第140話 閑話 女神の導き(すべての出会いは別れの時のために)

パトリシア・コーウェルの応接間は、美しい中庭に面し、趣味の良い調度品でまとめられていた。


今日の茶会の客は長年の友人であるジェシカ・ダッカーだ。

茶器も菓子も最高級の物が出された。



「パトリシアの入れたお茶はとても美味しいよ」

ジェシカ・ダッカーは言った。


茶会で失礼のないスタイルではあるが、ジェシカ・ダッカーの服装は、実務的なものだ。

地位と財産を手に入れても変わらない。



「褒めてもらえて嬉しいわ。

新しい茶葉を手に入れたの。

あなたが最初の客よ」

パトリシア・コーウェルは答える。


対するパトリシア・コーウェルの服装は最新流行を取り入れている。

流石に老いたが、若い頃のパトリシア・コーウェルはとても美しく、長くロイメのファッション・リーダーだった。


しばらくの沈黙があった。

香しい香りが2人の間を漂う。



結婚と社会秩序の女神ヴァーラー神殿の次席神官長は、更迭されたようだね」

ジェシカ・ダッカーは言った。


次席神官長は、先日の決闘で評判を下げていた。



「セイレーン族は邪悪な種族よ。なぜロイメがセイレーン族を追放しないのかしら?」

パトリシア・コーウェルは話題を変える。


セイレーン族が、あちこちで恋愛トラブルを起こしているのは事実である。

そして、王国のいくつかの領地で、セイレーン族は出入り禁止になっているのも事実だ。


ただ、ロイメはそうではない。


「異種族共存は初代以来のロイメの理念だ。

セイレーン族であると言うだけで追放はできないよ」

ジェシカ・ダッカーは言った。



『異種族共存』。

初代冒険者ギルドのギルドマスターの言葉であり、冒険者ギルドの入り口にも刻まれている。


問題のある種族もいるが、ロイメの法を守る限り、追放されたり投獄されたりはしない。

表向きは。


内実は、ロイメは割としょっちゅう追放刑を課している。

しかし、【特定の種族の追放】はロイメの理念に反するものとして、エルフ族やドワーフ族が反対する。


そして、マデリンはロイメ唯一のセイレーン族だ。

マデリン追放=セイレーン族追放になってしまう。


パトリシア・コーウェルは、マデリン追放を何度か試みたが、無理だった。



「もう昔のことだ。

いい加減忘れた方が良い」

ジェシカ・ダッカーは静かに語った。


「忘れようと思ったし、実際ほとんど忘れている時もあった。

でも、あの頃のまま変わらない彼女達を見ると思い出してしまうのよ」

パトリシア・コーウェルは言った。



「それは仕方がない。

そう言う種族なのだから」


セイレーン族のマデリンも、エルフの血を引くレイラも、人間族より寿命は長い。

2人があとどのくらい生きるのか、ジェシカ・ダッカーは知らない。

ともかく、外見は出会った頃とほとんど変わらないように見える。



「ねえ、マデリンを呼び戻したのはジェシカあなたよね。

なぜ呼び戻したの?」

パトリシア・コーウェルは聞いた。

この話題を2人の間で出すのは初めてである。


「エリクサーや薬作りにマデリンの知識が必要だったからだ」

ジェシカ・ダッカーはシンプルに答えた。



ジェシカ・ダッカーの作った錬金術ギルドの爆発的な成長の影には、マデリンの知識もある。

事実、いくつかのレシピはマデリンに教えてもらったものなのだ。



2人の間に再び沈黙が流れた。

晴れてきたのか、ガラス越しに日差しが差し込む。



「ジェシカ、あなたは私を軽蔑してきたわよね。

私、知っているのよ。

私のことを、愚かで感情的だって思ってたわよね」

パトリシア・コーウェルは言った。



「パトリシア、そなたも私を軽蔑してきたよ。

私は知っている。

私のことを、田舎臭く、美しくないと思っていた」

ジェシカ・ダッカーはそこで一呼吸置いた。



「私はそなたを軽蔑し、そなたも私を軽蔑していた。

互いに対する等量の軽蔑だ。



2人の間に三たび目の沈黙が流れた。

今度の沈黙は長い。

茶の香りとガラス越しの日差しだけが部屋を漂っている。



口を開いたのは、パトリシア・コーウェルだった。


「私はロイメの議員を辞職し、議席は長男に譲ります。

もっと早く譲るべきでした。

そして、故郷の伯爵領に帰り、静かに暮らそうと思います」

パトリシア・コーウェルは言った。


「そうか。寂しくなるな」

ジェシカ・ダッカーは言う。



「手紙を書くわ」

しばらくの沈黙の後、パトリシア・コーウェルはポツリと言った。


「それは嬉しい」

ジェシカ・ダッカーは答える。


「あまりたくさんは止めておくわ。あなた忙しそうだもの」


「たくさん書いてくれてかまわないよ。私も返事を書く」



その後、パトリシア・コーウェルとジェシカ・ダッカーは、互いに礼儀正しく友情を確かめ合い、別れを惜しんだ。


それが2人が信仰する結婚と社会秩序の女神ヴァーラーの教えだからである。





さて、パトリシア・コーウェルの故郷で静かな隠居生活と言う予定は、残念ながらかなわなかった。


久しぶりに戻った故郷は、思っていたより旧態依然としていて、ロイメに比べて様々な制度が遅れていた。



パトリシア・コーウェルは、あちこちで悪口を言って回った後、誰も目の前の事態を解決してくれないことに気がついた。

今までは文句を言っていれば誰かが解決してくれた。


しかし、ここにはジェシカ・ダッカーもレイラもマデリンもいない。



何度か手紙でヒステリーを起こした後、パトリシア・コーウェルは、まなじりを吊り上げ、腕まくりをして故郷のために、自ら働くこととなる。


しかし、それは、また別の物語である。



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