第13話

「わかった。任せて」


 咄嗟に僕は声がした方に振り返る。そこにはいなくなったはずの彼がいた。片手にはさっきまで持っていなかった飲み物が入った袋を下げていた。


「あまりに辛そうだったから熱中症かなと思って飲み物買ってきたんだけど。ごめん、一人にしなければ良かった」


 裏切られたと思った。勝手なことだ。信用してないのに心の底では一方的に信じていた。


「ぐすっ・・・道に迷っちゃって、携帯も忘れて・・・ぐずっ、っここがどこかもわかんなくて、どうしていいのかわかんなくて・・・」


 気づけば僕は泣いていたらしい。ぐしゃぐしゃの声は自分ですら何を言っているかわからない。ただ、一心不乱に伝えたくて。助けてほしくて、言葉を連ねた。


「そっか、迷子だったんだね。ごめん気づかなくて」


 彼をよく見ると汗をかいている。コンビニから走ってきたのだろう。

なんだ、優しい人じゃないか。疑っていた僕は恥ずかしい気持ちになる。


「ごめん、なさい。言えなくて」


「気にしなくていいよ。不安だっただろうしね、制服着てるってことは新入生でしょ?今日、入学式だし」


「違くて、えっと、怖かったんです。男の人が怖くて。ご、ごめんなさい!」


 それを聞くと彼は少し驚いた顔をして、距離をとる。ただ視線は僕から離さない。それは優しい目だった。


「無遠慮に声かけてごめん。急に話しかけたらそりゃ怖いよね。男が苦手なら尚更だ。本当にごめん」


 彼は深々と頭を下げた。


「あ、あの!もう、大丈夫なので謝らないでください悪いのは私なんですから。本当に大丈夫なので。その証拠に、ほら!」


 僕は立ち上がり離れていった彼の傍に寄って、彼の手を握った。


「ね?大丈夫ですから」


 そう言って彼の顔を覗き込む。上手く笑えているだろうか。


 本当は怖かった。だけどそれ以上にこの人を信じたかったのだ。落ち込んでいる僕のために汗だくになってまで走ってくれた彼を。


「無理しなくていいんだよ。手、震えてる」


 けれども体は正直だ。抑えようとした震えは僅かながらも彼に伝わってしまった。


「なんで、なんでだよ。止まってよ・・・!」


 どれだけ願おうとも止まない震え、彼はそっと僕の手を押し退けて一歩後ろに下がった。


「気持ちは嬉しいけど、無理することはないんだよ。苦手なら苦手でいいじゃない。しかも初対面の僕なんかにそこまで頑張る必要なんてないんだから」


 優しい目が、優しい声が、僕を包む。


「駄目なんです!頑張らなきゃ駄目なんですよ!進むって決めたのに、なのに」


 ・・・やっぱり僕は駄目な弱虫だ。


「それは違うよ」


 僕の思考を遮るように彼は言葉を紡ぐ。


「頑張ることは大事だと思う。でもね、ずっと頑張ってたらいつか疲れて倒れてしまう。だから休むことも大事だと僕は思うよ。だって君は頑張ってるじゃないか。こんなに頑張ってるんだから少しくらい休んだって誰も怒らないよ」


 そう言って彼は僕の頭を撫でる。彼の大きな手は力強く、優しい手。それはまるで―――


「あ、ごめん!嫌だったよね、なんか撫でやすくて」


 暖かな時間は咄嗟に彼の気遣いによって中断された。嫌なんかじゃない。むしろ


「もう少しだけ」


「え・・・?」


「もう少しだけ、頭を撫でてくれませんか?」


 彼は困った表情をしながらも


「えっと、僕の手で良ければ」


 もう一度頭の上に乗せられた手は先ほどと違い遠慮がちで、少し恥ずかしそうだった。


 手の感覚を堪能しながら僕は目を瞑る。人との触れ合いとはこんなに良いものだっただろうか。長らく人との接触を避けてきた僕は人の温もりに飢えていたらしい。


 どれくらい経っただろうか。


「はい、もうおしまい!」


 手がまた、離れていく。


「そんな顔しても駄目だよ。というかそろそろ学校行かないと不味いと思うけど」


 無意識に残念そうな顔をしていたらしい。思い返せば僕、かなり恥ずかしいことをしていたのでは?

初対面の相手に撫でることを要求するとか、かなりやばい人だ。そう思うと急に顔が熱くなってくる。


「そ、そうですね。学校、行かないとですね。がっこう、がっこう」


「ちょっと待って。学校そっちじゃないよ!落ち着いて!」


 羞恥心のあまり僕はあらぬ方向に進んでしまっていた。


「すみません、気が動転していました。あの、このことはご内密にして頂けると」


「勿論だよ、僕の方からもお願いしたいぐらいだね」


「じゃあ、このことは二人だけの秘密ということで」


 僕は人差し指を口元に当てジェスチャーをする。こういうやり取りは久しぶりで中学生以来だろうか。嬉しくてつい笑みが零れてしまう。


「・・・うん。じゃ、じゃあ学校に案内するよ」


 彼は慌てた様子で顔を背け、歩き出した。顔が赤いのは気のせいだろうか。


 そして僕たちは学校へ向けて歩いていく。


「はい、お願いします。あの、今更ですけどもしかしなくても先輩、ですよね」


「うん、僕もあそこの高校に通ってる。あ、そういえば自己紹介してなかったね。僕は二年の朝倉凛あさくらりんっていうんだ。よろしくね」


「よろしくお願いします。私は夏芽瑠里です。一年です」


「夏芽さんか。ん?どっかで聞いたことがあるような」


「あ、多分爺ちゃんのことだと思います。理事長してるって言ってたので」


「ということは理事長の孫?」


「そうですね。あ、でも裏口入学とかじゃないですよ」


 そういうと彼は吹き出して、腹を抱えて笑った。そんなにおかしなことを言っただろうか。


「そんなこと考えもしなかったな。夏芽さん真面目そうだし。というか夏芽さんが凄い真剣に言うから笑っちゃった」


「むー、でも身内がいると疑われそうなので」


 入学する前から思っていたことだが理事長の孫だからと絶対に言われると若干憂鬱だったのだが杞憂だっだのだろうかと、唇を尖らせる。


「・・・夏芽さんってなんかちょいちょい、あざといよね」


 突然、彼は僕の顔を見て呆れたような表情で、しかしすぐに目を逸らしてしまった。


「・・・?何がですか?」


 そう言いながら小首を傾げる。


「そういうのだけど、無意識なのか」


「よくわかりませんけど」


「まあ、いいや。もうすぐ学校だよ」


 彼は指をさしてここだよ、と告げる。ああ、一度来たことがある。ここが僕の通う学校。


「ようこそ、僕らの高校へ。これからよろしくね」


「はい、改めてよろしくお願いしますね。朝倉先輩!」


 これからどんなことが起こるだろう。大変なこともあるかもしれない。


 でも、頑張れる。そんな気がする。


 桜舞い散る校門で、暖かな風に背中を優しく押され、僕は一歩足を踏み出す。


 ああ、僕の高校生活が今、始まろうとしていた。

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