達犬は触ったことあるけど、狼とは会ったことないし」

「おまえはあの場にいなかったからそう言えるんだよ!実際会ってみたら、あれはガチの化け物だと思うから!!」


命の危機を感じたのは行動力の速さと噛み砕く力の強さからだが、それ以外にも生を感じさせない空洞の瞳と、全身から漂う異様な気配が恐怖を煽ったのだ。


「化け物がいるなら、この地域って魔王とかいるのかしら」

「魔王ってまた一気にファンタジーじみた話を」

「だってRPGでも、魔物がいるのは魔王がいるからって話があるじゃない。あれ?魔物がいるから魔王がいるんだっけ?」

「いやそれはどっちでもいいけど。……うーん、魔王がいるなら、魔王の話ぐらい聞きそうなもんだけどな」


約半日ばかり八郎太と甲賀はセレンと一緒にいたが、魔王の話なんて全く聞かなかった。話の内容はほぼ水晶についてと戦いについてのみだ。


「魔王って名前は出てないけど、実は魔王っぽい存在がいる可能性だって充分あるよな」

「例えば侵略者とか?人間とは言ってたけど、ヒトに化けた魔物って可能性だってあるな」

「侵略者が本当は人間じゃなかったら、侵略者撃退の方に回りたいって言いきれるんだけどなあ……。何か侵略者の方が弱いらしいし」

「まあ、どっちにしてもやっぱり戦わないといけないから、魚獲りの方がいいけどな。化け物よりはマシとは言っても、命の危険はあるし殺さないといけないし」

「確かに。明日からも引き続き魚獲りに回してもらえるように猛プッシュだな」


甲賀が空気を押すように両腕を前に押し出す。なかなか手ごたえがなさそうな感じなので、恐らく明日も魚獲り担当に回るのは難しいだろう。

しかし、自分達がなぜこんな悩みを抱えなければならないのかと八郎太はふと我に返った。本当ならば悩みと言えば、仁沙にいかに真面目に夏休みの宿題をさせるかというものだけで良かったはずだ。それ以外は何をして遊ぼうかと考える毎日にする予定だった。

それもこれも、いつの間にかこんな訳の分からない場所に来てしまったせいだ。仁沙はそれなりに楽しんでそうな雰囲気だが、見知らぬ場所を楽しめるのは帰ろうと思えばすぐに帰ることができるという保証があってこそだ。いつどうすれば帰れるのか分からない状況で好奇心や冒険心を出すことなんてできない。


「オレ達……いつ帰れるんだろうな……」

「そもそもどうやったら帰れるかも分かってねえんだよなあ……。来る時は怪しげなオブジェを触ったら来れたけど、帰りは何を触っても帰れないし……」


遺跡にあった緋い水晶を触ったらその緋い水晶に囲まれた街に来たのだから、帰りも気になったものに片っ端から触っていれば元の遺跡に帰れるかと思って、甲賀は色んなものを触りまくっていたのだが、ここに来た時みたいに意識を失う気配すらない。緋色の狼に襲われた時は気を失いかけたが、それは何か違うだろう。


「とにかく、考えててもしょうがないしさっさと寝ましょ!明日も動き回らないといけないし、寝不足だとしんどいわよ」

「おまえは呑気だなあ……。そのどこででも寝れるスキル、分けて欲しいよ……」

「失礼ね。あたしはお布団と椅子と床でしか寝れないわ」

「大体寝れるじゃねえか。……ふわーあ」


仁沙と話していたら現状に悩んでいるのが馬鹿らしくなってきたのか、それとも肉体的にも精神的にも消耗して疲れたのか、大きなあくびが出た。

甲賀の方を見ても、横向きで寝転んでうとうととまどろんでいる。考えてみれば本日ほとんど活動しっ放しだ。

何だかんだ言いつつ眠そうな様子の八郎太を見て、仁沙が同じく今にも寝そうな顔で笑った。


「問題なく寝れそうじゃない。じゃ、おやすみー」

「……何か悔しい。おやすみ」


甲賀の声が聞こえなかったのは、甲賀が先に寝てしまったからか、自分達の意識がすっと落ちたからかは分からなかった。


**********


アラームもないのに朝日が当たらない中起きたのは、何かを感じ取ったからなのか。

八郎太がふと目を覚ました時、まだ部屋の中は藍色の闇に包まれていた。

左側を見ると自分の部屋にいるはずがない甲賀が上体を起こして目をこすっていたことにも驚いたし、右側を見るともっといるはずのない仁沙がとろんとした目で伸びをしていたことに驚いた。

そこで、ここが自分の部屋ではなく、どうやって来たかも分からない知らない場所だったことを思い出してげんなりしていた。


「夢だったら……良かったんだけどなあ」

「ごめんね?夢じゃなくて」

「……は?」


聞き慣れない声が耳に入ってきて、目を見開く。もしかしてこの場を和ませるために仁沙か甲賀が声を変えてしゃべっているのかとでも思って2人の顔を見るも、両方自分ではないとぶんぶんと勢い良く首を横に振っていた。

ならば一体誰だというのか。まさかセレンかセレスが部屋に来たのか。


「おーい、こっちこっち」

「こっち?……え、おま、誰だ!?」


再び声のした方を振り返ると、そこには見知らぬ少年があぐらをかいていた。中世的な顔立ちの上にほぼ筋肉もなくほっそりしていたので最初男か女か判断しづらかったが、声と全体的にぺったりしていることから男と判断した。

突然現れたことにも心臓が飛び出そうなぐらい驚いたが、それ以上に驚くことがあった。

体が、透けていたのだ。


「あー!!!!」

「ぬお!?な、何だよ仁沙!こっちは別件で驚いてるのに、更に驚かせるなよ!!」

「この人、あたしの家の前で歌ってた幽霊!!ほら、昨日?一昨日?学校で話したでしょ!」

「あー……。っつーか、夢じゃなかったんだな……」

「いや、落ち着け八郎太。俺も含めて、全員で同じ夢を見てるって可能性もあるぞ」

「なるほどー。じゃあこんな危ない世界にいるのも夢かー。全員で同じ夢を見てるって何か変な感じだけど夢なら安心だな。じゃあもっかいおやすみ。明日会った時おまえらが覚えてるかどうかは分かんねえけど」

「いやいや、君達この現実が気に入らないみたいだけど、これれっきとした現実だからね」


今度こそは自分の部屋で目覚めるのを期待して八郎太が眠りにつこうとしたところに、幽霊のツッコミが入って止められてしまった。

残念ながら夢じゃないようだ。突然変な場所に来て危険な化け物と戦わされて、更には枕元に幽霊が立つなんて超常現象のフルコースなのに夢じゃないなんて。


「というか、幽霊だなんて失礼だな。僕は神様だよ」

「……はい?」


ぷんぷんと擬音がつきそうな感じで頬を膨らませる幽霊を、八郎太は到底神様だなんて信じられなかった。


「いや、どう見てもただの幽霊だろ。体透けてるし」

「神様だって、人間界には精神体しか飛ばせないから透けてるよ!何なのその基準!」

「いやそんないきなり自分神だとか言われても……。なあ?」

「それならあたしも大統領よ!」


疑いの目しかない甲賀が仁沙と顔を合わせる。大統領よりも神様の方が圧倒的に偉いはずなのだが、仁沙は偉い人=大統領だと思ってしまっている。

あまりにも全員が信じないからか、自分を神だと言った幽霊少年がため息をついて仁沙の方に手を伸ばして顔を掴んだ。


「アーティファクトなしに何度も移動させるのは疲れるから嫌なんだけど……。まあ一瞬だしね」


幽霊少年の手が仁沙の顔を覆った途端、仁沙の姿がまるで炎が消えるようにふっと消えた。


「……え!?」

「お、おま……仁沙をどこへやったんだよ!?」


今にも掴みかからんばかりの甲賀の様子にどうどうとなだめるように幽霊少年が笑いかける。正確には襟元を実際に掴もうとしたが、実体がなかったため掴めなかったところをなだめているという図だ。


「安心してよ。飛ばしたのは一瞬だから」

「飛ばしたって、どういうことだ!?」

「それは本人に聞いた方が早いかもね。すぐ帰ってくるから」


幽霊少年の言った数秒後に空間にゆらぎが生じ、ペンキでキャラクターが描かれるようにゆっくりと仁沙の姿が現れた。

床に両手をついた横座りの体勢をとった仁沙は、目の前の状況が信じられないとでもいうように目を丸くしていた。


「仁沙!大丈夫か!?」

「あー、うん。何も起こってないからそんな心配しなくても大丈夫よ」

「……おまえ、どこに行ってたんだ?」


駆け寄った甲賀に顔の前で手を振った仁沙に対して、八郎太が尋ねる。

八郎太自身もとても心配しており、もしも仁沙が死んでいたら幽霊で掴めなかろうがタダじゃおかないと考えていたが、特に何もなさそうなのと甲賀が先に慌てているのとで冷静になっていた。

普段は仁沙をトラックが轢いても死なない人間だと考えている2人だが、さすがに何かが起こっているのを目の当たりにして余裕綽々よゆうしゃくしゃくではいられなかった。


「一瞬だけ遺跡に……戻ったわ」

「え、戻れたのか!?」

「うん。……ほんとに一瞬で、戻ったーって思った瞬間にまた意識が遠のいて、気付いたらここにいたんだけど」

「ってことは……遺跡からオレ達をここに飛ばしたのはこいつってことなのか?」


八郎太が幽霊少年の方を見ると、嬉しそうな顔をしていた。


「やっと僕が神様だって信じてくれたかな?」

「おまえ、おまえがオレ達をこんな変な場所に飛ばしたのか?」

「おっと、もうそこまで話が飛んじゃう?ここはまず「こんなすごい力を持ってるなんて、あなたは神様に違いない!」って感動するところじゃない?」

「おまえが神でも悪霊でもペテン師でも何でもいいけど、オレ達をさっさと元の場所に帰してくれよ」

「悪霊とかペテン師とかって、ひどい言いようだなあ……。僕じゃなかったら不敬だって怒られてるところだよ?」

「いやそんなのマジでどうでもいいから」

「君、コミュニケーションちゃんと取れないと将来社会に出た時に社会不適合者として扱われるから、必要最低限ぐらいはできるようになった方がいいよ?……ま、そういう話をしても聞いてくれないから本題に入ろうか。君達をまだ元の世界に戻すことはできない」


あぐらから片膝を立てて座る形に直して、幽霊少年もとい神様はこちらの希望を打ち砕きに来た。


「え。何で?八郎太の態度が気に入らなくて?」

「うーん。その気持ちはあると言えばあるけど、僕は大人だからそんな腹いせみたいなことはしないよ。君達をここに連れてきた目的がまだ達成されていないからさ」

「目的?」


それに、『連れてきた』と言ったのも疑問だった。仁沙達は遺跡を探検中に何の事故でか知らない場所に来たぐらいの認識だったが、実は全てが目の前の神様に仕組まれたことだったのか。


「そう。僕は君達に、この世界の人を助けて欲しくて君達を連れて来たんだ」


『人助け』という予想外の言葉に、仁沙も八郎太も甲賀も全員固まってしまった。

一体誰を助けるというのだ。この世界には仁沙達が助けられるような人はいない気がする。確かに変な化け物に定期的に襲われるらしいし、街を侵略する人間だっているみたいだが、それはこの街の人間が撃退できている。むしろ仁沙達より断然戦闘力があるくらいだし、出る幕がない。


「詳しくは決まりだから言えないんだけど、この世界の人が今、ある悪いやつらによって危険に晒されてるんだ。それを何とかして欲しいんだよ」

「……いやいやいやいや、詳しくは言えないけど助けて欲しいってそりゃないだろ。それに、詳しく分からなかったら何から助ければいいのかも分かんねえし」

「悪いやつらの正体は、君達がしばらくこの街で生活すれば分かると思う。……実際、感づいている人間だってここにいるみたいだしね」

「それまで俺達にこの街で生活しろってことか?冗談じゃねえぞ」

「そうは言っても、そのために君達を呼んだしねえ……。いや、僕だって心苦しいとは思ってるんだよ?僕とそこまで変わらないぐらいのまだうら若き君達にこんな重荷を背負わせることになっちゃって」


しれっと笑いながら心苦しいと言われても、全く苦しく思っているようには見えず、甲賀はますますヒートアップしていた。先程自分の力を示すために仁沙を突然元の世界に戻して、自分達の肝を冷やしたのも相まって、怒り心頭だった。

八郎太だって言葉には出していないが、「ふざけんな」という気持ちでいっぱいだった。同意もなしに異世界に飛ばしておいて人助けをしないと家に帰してあげないだなんて脅しだ。

しかし、仁沙だけはそうは思っていないようで、ぽつりと口に出した。


「……まあ、困っている人がいるなら助けないといけないわね」

「何と心優しい!いやー、良かった!君みたいに積極的に引き受けてくれる、思いやりのある人もいて!」

「いやいやいやいや冗談じゃねえぞ!人助けとなると、またあの化け物とも戦わなきゃなんねえんだろうし!」

「でもどうせ、助けなきゃあたし達、家に帰らせてもらえないんだし」

「まあ確かにそうだけど、いやそもそも人助けしないと家に帰らせてもらえないってのが間違ってるだろ!こっちは同意すらしてねえんだぞ!」


例え同意してたとしても、荷が重いとなったら先輩からの手助けが入ったり、プロジェクトの見直しが行われるのが普通の企業というものではなかろうか。見直しどころか不意打ちのような形で決定事項にさせられているなんて、ブラックを通り越していないか。

甲賀が神様の方を向くと、神様はそれはそれは美しい笑顔を浮かべて向かって手を振ってきたので殺意が湧いた。本当に殺すのは良くないとは思うが、動けないぐらいにボコボコにするぐらいは許されると思う。


「じゃあそういうわけでよろしくねー。ちゃんと人助けが完了したら僕の方から迎えに行って、そこでちゃんと元の世界に帰してあげるから安心して」

「今ここにいる段階ですでに元の世界に帰して欲しいんだけどな……」

「あはは。それはズルってもんだよ」


『ズルも何も、ちゃんとした雇用関係も結ばれていないのに何を言っているんだ』と八郎太は思う。

つくづく神様というのは自分勝手だ。まあ、都合がいい時にはすがり、都合が悪くなれば悪し様に言う人間の方がよっぽど自分勝手かもしれないが。


「あっ!そういえば大切なこと言い忘れてた!」

「まだ何かあんのか?こんだけアバウトな依頼しておいて」

「まだ君達に名乗ってなかったなって思って。僕の名前は白麻はくましろあさって書いて白麻って読むんだ。よろしくねー」

「……どーでもいいって、んなもん」


八郎太と甲賀の人生史上、3本の指に入りそうなぐらいどうでもいい補足をした後、幽霊少年もとい神様もとい白麻は、こちらの機嫌の悪さと反比例するぐらいの機嫌の良さで颯爽と消え去った。

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