第11話
夕暮れが差し込む教室で僕と彼は向かい合っている。僕たちのほかに生徒はおらずとても静かだ。確か、伝えたいことがあるとかでクラスメイトが帰るまで待っていたのだった。
彼は真っ直ぐな目で僕を見つめており、とても真剣な顔をしている。伝えたいこととは何なのだろうか。静寂のなかとてつもなく長い時間が過ぎていく、なのになぜかこの時間が嫌じゃない。
僕は彼が口を開くのを待つことにした。
暫しの無音の時が流れ、ついに彼が口を開いた。何を言うのだろうか。僕は耳を澄ました。
「なあ、瑠里。俺と付き合ってくれよ」
心臓が高鳴る。その言葉を待っていたと言わんばかりに全身が震えた。まさに幸せの絶頂だ。
幸せなんだ。今日は何でいい日なんだろうか。
・・・・・・。
何かがおかしい。
違和感。
恐怖。
これは恐怖だ。
心のどこかで僕は恐怖を感じていた。
彼は真剣そのものだ。この告白に噓偽りないだろう。なのになんで僕は恐れている?怖がる必要はない。返事をしろ。「うん」とただ一言肯定すればいい。それだけのことなのに。
僕の心は、罪悪感に苛まれている。
なぜ?・・・そんなもの、わかっている。
答えはとうにわかっていた。
ちゃんと、伝えよう。
今度は間違えないように。
「私は、ううん。僕は―――――
僕の言葉を邪魔するように、けたたましい金属音が鳴り響く。それにお腹が重い。押しつぶされそうだ。何かが僕の上に乗っているかのようにお腹を圧迫され、とても苦しい。呼吸が浅くなっていくのがわかる。
次第に意識が遠のき、視界が白く染まっていく。
彼が薄れていく。
「待っ―――――
伸ばした手は空を切った。
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「おはよ。目覚めた?」
ああ、最悪の目覚めだ。なんだこの夢。なんて夢見てるんだ僕!よりにもよって男に告白されてる夢って!もっとあっただろ!
「おはよう。起きたよ、ばっちりね。あとは舞里が僕の上からどいてくれれば完璧だよ」
通りでお腹が重いわけだよ!舞里が寝ている僕のお腹の上に跨って馬乗りになっている。つまり全体重が僕のお腹にかかっているわけだ。そりゃあ、重いに決まっている。例え女子中学生の体重であろうと重いものは重い。
「ほら、可愛い可愛い妹が朝から起こしに来てあげたんだから何かいうことあるでしょ?」
「あー、太った?ぐふっ!」
この妹、跳ねたうえで足を浮かせて全体重をかけてきた。手加減というものを知らないのか。
「次はないよ、お・に・い・ちゃん?」
「も、勿論・・・。起こしにし来てくれてありがとう、可愛い妹をもって僕は幸せだよ」
圧迫されるお腹と目が笑っていない妹の笑顔に脅され、思ってもいないことを口にする。いや、完全に感謝の念がないとは言わないし可愛い妹をもって幸せも嘘ではない。
ただもう少し可愛げというか優しく起こしてくれてもいいだろう。まあそういうところも含めて可愛いのだが。
若干の現実逃避も兼ねて視線を窓の外に向けると、暖かな日差しが窓から差し込んでいる。雀や鳩が朝を告げるように鳴いていた。
なんて清々しい朝なのだろう。入学式にはもってこいのお日柄だ。
・・・入学式?
咄嗟に枕元に置いてあった目覚まし時計を見やる。針は七時五十五分を指していた。始業時間は八時四十分だ。あと四十五分しかない!
「大変だ、遅刻する!舞里どいて!」
全身から血の気が引くのを感じながら舞里を押し退け、クローゼットにかけてあった制服に着替える。
「だから起こしに来てあげたのに。七時に目覚まし設定してたのにそれ止めて二度寝したのお兄ちゃんだよ?遅刻しちゃうよって言ったら『あと五分~』って言うからさ。まあ、家から学校まで電車使えば二十分くらいだから走れば間に合うんじゃない?」
舞里はやれやれといった感じに両手を広げる。
「鬼!悪魔!僕が走ったら途中で倒れるってば!」
徒歩ですら息切れを起こす僕がここから駅まで走れるわけがない。恐らく、いや確実に道端で息絶えるだろう。
「そうだ!爺ちゃんは!?車で送ってもらえば間に合うはず」
「やることがあるからもう先に行っちゃったよ。そもそもお兄ちゃんが『これから毎日送ってもらうわけにもいかないから頑張って電車で行く』って言ってたじゃん、昨日」
「そうだった・・・」
不味い。そうこうしている間にも刻一刻と時間は過ぎていく。どうするべきか。走るのは不可能。お爺ちゃんも既にいない。ここから駅まで歩いて十五分弱、電車の待ち時間も含めて、そもそも学校の最寄り駅から学校までで最短で四十分。合計で約一時間かかる推測だ。
現在時刻、八時五分。
「あ、どう頑張っても遅刻だね。諦めてゆっくり行こっと」
「諦め早っ!せめて急いでいこうとかするでしょ・・・」
「だってどうせ入学式なんて座って話聞くだけだし。行かなくても良くない?あれ、なんか行かなくてもいい気がしてきた。このまま三度寝しよっかな」
爺ちゃんには申し訳ないが舞里に無理やり起こされて目覚めが悪いのは確か。このまま学校に行かなくても今日に関しては授業もやらないし、行く必要はないのではないだろうか。
そんなことを思いながら僕はスカートのチャックを下ろす。
「こらこらこら!ほんとに制服脱ごうとしないの!遅刻してもいいから行ってきて!行かなかったらお爺ちゃんに怒られるよ?」
「爺ちゃんなら許してくれるからいいや」
そもそも昨日の時点で爺ちゃんは「体調が優れなければ入学式は無理してこなくてもいいぞ」と言ってくれていた。怒られる心配はない。
「そうだった・・・お爺ちゃん、お兄ちゃんには激甘だった・・・。で、でもお婆ちゃんには怒られるんじゃないかな?お兄ちゃん昨日、皆の前で宣言してたし」
そうだった。これから学校に通い続けられるかわからないから入学式くらい半日だけなんだから頑張って一人で行く、と言ったのは僕だ。それすらも反故にするなら婆ちゃんは烈火の如く怒るだろう。あの人あれで爺ちゃん大好きだから僕を入学させるために色々頑張ってくれた爺ちゃんとの約束を破ったらそれはもう晩ご飯抜きとかの騒ぎではない。僕の今後の生活に影響が出てしまう。
仕方ない、行こう。僕は震える手を抑えながらスカートのチャックを上げた。
「朝ご飯は・・・食べてる余裕ないか。半日だし帰ってきてから食べよう」
「お兄ちゃん髪、ぼさぼさだからちゃんと整えてから行ってね?学校で恥かくのお兄ちゃんだからね?」
「面倒くさい・・・舞里手伝って」
「はいはい」
そんなこんなで着替えをし、整容を済ませた僕は学校指定の鞄をもって玄関へ向かう。
靴を履き、玄関にある姿見で僕を映す。
髪型良し、制服良し、靴良し、鞄良し、笑顔は・・・まあ追々で。
すると舞里が僕の後ろから腕を回し抱きしめる。一呼吸の後、
「無理しないで、いいからね。辛かったら途中で帰ってきてもいいからね。なんなら学校なんて―――」
「舞里、僕は大丈夫だよ」
「でも・・・」
「舞里」
震えているのがわかる。顔は見えないけど不安でいっぱいなんだろう。
「・・・ごめんね。わたしが情けないからお兄ちゃんが進めないよね。お兄ちゃんは頑張ってるのに」
「大丈夫。お兄ちゃんに任せなよ。なんたって僕は舞里のお兄ちゃんだからね」
舞里の震えが止まった。
「うん。お兄ちゃん、いってらっしゃい」
軽く背中を押される。大丈夫、これで頑張れる。僅かに震えていた足も止まった。大丈夫、行こう。
「じゃあ、いってきます」
僕は、一歩足を踏み出した。
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