5『あたしは、まだ嬉野くんをどこかで信用している』

 そして翌日の日曜日の昼下がり。あたしは梅田の『紅茶館ほっと』の前に立っていた。どうにも一昨日の紅茶の味が思い出されてならなかったのだ。

 休みが明けて月曜日を迎える前にもう一度飲んでおきたかった、というのが一つ。もう一つは嬉野くんがいたら、どう言うつもりなのか聞けるものなら聞こうと思ったから。


 この間は、夜だったけれども、日光の下で改めてみてみると、不思議な光景だ。大きなコンクリートのビルに周りを囲まれて、小さなログハウス風の建物がぽつんと立っている様子は、とてもシュールだ。

 中に入ってみると、一昨日とは違って、半分くらいの席は埋まっていた。こういうカフェには女性が集まりそうなものだけど、あまり乙女チックな内装ではないためか、男の人もいないではない。新聞に目を通しながら紅茶を飲んでいる人、談笑している人。なんだかお店というより社交場という言葉がしっくりきそうな空間だ。



 嬉野くんを探して店員の姿を確認したけれど、彼の姿は見えなかった。変わりに、女性の店員があたしの応対にやってきた。


「いらっしゃいませー。お1人ですか?」

「あ、ハイ」


 一昨日の嬉野くんと同じ、エプロンをしたショートカットの女の人だった。大体30代後半といったところで、多少のほうれい線は入っているが、全体的に快活な雰囲気のある人だ。

 少なくとも陰気全開な嬉野くんよりこの店の店員としてふさわしいといえるかもしれない。


 あたしが通されたのは一昨日と同じカウンター席だった。一昨日は渡されなかったメニューがテーブルの上に置かれる。

 

「ご注文決まりましたらお呼びください」

「ハイ、ありがとうございます」


 そう言ったところで店員は下がるところなのだが、彼女は下がらなかった。ニコニコとあたしを意味ありげに見ながら聞いてきた。


「ごめんなさいね、風季ふうきなら用事に出てるのよ」

「風季……?」

「あら、下の名前知らなかったかしら。嬉野風季」


 そういえば嬉野くんのフルネームはそんな感じだった。そして彼を下の名前で呼ぶ、この店員は何者だろうと考えて、あたしはこのお店が嬉野くんの家が経営しているお店だという情報を思い出した。ということは……


「そういえば名乗るの忘れてたわね。嬉野風季の母で祥子しょうこです」


 にっこりと名乗られ、あたしは少し顔が熱くなるのを感じた。少し考えれば分かる話だったのに。それにしても若い。年の離れたお姉さんでも通用するくらいだ。

 そこで何故、嬉野くんのお母さんがあたしが嬉野くんを探しているのが分かったのかという疑問に辿りついた。

 素直に聞いてみると、悪戯っぽくほくそ笑んで言った。


「一昨日、お店来てたでしょう?」


 どうやら。お店の中には嬉野くんしかいなかったのだけれど、奥の住居部分にはいたらしい。閉店時間になっても客の応対をしているので(閉店時間を過ぎていたことは初めて知った。道理で他に客がいなかった訳だ)、変に思ったら女の子の相手をしているではないか。

 それであたしが帰った後、嬉野くんにあたしが誰かを聞いたらしい。


「まあ、いろいろ聞きたいことがあったものですから」


 とりあえず、あたしはダージリンの温かいものとスコーンを注文した。「本日のお茶菓子」と評されたピーチタルトも十分に惹かれたが、なんとなくスタンダードなセットで紅茶を飲んでみたかったのだ。

 祥子さんは、厨房の奥にスコーンのオーダーをすると、お湯を沸かし始めた。一昨日は疑問に思ったが、いちいちお湯を沸かすのは、紅茶には沸かしたての熱湯が良いからだ。高校時代に嬉野くんに教わったことを思い出した。


「一昨日は御免なさいね、うちの子は無愛想で気まずかったでしょう」


 カウンター越しに祥子さんが話しかけてくる。


「そうでもないですよ。無理に話をする必要がないって分かったらむしろ気が楽なくらいですし」

「ならいいんだけど」


 この店のカウンターは、厨房の床を一段低く、そしてカウンターのいすは高めにしつらえられていて、カウンターの中にいる人とカウンターで座っている人が目線が合うように設計されている。

 祥子さんの気さくな性格もあってか、とても話のしやすい店だと思った。


「そういえば嬉野くんのお母さんは、あたし達が高校3年生の時の文化祭について、何か知りませんか?」


 嬉野くんに直接聞こうと思ってたけれど、下手をするとオウムの方がお喋りなんじゃないかという本人より、祥子さんに聞いた方が早いのじゃないかと思って聞いてみた。

 昨日のちぃちゃんとの話で思い出したことを順番に話し、あたしがあの時の嬉野くんの真意を知りたいことを伝える。


「あぁ、あのことねー」


 どうやら心当たりがあるらしいそぶりを見せた。紅茶を淹れるのに必要な道具の一部は、嬉野くんの家から貸してもらっていたので、祥子さん達も息子が文化祭で何をやるかは知っていたそうだ。

 表情は変わらないものの、雰囲気がいつにないくらい浮かれた様子の息子の姿に、お店を臨時休業してでもあたし達の店に顔を出しにこようかと思っていたらしい。


「結局、あのときは喧嘩のことで担任の先生に事情を伺いに学校に行くことになったんだけどね」と、祥子さんは苦笑する。


 しかし、喧嘩の真意はよく分からなかったそうだ。仕掛けたのは嬉野くんの方らしい。ただ、相手は不良グループに入っている正真正銘の不良生徒だったという。

 

「あの子、身体が大きくて無愛想なうえにいっつも睨んでるみたいな目つきをしてるでしょう? ガン付けられてると思われて、よく喧嘩を仕掛けられていたらしいのよ」


 祥子さん曰く、嬉野くんは不良というわけではなかったらしい。ただ、あの外見で、口下手で、さらに空手を習った経験があり腕に覚えがあったものだから、絡まれたときには口より手が出るタイプだったらしいのだ。

 よって、嬉野くんに関する喧嘩の噂は全て吹っ掛けられた受身の喧嘩だったのだ。あの文化祭当日を除いては。


 そこに、厨房の奥からのっそりと大きな影が出てきた。どちらかといえば米軍基地のほうが居場所としてふさわしい筋肉が発達した巨漢で、花柄のエプロンが素晴らしく似合ってない。何なんだろう、このシュールな生き物は。いや、大体想像は付くけれど。

 

「スコーンできた」

「はいはい」


 祥子さんは、それを受け取ると、ポットにお湯を注ぎ、ティーコージーをかぶせてあたしの席に持ってきた。

「はい、お待たせしました。紅茶とスコーンのセットです」

「あ、ありがとうございます。あの今の人はもしかして……」


 聞きながら、スコーンを少し千切り、ジャムを付けて食べてみる。

 このジャムは桃のものだ。しかも作ったばかりの新鮮なものらしく、桃の甘い匂いも味もものすごく澄んでいる。やっぱり頼んで良かった。


「あたしの旦那で風季の父親。息子に輪をかけて接客に向いてないからもっぱら厨房仕事ね。そのスコーンとジャムもあの人がつくったのよ」

「えッ……!?」


 言葉は理解できたが、飲み込めなかった。あの厳つい身体で、こんなかわいらしいものをつくってるなんて。

 あたしの反応は狙い通りだったらしい、悪戯が成功した子供のように、祥子さんはけらけら笑った。

 

 砂時計が落ち切ったところでティーコージーを外し、一口飲んでみる。

 うん、美味しい。味はあたしが求めていたものだ。

 でも、何だろう、何か違う。何かまだ足りないものがある。


「まだあの子の事、怒ってるかしら?」


 会計の際に、祥子さんに尋ねられた。


「まさか。嬉野くんのことも一昨日まで思い出さなかったくらいですし……。ただ、思い出してみると、気になるんですよね。あれが何だったのか」



 店を出ると、目の前に嬉野くんがいた。どこかに買い出しに行っていたらしい、大きな買い物袋を抱えている。

 三白眼が若干丸くなっているあたり、あたしが出てきたことに驚きを感じているらしい。


「ちょっと紅茶飲みに来たの。嬉野くんのお母さんに淹れてもらって」

「そうか」

「また、嬉野くんの淹れた紅茶も飲みたいな」

「……そうか」


 社交辞令半分でそういうと、嬉野くんは少し間を開けて応答した。表情は変わっていないけど、なんとなく雰囲気が柔らかくなった気がする。ひょっとして照れたのだろうか。

 じゃあ、とあたしは荷物を抱えた嬉野くんのためにドアを開けて通るように促すと、嬉野くんは頷いてあたしの前を通り過ぎる。

 あたしが手を離して扉が閉まり始めた時、嬉野くんはあたしを振り向いて言った。


「また来い」


 とっくに嬉野くんに対するあたしの怒りはなくなっている。……というか考え直している。聞けば聞くほど、知れば知るほど、嬉野くんはただの喧嘩好きには思えなくなっているからだ。

 あの文化祭の時も裏切られたという怒りより、信じられないという困惑の方が先だった。

 あたしは、まだ嬉野くんをどこかで信用している。

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