4話 水晶の街

目が覚めた仁沙の目に飛び込んできたのは、一面の灰色だった。

それが空の色だと気付いたのは、自分の全身が何か固いものの上に横たわっていたことと、両手に幼馴染2人の手が当たったことだ。

第2次性徴期にあたるこの年齢、指が触れ合えばロマンスの1つでも起こりそうなものなのだが、そんなものは気配すら存在しなかった。というかそもそも、仁沙の頭の中はまだ第1次性徴で止まっているに等しい。イヤイヤ期すらまだ越えていない気がする。


「……ここ、どこ?」


確か自分達は突如現れた、地元からかなり近い場所にある遺跡に行き、探索を行っていたはずだ。そして天才的な閃きと幽霊に導かれたことにより、鏡張りの部屋に来ていた。

そこで見つけた見たこともないほど大きな緋い宝石を持ち帰ろうと抱え込もうとした時、謎の緋い光が自分達を包み込んだ。

そこから記憶は一気に今この瞬間に飛んでいる。実は覚えていないだけで紆余曲折あってここに寝かされていたのかもしれないが、片隅にすら引っかかっていないので知らない。

上体を起こして周囲を見渡してみると、かなり神秘的な場所にいることに気付いた。あちこちに透明感のある緋い水晶が地面から生えている。地面も虹色に輝く乳白色の鉱石でできており、アスファルトなんかとは美しさが全く違う。一体この土地自体でいくらの価値があるのだろう。

ただ、アスファルトとは違い自由自在に足場を作ることはできないようで、良く見ると崩れて歩きにくくなっている場所もあった。山になっている土地を切り崩して作ったと思しき階段も、端の方が欠けて歩きにくそうになっている。


「……それにしても何でこんなところにいるのかしら……」


あちこちに生えている緋い水晶は、遺跡から持ち帰ろうとしたものと恐らく同じものだ。とすると水晶に吸い込まれでもしたのだろうか。それとも、夢でも見ているのか。

典型的だが頬をつまんでみようとしたものの、そもそも夢の中で頬をつまんでも意味はないかと思い直した。現実世界で痛みを感じないと覚醒には至らないし、夢の中での行動が現実に繋がる可能性は大いに低い。なぜだか夢の中でトイレに行くとほぼ100%現実でもトイレをしているが。


「それにしても、全然起きないわね2人共……。あたしより寝てるとかやばすぎでしょ……」

「……お前達、誰だ?」

「!!?」


突然物陰から人から現れ、お互い驚いたように瞠目していた。

自分達よりほんの少し年上と思われる、特に飾り気のない服装の少年だった。歴史の教科書で土器を作っていた時代の人間がこんな服装をしていたと思われる。ただ、土器を作っていた人間とは違い、ほぼ白に近い緑の髪に鮮やかな紫色の瞳だった。コスプレでもしているのかと思うような派手な色合いだが、恐らくこれが普通な地域だと思われる。

むしろこの色合いがスタンダードな原住民の人間からすれば、自分達の方がよっぽど異質な存在のようで、新種のマンモスでも見つけたかのような顔をされた。


「……怪しいな。もしかして俺達の秘密を探るためのスパイ……?いやでも、こんな子供が……」

「怪しくない!!」


腰の獲物に手をかけながらぶつぶつと自分自身に問いかけている少年の言葉にかぶせるように声をあげると、目を丸くして獲物から手が離れていた。

というか、子供って何なんだ子供って。仁沙が見たところほとんど変わらない。それともこの世界の大人はいやに若い見た目をしているのか?


「……いやでもどう考えても怪し……」

「怪しくない!全っ然!これっぽっちも!怪しくない!!」

「いや、そうは言われても……」


これは勢いで押し切れるのではないか。なぜだか分からないが言葉が通じたのが幸いだった。これがいわゆるチートスキルか。あの異世界転生でなぜか最初から備わっていることの多いという。ただ、別に転生したわけでもないしこの世界に来る前にこの世界を司るとかいう神様に出会ったわけでもないのに、そんなチートスキルを手に入れられるのは不思議だ。


「……いくらお前が怪しくないって言っても、俺から見れば怪しさしかない!!神殿に来てもらうぞ!」

「やっぱダメなのねー!!もー!!!!」


結局眼前に刃を向けられることとなってしまった。刃渡り40cmはある両刃の剣は、仁沙が今まで人生で見たことのあるどの刃物よりも凶悪で、気絶したままずっと起きない2人の幼馴染をかばいながら相手にできるとは思えなかった。しかも持ち手の辺りが茶色っぽく変色しているのを見る限り、だいぶ使い込まれている。少なくとも素人ではなさそうだ。

そもそも仁沙が見逃してもらおうと騒いでいたのが悪手に働いたようで、少年の後ろから何人か人がやって来た。同じような歳の少年もいれば、少し年上のようだがそれでも若い青年もいる。この村の年齢層は低めなのだろうか。


「セレン、こいつらは?」

「気付けばここに倒れていた。サンドリアからのスパイかもしれない」

「スパイが道半ばで倒れるか……?ずいぶん間抜けなスパイなんだな」

「だーかーらー!あたし達はスパイじゃないんだって!ここがどこだか分かってないレベルなんだって!」

「そんなわけないだろ。じゃあお前達はどうやってここに来たんだ」

「それは……。……突然、緋い光に包まれたと思ったら、ここにいたのよ」


一体何を言っているのか分からないという顔をされている。何なら仁沙だって分からないぐらいだ。でもこうとしか言えないのだから仕方ない。

ただ残念ながら曲者としか思ってもらえなかったようだ。両脇を抱えられ、まるで磔の人間を連れて歩くみたいに持ち上げられる。頭がちょっとイっていると思われているのか、それとも女だからかあまり強引に持ち上げられていないのが救いか。

暴れて逃げ出そうかと思ったのだが、残念ながら八郎太と甲賀がまだ気絶しているため、仁沙が逃げ出せたところで他の2人もどうにかできる気はしない。


「もー!こんな時まで何でスヤスヤ寝てられるのよー!!」

「こら、騒ぐんじゃない!」


ここで八郎太が起きていたら、「いつもオレはおまえに同じことを思っているんだぞ」と言われているところであったが、残念ながらツッコミ不在の状態のため、ボケはボケのまま空中に浮かんで消えた。

仁沙達が連れて来られたのは、巨大な石の柱のみで建造された建物だった。仁沙達が先ほどまで入っていた遺跡に似ていたが、遺跡よりも大きかった。また、遺跡が少し茶色っぽい石の柱で組まれていたのに対し、こちらは灰色の石の柱で組まれている。更に柱と柱の隙間はこちらの方が広いため、より建物の役割を果たしていないように思われる。雨とか降ったらどうするのだろうか。

仁沙達が解放されたのは、遺跡の中の部屋の1つだった。柱と同じ色の四角いレンガのような石でできた壁に囲まれ、木の扉がはめ込まれている部屋だった。壁にランプがいくつもかけられているのだが、そのどれもがガラスの中で火ではなく緋い宝石が煌々と輝いている状態だった。

無造作に投げられた衝撃か、八郎太と甲賀が目を覚ましてぐるぐると周りを見渡していた。ここがどこなのか、そもそもなぜこんなところにいるのか分からない顔だ。

謎に悟った顔をしている仁沙を見て、もしかして状況把握しているのかという希望の元、ずりずりと座ったまま近付いてくる。珍しく誰よりも現状を分かっているので、仁沙が鼻を膨らませていた。


「実はあたしは30分ほど前から起きてたのよ」

「めっっっずらし……。ところで、今オレ達はどこにいるんだ?何で知らないやつらから睨まれてるんだ?」

「それが全然分かんないのよね……」

「…………」

「今全然役に立たねえなこいつって思ったでしょ!仕方ないでしょー!!あたしだって気付いた時には遺跡じゃないとこにいたし!でも、今この場所に連れて来られた経緯は分かるわよ」

「何だよ」

「原住民の方々に怪しいやつ認定されたっぽいのよね……。スパイとか何とか言ってた気がするわ」

「……まあ、そう、だろうな……」


スパイとまで思った理由は謎だが、怪しいと思った理由は八郎太でも分かる。

まず服装が違うし、何なら髪の色や目の色まで全く違う。大まかなディテールが人間ということ以外はほとんど共通点は見つからないので、そりゃあ曲者と思っても仕方ないだろう。

ただ、言葉は全く一緒のようだ。目の前で話している言葉が全て分かる。

これがかなり不思議だった。ここまで見た目が違えば扱う言葉が違いそうなものなのに。


「祭司様を呼んでくる」


今まで仁沙達を見て口々に色々話していた人達のうちの1人が部屋から出て行った。確か先ほどセレンと呼ばれていた少年だ。

祭司。ここには祭司がいるのか。そういえば神殿に連れて行くとか言われてここに連れて来られた気がする。

ということはここは何らかの神を祀っている場所で、その神と交信したり儀式を行ったりする人間を連れてくるのか。と思ったところで疑問が湧いた。

何でよりによって怪しい場所を連れてくるのが神殿なのか。そして処遇を決めるのはなぜ祭司なのか。普通牢屋に連れてきて、村長やら町長やらがこれからどうするのか決めるものではないのか。

祭司が来るまでの間、仁沙達も見張りに立っている青年達も手持ち無沙汰の状態だった。見張りをするなら1人でもいいのでは?という意見もあがったが、誰が残るのかという問題やら、そもそも1人で見張っていたら危険、寂しいという結論になった。

危険は分かるが寂しいとは一体どういうことなのか。まだ若いものの仁沙達よりもいくつか年上のように思えるのに。暇というコメントなら分かるものの。

などという話をしていると、見張りが1人でも大丈夫だろうと発言した青年の体がぐらりと傾き、頭を抱えて座り込んだ。


「お、おい。どうしたんだ……?」

「さ、触るな!」

「は……?な、何だよ。心配してやったのに……」


仲間のうちの1人が不安そうな顔で肩に手を添えようとしたところ、鬼気迫った顔で振り払われてしまった。さすがにひどい扱いではないかと不満げに口をとがらせる。

が、具合が悪そうな本人はそんな余裕もないのか、首を少し傾けてギロリと睨みつけていた。

いくら体調が悪くてもそんな外敵から身を守る猫みたいな反応をするものか?という疑問も湧いたが、それ以上に仲間に向けた時に見えた目の色が気になった。

虹彩、瞳孔部分が血のように真っ赤に染まっていたのだ。他の原住民の目の色は水色や淡い緑だというのに、彼だけ緋だったのが謎だった。具合が悪すぎて目が充血しているのかと一瞬思ったが、充血する場合白目部分が赤く染まるものだ。しかし白目部分には逆に異常は見られない。


「なあ……。あいつ、どうしたんだろうな?カラコンが目の裏に入りでもしたか?」

「ここにカラコンなんてあんのか?」

「さあ……。でもカラコンでも入れてないと目の色が変わるのなんておかしいだろ」

「良くネット上で『俺の右目に竜が宿る』とか言うじゃねえか。あいつ、今両目に宿った竜が出てこようとして大変なんじゃないか?」

「いやそれただの厨二病テンプレだし。あいつ暇すぎて厨二病発症してるとかじゃなくて、ほんとにしんどそうだぞ」

「そっかー」


2人の言葉は原住民の人にも聞こえていたものの、特に意味が分からず放置していたから良かった。もし意味が分かってしまったら、完全に馬鹿にされてると怒って暴行に走っていたかもしれない。


「これは一体どういうことでしょうか?」

「祭司様!何かこいつが突然呻き出して……!」

「あー……。これはいけませんね。こちらにおいでなさい」


祭司と呼ばれていたのは、3人のフードつき長衣を身にまとった者達だった。声はまるで風邪を引いているかのようにしわがれているし、顔もフードを目深にかぶっていて見えないので、若いのか老いているのか、男なのか女なのかすらも分からない。声だけを聞いている分には老人だが。

一応仲間の危機の方を先に報告している辺り、情は厚そうだ。そこら辺は原住民も優しい心を持ってそうで良かった。


「……ところで、そちらの方々は?」


このまま気付かずに行ってくれれば良かったのだが、そうもいかなかった。まあここで祭司に放置されたとしても、どうせ他の青年達が逃がさないだろうから、問題が先送りになっていただけだっただろうが。


「あ、こいつらは侵入者で……。多分スパイです。元々こいつらを先程捕まえたので、ご報告しようとお呼びしていました」

「町を侵略しようとする者に関してはあなた方に任せっきりにしているのに、珍しいですね」

「それが……まだ子供ですし、何なら我々が見つけた時点では3人のうち2人が気絶していた状態だったので、問答無用で処刑するのは早計かと……」

「へえ……?」


3人いるうちの祭司の1人が膝を屈め、ずいと座り込んでいる仁沙の方に顔を近づけてくる。

よっぽど優秀なフードなのか、かなり至近距離まで来ても顔が全く見えない。そして首回りも全て長衣で覆われている。辛うじて長衣からはみ出している手と足は、白い手袋と長いブーツで見えない。そんなに日焼けが嫌なのだろうか。

しばらく頭突きができそうなぐらいの距離でじっとこちらを見られて、どんな顔をすればいいのか分からなかった。もちろん侵略に来たわけはないのでやましいことはないのだが、顔が近いと何だか緊張する。


「あなた方は、一体どうしてここにいらしたのですか?」

「いや、あたし達も気が付いたらここにいた状態で……。もしかしたら誰かに殴られて連れて来られたとか、かも……」


今まで異世界転生とかばかり考えていたが、その可能性も少しはあるのではないかと、言葉にしながら改めて思った。むしろ異世界転生よりもこちらの方が可能性が高い。どこぞの最強大好きネット小説でもあるまいし、そんなに頻繁に異世界転生が起こってはたまらない。

一体何のためにかは分からないが。スパイと間違えられたし、もしかしたら本当にスパイとして送り込まれたのかもしれない。とは言ってもスパイする内容も知らないし報告主も知らないので、使い物にならないとは思うが。

たださすがに信じがたい発言なのか、フードで顔は見えないもののジロジロと値踏みされるような目線を向けられた気がする。何となく実に居心地が悪い。


「……まあ、こんな子供に何もできませんよね。分かりました。あなたの言うことを信じてあげましょう」

「!」


さすが祭司と言うだけあって慈悲深い。宗教なんて全く興味がない仁沙だが、この時ばかりは感謝した。


「突然こちらにいらしたのでしたら家に帰りたいでしょうし、親御さんも心配されているでしょう。自警団の誰かに送っていただきましょう」

「それがー……どうやったら帰れるのか分からなくて……」


ここがどこなのかすら分からない状態なので、帰り方は謎だ。電車にさえ乗ることができれば何とかなるのかもしれないが、もし新幹線だった場合お金が足りない。いやそもそも到底同じ国とも思えない場所に電車なんてあるのか。


「あ、そうだ携帯携帯」

「ちょっ、待て」


携帯さえあれば現代人は何とか生きていける。検索なんてしないし、電車の乗換方法を調べるアプリすらないが、それでも電話さえできれば大人に助けてもらえる。

にも関わらず八郎太に止められた。普段から携帯を携帯しろと口酸っぱく言っているのになぜなのか。


「何よう。いつも困ったら携帯使えって言ってるくせに」

「いや……。何か、携帯があっていい場所じゃない気がする……」

「えー?何よそれ。っていうか何でそんな声ちっちゃいのよ」

「とにかく!取り上げられるかもしれないから、一旦しまっとけ」

「わ、分かったわよ……」


この場にいる誰よりも怖い顔で言い張られたので、頷くしかなかった。一体何を心配しているのかは分からないが、この状態の八郎太に逆らうと怖い。それに携帯を取り上げられては困る。以前水没させた時同様母親に死ぬほど怒られるだろう。

突然人目を憚るようにこそこそと会話を始めた2人を見て、祭司を含めた原住民の方々が実に訝しむような顔をしていたが、特に言及してこなかったのは救いだった。引き続きこんな子供には大したことはできないと思ってもらえているのだろう。実際何もできないし、何をするわけでもない。


「どうやったら帰れるのか分からない?……ちなみに家はどこにあるんですか?」

「神居市西区の……」

「????」


住所を言おうとしたのだが、途中で相手の頭の上にクエスチョンマークが飛び回りだしたので続けることができなかった。

聞き慣れない地名だったようで、架空の地名を出しているのかという顔をされてしまったのだが、仁沙にとっては本当に家の場所なのだからそんな顔をされても困る。


「お前、カムイシとか分かる?」

「分かんね。カメムシの言い間違いなのかなって気もするけど、カメムシって地名も知らないんだよな」

「カメムシニク?何かすげえ嫌な名前の地名だな……。そんな変なところから来たのか」


ひとの住所を勝手にカメムシに変えられて、仁沙も八郎太も甲賀も複雑な顔をするしかなかった。しかし、言われてみれば確かに音がカメムシに似ていることもない。


「……ちょっと我々ではそのカメムシという地域への行き方は分かりませんので、ご自分達で探してください。ただ、探すのに時間がかかると思いますので、それまで特別に街への滞在を許しましょう。この街はそこまで人口も多くありませんので、ちょうど人手も足りませんし、日雇いの仕事はいくらでも用意できます」


要するに働いて宿代を稼ぎつつ生活して欲しいということか。

完全に自分達の住んでる場所の名前をカメムシに変えられて思うところはあるものの、受け入れてもらえるのはありがたい。まだバイト1つしたことないので働くことに若干の不安はあるものの、まあ初めてなので大目に見てもらえるだろう。ネットで良く見るブラック企業のような働き方を強いられた場合は逃げるしかないが。


「セレン、お仕事と宿をご案内して差し上げなさい」

「……承知しました」

「面倒なのは分かりますがそんなあからさまに不機嫌そうな顔をしないでくださいよ。せっかくのお客人です。招きましょう」


先程まで侵入者とみなしていた人間を客人として迎え入れて、宿と仕事の世話をいきなりしろと言われたら戸惑う気持ちは分かる。ただ、八郎太としても甲賀としてもあからさまに嫌そうな態度を取られると面白くはない。仁沙は何も考えていないのか、特に気にしてなさそうな顔だが。


「……そういえば祭司様、あいつは……」

「彼ですか?彼は想像よりも具合が悪そうで、まだ休んでいただいています。心配ですか?」

「まあ、心配ってほどでもないですけど……」


突然調子が悪くなっていた青年のことか。祭司によって連れて行かれた後、他の仲間は特に気にする様子すらなかったが、唯一セレンと呼ばれた少年だけ話題に出したということは、特別仲が良かったとかそういうことなのだろうか。


「じゃあ、行くぞ。できれば得意な仕事を紹介された方がいいと思うから一応聞いておいてやるが、どんな仕事なら問題なくこなせるんだ?」

「どんな仕事……ならいけるのかしら……。荷物持ち……とか?」

「俺も荷物持ちぐらいかなあ……。そもそも仕事とかやったことねえし」

「オレは荷物持ちでも料理でも何でもいけるけど、大人数に料理を振る舞うのはやったことないから分かんねえな」

「高校生でもすぐできるバイトでコンビニとかカフェとか家庭教師があるけど、あたしには家庭教師は無理ね」

「俺も家庭教師は微妙だなー……。できてギリギリ小学生の勉強ぐらいか。八郎太は家庭教師もできそうだな」

「おまえらに教えた経験が活かせそうだし、家庭教師が1番向いてるかもな」


仕事の話からキャッキャと楽しそうに自分達の世界に入り出したので、セレンは羨ましさとこれから先への不安に微妙な表情をするしかなかった。

セレンの住む街にはそもそも人間が少ないので、老若男女労働をしなければ自分達の生計を立てていくことができない。大きな国に行けば幅広い年齢の人間がわんさかといるので、労働年齢を決めることができるとは聞いたことがあるが、ここではそんなことは不可能だ。だから物心ついている人間で働かないという選択ができる生活を営めている目の前の3人が羨ましく思ったのだ。

それと同時に、物心ついてしばらく経ったにも関わらず全く仕事をしたことのない人間を突然現場に放り込んでまともに仕事してもらえるのかと不安にもなった。


「……得意な仕事がないなら、こっちから指定させてもらう。女は宿の雑用、男は俺が監督した方が他に迷惑かけずに済むだろうし、俺と同じ仕事をしてもらおう」

「何の仕事なんですか?」


あまり歓迎してなさそうだし、目上のように思えたので、刺激しないよう八郎太は敬語で聞く。まあそもそも初対面だったし。

ただ、セレンの方はどんな言葉遣いでも気にしてなさそうだった。いつの間にか街の中に入り込んでスヤスヤ寝ていた怪しい人間だけど、祭司も滞在を許可したし即刻排除しなければいけない人間ではない人間、ぐらいの認識なので言葉遣い1つで評価が上下するものでもない。


「自警団だ。この街の周辺にはちょっと離れているとは言え大国があるし、しかもこの街のせいで山を切り開いたりしにくいとのことで、頻繁に攻めてくる」

「あー、なるほど……。それでスパイとか言ってたんですね」


目が覚めてあまり頭が回っていない時に突然スパイとか言われて、何のことだか分からない状態だったが、合点がいった。要するに街を侵略したいが普通に侵略するだけでは自警団に追い払われるばかりなので、スパイを送り込んだ。そのスパイが仁沙達だと思った、ということだろう。

しかし、見たところ街の規模的にはかなり小さめだ。にも関わらずスパイが必要になると思わせるほど大国からの侵略を退けているとは、ここの自警団のメンバーはどれだけ強いのだろう。


「あとは化け物がたまに出る。人間が攻めてくる時とは違って1体で襲い掛かってくることがほとんどなんだが、これがかなり厄介なやつでな。対侵略者だとほとんど死者を出したことはないが、化け物と戦って死んだやつは何人もいる」

「大国の兵士以上に強い生き物ってどんなんなんだよ……」

「だから化け物なんだろ。……オレ達、密林の奥地にでも来ちまったのか……?」


イメージしていた密林は大量の樹木に囲まれていて、カラフルな鳥があちこちを飛び交っている場所だったので、今いるこんな石でできた街とは全く異なる。しかも密林を狙って大きな国が攻めてくるなんて聞いたことはない。

でも、そんな恐ろしい化け物が出るだなんて、密林以外に考えられない。ゲームの中の世界ならともかく。

全く、密林なんてショッピングサイトだけにして欲しいものだ。もしくは動画観放題サービスや冊子読み放題サービス。そういえば今期出た好きなアニメが観放題になってたっけ。


「おまえ達が実戦経験豊富なら化け物討伐の方に回したいところだが……」

「……何も倒したことは、ないですね……」

「仕事の経験がないと言っていたしな」


地元で不良に喧嘩を吹っ掛けられて返り討ちにしたことは何度かあるものの、あんなものを数に入れない方がいいだろう。


「なら、侵略者討滅の方がいいだろうな」

「……念のため聞きますが、その侵略者っていうの、人間ですよね」

「…………?ああ。殺す時は鎧ごしだし、その後はそのまま祭司様に供養をお願いするから顔を見たことがないが、恐らく人間だと思うぞ。獣人や妖精といった別の種族がこの辺りに住んでいるとか聞いたことがないしな」

「獣人や妖精ってのもいたりするんですか!?」

「俺は直接見たことがないが、そういったものが住んでいる地域もあるとは聞くな。親が獣人と交流したことがあるというやつもいたし。……というかお前ら、本当にどこから来たんだ?獣人や妖精なんて、珍しいかもしれないけど驚くようなもんでもないだろ」

「……多分、ここからはすごく遠いと思います」


少なくとも仁沙達の住んでいた場所では、獣人や妖精なんてものは現実に存在しなかった。そりゃあ物語の中では何から何まで考え付く限り存在したし、何なら遠くの地では実際にそういったものがいたなんていう番組まで流れたりしたが、それは現実にいた人間が、成長不全で育ち切らなかったり、病気で特殊な見た目になっていたりしたことからそういったものと称されただけだ。

しかし、それよりも今人間を殺さねばならない状況に陥っていることの方が重要だ。


「……化け物討伐の方に回していただいていいですか?オレ達人を殺したことがなくて」

「ええ?確かに万年人手不足だから拒否はしないが……。あまり勧めないぞ。人間を殺すのは慣れれば何とかなるが、化け物退治は純粋に強くないとこなせない」

「いや、ちょっと慣れる気がしなくて……」


それに、家に帰った後に『化け物を退治したことがあるなあ』だったら、まだ危なかったという思い出だけで何とかなる気がするが、『人を殺してしまった』だとかなり苛まれる気がする。


「まあ、お前らがいいならいいが……。……いくらお前らを歓迎してないとは言え、祭司様が滞在をお認めになった後でさっさと死なれたら寝覚めが悪いから、あんまりすぐ死ぬなよ」

「オレ達も死にたくないんで、頑張ります……」

「そうしてくれ。……と、宿に着いたな。女はここの宿で雑用してもらうから、宿の人間に紹介するからついて来い。男2人は招集がかかるまで訓練を受けさせるから、ここで俺が出てくるまで待ってろ」

「さっきも思ったけど、あたしだけ別なの?」

「女を戦場に行かせるわけないだろうが。無駄死にする可能性も高いし」

「そうなのかなあ……」


セレンを除いた3人が、仁沙だけ戦場ではなくただの雑用ということに疑問を持っていた。特に仁沙が最も不思議そうに首を傾げていた。

この3人は喧嘩の経験値も同じぐらいだし、強さもそこまで変わりない。確かに純粋な力だけで見れば比較的弱めだが、フットワークが3人の中で最も軽いのだ。

なので仁沙が『あたしだけ戦わないんだ?』と不思議な気持ちだったし、八郎太と甲賀に至っては『仁沙が戦わないのに何で俺達だけ駆り出されるんだ……』としょぼくれていた。

女扱いして守るなんていうそんな麗しい男女の情なんていうのは幼馴染の間には存在しない。どこの幼馴染もこうではないだろうが。


「姉さん」

「あらセレン。今日は早いのね。……そちらのお嬢さんは?」

「まだ帰ったわけじゃなくて、この女を置きに来た。どこから来たか分からない怪しい女で俺は速攻処分した方がいいと思ってるけど、祭司様がちゃんと家に帰れるまでもてなすって言ってるから、不本意だけどとりあえず働かせて衣食住の確保だけさせることになった。働いたことがないとか甘っちょろい人間みたいだけど、あちこち動き回らせることぐらいはできるとは思うからこき使ってやって」

「そんなひどい言い方じゃなくて、もっと優しく扱ってあげなさい。私から見れば怪しくない可愛い女の子よ?」

「か、かわいい……」


外でセレンを待っている幼馴染2人に聞かせてやりたい。あの2人と来れば顔を見れば猿だのゴリラだの言うが、こうやって可愛いって言ってくれる人だっているのだ。しかもこんな美しい人が。

エプロン姿でシーツを運んでいる、セレンの姉だという女性は、色素の薄いつやつやの肌と高い鼻筋、大きな垂れ目に真っ赤な唇という麗しの女性だった。そして地元では絶対に見かけない白緑びゃくろくの髪と鮮やかな紫の瞳。こんな女性を拝めただけでも家からどれだけ離れているか分からないぐらい遠くに来たかいがあるというもの。

なお、隣でセレンが「可愛い……?」と心底疑わしげに見てくるのは実に失礼だと思った。こんな美人の姉を見慣れていては自分程度では確かにミジンコ程度にしか見えていないだろうが、そんなあからさまに態度に出すのはどうなのかと仁沙は立腹だ。ちなみに八郎太と甲賀がこの場にいても同じ態度をしていただろうが、その場合は速攻張り倒していた。


「祭司様がお認めになったということは悪い子ではないのよ。……ねえ、あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」

「あ、はい。仁沙といいます」


ファミリーネームはそこまで重要視されないだろう。そもそも神居市という地名だけで大混乱だったのだ。名前を妙に長くしてしまってはまた困惑させてしまう。


「そう。私はセレスっていうの。この宿で仲居をしているのよ。まあ宿って言っても街の外の人を出迎えることはないから、閑散としたもんなんだけどね。それでも街の人で長期間泊まる方もいらっしゃるし、やることがなくなることはないわ。祭司様だってたまにいらっしゃるしね」

「あたしも同じ仕事をすればいいんですか?」

「そうね。ニサちゃんには私と同じように仲居のお仕事をしてもらうわ。主な仕事はお掃除、お洗濯、お給仕ね。最初の1ヶ月は私の後ろについてきてもらって、同じように仕事をしてもらうわね。分からないことがあったらすぐ聞いて」


1ヶ月。1ヶ月もこの場所に当たり前のようにいるかのような発言に、仁沙は一瞬固まってしまった。

母親と離れて泣くような年頃でもないし、家族以外との旅行だって喜んで行くタイプだ。それでも、帰る場所があって帰る時間だって分かっているからこそ安心して旅立てるわけで。いつ帰ることができるのか分からないということを改めて突き付けられると、手放しで目の前の非日常を楽しむことは難しい。

それでも、永遠に帰れないかもしれないなんてことを考えていても仕方がないので、笑みを作った。


「はい!よろしくお願いします!!」

「ひとまず、作業着を着てもらうからこっちに来て」

「……じゃあ姉さん、その女は任せるよ。俺は俺で男2人に自警団の仕事を仕込まないといけないから」

「もー。さっき名前を聞いたんだから名前で呼んであげなさいよ。そんなんだから女の子にモテないのよ?」

「忙しいしめんどくさいからいいよ……。この街、女が少なくてどうせ男が余るんだし、俺1人に嫁ができなくたって何の問題もない」

「姉さんは、セレンのお嫁さんも子供もそのうち見たいなあ?」

「期待しないで。それじゃ」


どうもこの街は女と男の比率が均等ではないようで。そりゃあ毎年均等に生まれるのは難しいだろうから多少の差が出るだろうが、明らかに結婚を諦める男が現れるとはよっぽどだ。

以前甲賀が「今の時代草食系男子どころか絶食系男子が増えている!」と吠えていたが、セレンはいわゆるその絶食系男子とやらか。麗しのセレスさんに似て綺麗な顔立ちをしているのにもったいない。


「ごめんね。あの子も悪い子じゃないんだけど」

「問答無用で殺されなかったし、悪い人ってわけじゃないんだろうなーとは思いました」


残念ながら怪しくないと言い張っても騙されてくれなかったが。


「あの子、私とは家族だからかそこそこ話すんだけど、他はあんまり話しているのを見たことがなくて……。自警団の中には話をする相手もいるらしいんだけど、自警団は男の人ばかりだし……」

「まあ、本人も特に結婚とか興味なさそうですしね」

「そうなのよ。私、セレンの孫を見るまでは安心して大地に還れないわ」

「孫とはまた気が早い」


そして『安心して大地に還れない』とはまた独特な表現だ。要するに安心して死ねないってことなんだろうが、こっちの世界でそんな言い方は聞いたことがない。


「ニサちゃん、あの子のお嫁さんになってあげてくれないかしら?ニサちゃん祭司様に気に入ってもらってるみたいだし、そんな子が妹になってくれたら嬉しいわ」

「え!?まだ会って1時間ちょっとぐらいしか経ってないですよ!?」


しかも祭司にも気に入られているのか謎だ。なぜか分からないが街への滞在は許されたが。単純に祭司自体は来るもの拒まずな性格なだけではないのか。

と仁沙は思っていたのだが、セレスはそんな仁沙の意に反してきらきらと期待の目を向けてくる。


「一目惚れって言葉もあるし、愛し合う男女が惹かれ合うのに時間なんて関係ないわ!」

「むしろ敵対関係にありそうなんで厳しいと思います……」

「ニサちゃん、セレンのことどう思う!?」

「何と、聞いてらっしゃらない。えーっと……しっかりしてそうだとは思います」

「そうなのよそうなのよ!私がおっちょこちょいだから良く助けてもらってるわ。見たところニサちゃんもおっちょこちょいだし、ちょうど良さそうね」

「突然のおっちょこちょい判定」


話の聞いてなさと押しの強さに、意識が一瞬宇宙まで飛んで行ってしまった気がした。

セレスは見た目はとても儚げで口調もはんなりとした感じなのに、セレンのこととなると前のめりな上に早口になっている。好きなことを話す時のオタクみたいだ。


「っていうか、突然現れた怪しげな人間に大事な弟が取られるって嫌じゃないですか?」


そのせいで当事者である弟と敵対関係にあるというのに。

が、セレスの表情はあっけらかんとしたものだった。


「あら、ニサちゃんは怪しくないから大丈夫よ」

「えええ!?いや、あたしが言うのも何ですけど、多分普通の感覚だと怪しさ満点だと思いますよ」

「だって祭司様がお認めになってここにいるんだもの。怪しいことなんて何もないわ」


どうもセレスの中では『祭司』というのは絶対の存在のようだ。

そもそもこの街における祭司というのは、王と同等の価値を持つようだ。普段はどんな役割を担っているのかは謎だが、少なくとも大事な盤面で判断をする権限はあるようで。


「気になってたんですけど、祭司……様ってどんな仕事してるんですか?」


うっかり呼び捨てにしようとしたらすごい顔をされてしまった。まあ確かに役職名っぽいが、あんまり知りもしない相手を呼び捨てにするのは良くない。


「祭司様は、その不可思議な御力で街を守ってくださっているの」

「魔法使い?なんですか?」

「そうね。あれは確かに魔法だわ。こんな小さな小さな、吹けば飛ぶような弱い街を、どんな国にも負けない最強の街に育てたんだもの」

「へえ」


八郎太が一時期ハマっていた、お隣の中華な国の歴史漫画に、頭が良くてどんな戦でも勝利に導いたっていう賢人がいた気がする。確か軍師とか書かれていた気がするが、祭司もその軍師なのだろうか。

言われてみれば魔法使いっぽいローブも着ていたし、頭も良さそうだった気がする。


「この街に、緋い水晶がたくさんあるのは見たでしょう?」

「はい。幻想的で綺麗な街だなーって思ってました」

「あの水晶、実はただの水晶じゃないの。特別な水晶なのよ」

「特別な……水晶?」


水晶に特別かそうでないかとかあるのだろうか。色とか?


「あの水晶は、人間の力を100%以上に引き出すの。どんな人間でも一瞬で最強の戦士になれるのよ」

「え?それは……食べたらですか?」

「やだあニサちゃん。水晶は食べられないわよ。まあでも、体に取り込むという点では変わりないわね。水晶を肌に触れさせれば、水晶の中の特別な力が体に宿って、筋力も反射神経も視力も聴覚も嗅覚も倍以上になるの」

「へー、そんなものもあるんですね。世の中って広いのねえ……」


仁沙のいた地域ではそんなものは創作の中でしか存在しなかった。が、やはり創作で用いられるということはモデルが存在したのだ。

それで到底戦闘に向いてなさそうな見た目のセレンでも自警団をやっているのか。何となく自警団に向いてそうな人間というのは筋骨隆々の傷の入った男性というイメージだが、セレンはどれにも当てはまらない。もしかしたら脱いだらすごいのかもしれないが、ポンチョにワイドパンツで体型が完全に分からなくなっていた。


「で、その水晶と祭司……様とどういった関係があるんですか?」


どうも様付けは慣れない。しかし様がないことに敏感に反応してすぅっと目が細くなる様はまるで機械のようだ。実態はただ心酔してるだけなのだが。

様をつけるとさっきまで不機嫌そうな顔をしていたのが嘘のように綺麗な笑みを浮かべるのが何だか怖い。こういう女の人は怒らせないように慎重に扱わなくてはなるまい。


「水晶は、祭司様がこの街にもたらした恵みなの」

「種みたいなのを植えて育ててくれたってことですか?」

「種って、また可愛らしい表現ね。残念ながら外れよ。この街に現れた祭司様が、お持ちの杖を一振りしたら、街全体に真っ赤な水晶が現れたの」

「ずいぶん……不思議な出来事だったんですね。本当に魔法みたいな」

「そうなのよ。まあ、私も小さくて物心がついてなかったから、ちゃんと覚えてるわけじゃないんだけどね。そして祭司様は、当時石しかない痩せた地で細々と栄養の少ない野菜を育てて貧しく暮らしていた私達に、『私達は救世主です。貧しくも懸命に暮らすあなた方を救いに参りました。私達を崇め奉りなさい。そうすれば救われる』とおっしゃって、突然現れた緋色の水晶の力を教えてくださったの」

「聖書みたいな風景ですねえ……」


前に駅前で配っていた薄い聖書にも、同じようなことが書いていた気がする。それにしてもなぜ神の子と言われている人はこんなに偉そうなのだろう。そしてなぜあっさり神だと信じるのだろう。人類の半数ぐらいはもう少し疑り深くてもおかしくないはずなのに。まるで現代版俺TUEEE物語だ。


「セイショ?って何かしら」

「こう、宗教に関係する本って考えてもらえれば……」

「宗教、宗教……なのかしらね。まあ私達の中で祭司様は神聖なものだから間違ってはないかな」

「それにしても街の人全員が信仰してるってすごいですね。街の人が何人いるかは分からないですけど、1人ぐらいはひねくれて嫌う人だっていそうなものなのに」

「……うーん。言葉には出さないけど、あまり信用ならないって人がいてもおかしくはないわね。私は祭司様には一生かかっても返しきれない恩義があるから嫌いになることはないし、できればこの世の中の全員に祭司様を好きになっていただきたいけど、なかなか人間が複数いるとねえ」

「返しきれない恩義?」


セレスはセレスで別途何かしてもらって、それに対して恩を感じているのだろうか。


「ええ。私とセレンは小さい頃、食事も与えられず死にかけていたところを祭司様に救っていただいたの。セレンはまだ赤ん坊だったから覚えてないと思うんだけど」


いわゆる児童虐待というやつか。仁沙達のいる世界では重罪だが、この世界では同じように罪に問われるかは分からない。

どの世界でも産声をあげた瞬間殺される人間はいるのだ。もちろん形になることすらできずにこの世から消えてしまう人間だって。


「生まれて初めてお腹いっぱいご飯を食べさせてもらって、『君のことは私達が守るから』って抱きしめてもらったの。もうお腹がすくことも寒くなることもないし、弟が動かなくなることもないんだって安心したわ」

「それは確かに恩人ですね。というか、もはや親ですね」

「祭司様がおいくつなのかは分からないけど、確かに親みたいなものね。私が4歳の頃からいらっしゃるし」

「……ちなみに、実の親の方はどうなったんですか?」

「私達を生むだけ生んだ、便宜上親とされる人達は、祭司様が私達を保護してくださってすぐに街から追放されたらしいわ。それを知ったのは少し後だったけど。とにかく毎日食べて寝て色々お勉強してセレンと遊んで、忙しかったからね」


すでに街に住んでいた人間を追い出す権限があるとは、祭司は短い間にずいぶんと高い地位を得たもんだ。


「私はもし祭司様に死ねと言われたなら、すぐに死んでもいいと思ってる。祭司様は慈悲深い方だから、そんなことおっしゃることはないでしょうけど」

「……それはまた、何と過激な」


セレンも同じように祭司に心酔しているならば、仕方ないとは思ってもきっと、悲しむだろうに。

抱いていた忠誠心を復讐心に変えてもおかしくないぐらいに。

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