4『あったね、そんなこと』
それは5年前の秋の話だ。高校最後の文化祭ということで、受験勉強の傍らでも、気合いの入れた出し物をしよう、と文化祭の出し物を決めるホームルームでクラスは盛り上がっていた。
あの頃のあたしは、紺のセーラー服、みつあみに黒ぶちメガネ、という典型的な委員長ルックでクラスをまとめていた。
次々と意見が挙げられる中、正統派の飲食店である喫茶店と本気で怖いお化け屋敷の2つが残り、決選投票で我らが3年2組の出し物は喫茶店に決まった。
次はメニューを決めた。食べ物はトッピングを凝らしたホットケーキと飲みもの。飲み物は各種紙パックのジュースの他はコーヒーか紅茶かどちらか統一すべきということになった。
だれか経験者でもいればいいかと思って、あたしはそこで尋ねたのだ。
「だれか、家が喫茶店の人はいる?」
しーん、と教室内が静かになった。そんなに人口の多い職業じゃないからあまり期待はしていなかった。だから、嬉野くんが静かに手を上げているのを、一瞬見逃しそうになった。
嬉野くんはクラスでも不良と認識されていた。授業は真面目に出てたけど、クラスでは発言しないし、始終睨みつけているような表情だ。極めつけが一度喧嘩で停学処分を受けていたことだった。
後から考えれば、頭を掻いている、と言われても納得するくらいの中途半端な、目立たない挙手だったのだ。見逃したことにすれば後々波乱はなかったものの、根っからの委員長体質だったあたしは見つけてしまった以上、そんな選択肢には全く考えが至らなかった。
当時は
「う、嬉野くんはコーヒーと紅茶、どっちがいいと思う?」
「紅茶」
簡潔すぎる答えに、危うく聞き逃しそうだった。
「な、何で?」
「簡単で美味いから」
その時、あたしはひねくれた不良のイメージだった嬉野くんの印象を少し変えた。学生の不良というのは、喧嘩とか、ナンパとか、タバコとか、シンナーみたいな、いかにも不良的な遊び以外を肯定的なイメージを持たないと思っていたのだ。
だから「簡単」はともかく「美味しい」という一言を出した嬉野くんの一言には、彼への評価を少し見直すものがあった。
調べたところ、より本格的にやるには、豆を挽くところから始めなければいけないコーヒーより、どう本格的にしても基本的にはお茶っ葉にお湯を注ぐだけの紅茶のほうがよい、ということでその後の話し合いの結果を踏まえて出すのは紅茶と決まったのだった。
準備が進む中、本格的な紅茶のレクチャーを受けようということであたしは嬉野くんにこの教室で紅茶を淹れてくれるように頼んでみた。
そのころには、もう噂ほど嬉野くんが怖くない存在として、あたしは受け止めていた。それどころか、何も言わない彼の紅茶に対する真摯な態度を信頼し始めていたのだ。
そして、嬉野くんはあたしの信頼通り「わかった」と面倒くさそうなそぶりも見せず、引き受けてくれた。
翌日、嬉野くんは電気湯沸かし器とティーセットに茶葉を抱えて登校してきた。そして昼休みにあたしに紅茶を淹れて見せた。淹れた紅茶を飲ませてもらったが、それは今まで飲んだことがないくらいの美味しさだった。それは他に飲んでみたちぃちゃん初め、他のクラスメイトも同意見だった。
なら、嬉野くんに紅茶を淹れる役をやってもらおう、とクラスメイトが全員一致で言いだし、彼も「わかった」と、その前日と同じように請け負った。その顔が、少し照れくさそうだったのはあたしの錯覚ではなかったと思う。
それはクラスのみんなも同じだったに違いない。この文化祭までの間、何度も嬉野くんがクラスの会話に混ざるのを見てきた。狙ったわけではないが、クラスで浮いていた嬉野くんがみんなにようやく融け込めたことは、クラス委員のあたしとしてなんだか誇らしかった。
――しかし、文化祭当日、嬉野くんは教室に現れなかった。
交代要員があたししかいなかったので、あたしは文化祭の間中、ずっと紅茶を淹れ続けなければならなかった。高校最後の文化祭、あたしの思い出は教室の中だけのものとなった。
ちぃちゃんも付き合ってくれたし、他のクラスメイトもたくさん差し入れを持ってきてくれたので、美味しい思いもしないではなかったので、それは正直もうよかったんだけど、あたしがキレたのは嬉野くんが、当日サボった理由だった。
文化祭から一週間、嬉野くんは学校に来なかった。喧嘩沙汰を起こして停学処分にされていたのだ。
停学が解け、何食わぬ顔で嬉野くんが登校してきた日、折角仲良くなりかけていたクラスメイトとはすっかり元通りに関わらなくなった嬉野くんに、喧嘩が強いとか、怖いとか、全て忘れてあたしは詰問した。
「嬉野くん。文化祭の日、喧嘩してたって本当!?」
「ああ」
嬉野くんはあっさり認めたとたん。あたしの頭には完全に血が上った
「どうして!? みんなで話したじゃない、みんなで気合い入れて喫茶店やろうねって。嬉野くんも聞いてたでしょ? なんで喧嘩なんてして台無しにするの!?」
あたしも若かったのだ。怒りを抑えられず、半ばヒステリック気味に嬉野くんを責め立てた。顔は真っ赤になっていただろう。遠巻きに見ていたクラスメイトもさぞ引いたに違いない。
あたしは、嬉野くんをどこか信頼してた。でもそれは見事に裏切られた。それがあまりにも悔しかったのだ。
あたしは、嬉野くんからの答えを待った。
だが、嬉野くんは黙ってあたしを見返していたが、やがて立ち上がった。そこでやっとあたしは嬉野くんが文化祭の日にも喧嘩をするような乱暴者であることを思い出した。
嬉野くんの眼がいまさらながらに怖くなった。
殴られる。
そう思って首をすくめたが、いつまでたっても衝撃はやってこない。だが、嬉野くんはあたしに背を向けて教室を出て行ってしまった。
高校時代、嬉野くんとはそれっきりだった。クラスメイトも同じで、文化祭前のいい雰囲気はどこへやら、卒業まで嬉野くんはクラスの中で完全に孤立したままだった。
* *
「あったね、そんなこと」
思い切り忘れていた。そもそも、あまり高校時代以前のことはよく憶えていないのだ。嬉野くんだけじゃない。クラスメイトの半分はあたしの記憶の中から消えている。
嬉野くんもその一人だった。
「怒りを通り越すと忘れるんかなぁ。あれだけ怒った楓見たのはあれで最初で最後なのに、本人が憶えてへんなんて」
「嬉しかったこと忘れるよりいいじゃない」
嬉しかったことも相当忘れてている、というのは置いておいて、もしあの時のことを憶えてたら、あたしはきっと嬉野くんの誘いには乗らなかったと思う。思い出したいまも沸々と湧き上がるものを感じる。
「なんで喧嘩なんてしてたんやろうな、あの日」
それはあたしが知りたかった。
そしたらもう少し、高校時代のことで憶えていることも多かったかも知れない。
話しているうちに、ミートパイもキッシュも皿の上から無くなっていた。
「あ、もうそろそろ行かな」
ちぃちゃんは腕時計を見て席を立った。自分の分の食器と、あたしのティーセット以外の食器をお盆に載せる。
「ほな、今日は来てくれてありがと」
「うん、あたしも一緒に食べてくれてありがとう」
ちぃちゃんが階下に降りて行くと、誰かと「ありがとう」って言いあったり、笑顔を交わすことがずいぶん久しぶりだったことに思い至った。
カップに残った紅茶を飲み干した。
ちぃちゃんには悪いけど、やっぱり、昨日の嬉野くんの紅茶と比べると何か足りない気がした。
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