第9話

「大丈夫かな・・・。僕が無理させたせいで」


「お前のせいじゃないよ、あの子の自業自得だからね」


 舞里がお風呂で倒れて婆ちゃんに急いで助けてもらった後、部屋に寝かした。

今は夕食を食べ終えて、買った下着のタグを取りながら婆ちゃんと雑談をしている。爺ちゃんは残業で遅くなるらしい。先生の仕事は大変なのだそうだ。


 婆ちゃんはお茶を啜り、溜息を一つ。


「あの子のことだ、どうせ瑠里のことで頭が一杯になって逆上せたんだろう。馬鹿な子だよ」


 心配する素振りすらなく、湯飲みの柄を指で撫でてまた溜息をついた。

僕は何度も舞里の様子を見に行こうとしたが、その度に「今はほっといてやれ」と止められた。


「でも、心配だよ。風邪なら誰かが近くに居たほうが安心するだろうし、やっぱり・・・」


「頭に上った血を下げさせるために部屋で一人にしてるのに原因のお前が行ったら意味がないじゃないか。今はほっとくのが一番なのさ。お前も夏芽の女ならいつかわかるだろうよ、狂ったように求めることしかできなくなる鬼の気持ちがね」


「むう・・・前から思ってたけど何なのそれ。『夏芽の血には鬼の血が入っている』ってやつ。」


 僕たちが子供の頃から婆ちゃんは「夏芽の先祖には鬼がいた。」と教えてくれていた。

昔は脅かすための冗談だろうと聞き流していたが僕がこの歳になってもそんな冗談を言うとは思えず、何より婆ちゃんは冗談を言う性格ではない。

だからこそ僕は不思議に思う。鬼だなんて現実的ではないし、それが舞里と何の関係があるのかがわからない。


 外し終えたタグをゴミ箱に捨て、婆ちゃんの前に座りなおす。淹れてあったお茶に口をつける。うん、温かい。湯飲みをちゃぶ台に置き、婆ちゃんに視線を移して目を細めた。

ただでさえ、舞里の様子を見に行かせてくれないというのにふざけたことを言うなんでいくら僕が根暗だといっても我慢の限界がある。


「ふっ、良い目をするようになったじゃないか。そんなに舞里が大切かい?よくもまあ、兄妹揃って似たものだよ」


 は?


「婆ちゃん」


「わかってるよ落ち着きな。そうだね何から話したものか。ふむ、昔に夏芽の鬼の話はしたねえ?」


「鬼と契りを結んだ男の話だよね。寝る前に嫌って程聞かされたから覚えてる」


 夏芽の鬼。それは山に暮らしていた鬼の娘が酷い嵐の夜。遭難した人の男を助け、一目惚れをする。

男は嵐が過ぎ去ったあと、村へ帰るが鬼の娘は男のことを忘れられず男を追いかけた。

しかし、村には男が村の娘と仲良くしているのを目撃してしまう。その日の夜、村の娘は姿を消した。

それから男に近づいた女はその日の晩、姿を消していくこととなる。しばらくすると男は呪われた存在として村を追放となった。

追放された男は行くあてもなく森を彷徨うがそこに鬼が現れ、男を連れ去った。

そして鬼は”行くところがないならここに居ればいい”と男に言った。

男は”このまま彷徨っていても死ぬだけだ。それなら鬼に喰われて死んでも一緒だろう”とすぐさま承諾する。

猪や鹿の肉、木の実や野菜が豊富な森で二人は幸せに暮らした。

それから数年の時が経ったある日、男は鬼に言った。”俺を喰うなら頃合いだろう。俺ももう長くはない”それを聞いた鬼は娘を抱き寄せ、静かに”旦那様は皮と骨だらけの病に蝕まれた肉を喰えと申しますか”と告げた。

男は床に臥せたまま笑い、”ああ一緒に死んでくれ”と短く頷く。

鬼は”わかりました。未来永劫いついかなる時でも愛していますよ”と男に口づけをした。

二人は死に、悲しい結末を迎えて終わり。


 それが僕の知っている夏芽の鬼の顛末だ。


「そんな風に思ってたのかい。そうだよ、鬼の女は狂った男に恋をして狂ったのさ。そして私たちはその狂った男と鬼の子孫というわけだよ。だか鬼はただ男を喰らって死んだわけじゃない。死ぬ前に自分の娘に呪いをかけたのさ」


「呪い?そんな話聞いたことないけど」


「そりゃそうさ初めて話すからねえ。まあ呪いなんて言ったがそんな大層なものじゃない、ただ『自分が愛した人と幸せになる』それだけさ。死に逝く母からのお願いみたいなものだよ」


「愛した人と幸せになる?で、それがなんなの。舞里と何の関係もないでしょ」


「そう急かすんじゃないよ。要するに鬼の最後の願いが自分の娘だけじゃなく子孫にまで受け継がれているってことさ。その子孫である舞里は愛した人、つまりは瑠里。お前と幸せになろうとしたんだろうな。実の兄と知りながら、それでも愛することをやめなかった。それ故にあの子は狂ったのだろうよ」


「僕を、愛して・・・」


 舞里が僕を愛している、その言葉が重くのしかかる。僕は舞里に何をしてやれるだろうか。

守ることすら碌にできない、ダメダメな僕に。


 俯いて考え込んでいたら不意に玄関の扉がが開いた音がした。


「今帰ったぞ」


 爺ちゃんが帰ってきたようだ。


「まあ、時間はある。ゆっくり考えるといい」


 そう言って婆ちゃんは立ち上がり爺ちゃんを出迎えに玄関へ向かった。

僕は足音をさせないよう退室し、舞里の部屋へ向かう。そしてそっと扉を開けた。


 舞里は寝息をたてて眠っている。窓から差し込む月明かりが舞里の顔を照らしていた。

そのまま舞里の横に座り、顔にかかった髪を分けて頭を撫でる。額に触れた際、まだ仄かに熱を感じた。

温くなった冷えピタを剥がし、新しく張り替える。触れた手に舞里の熱が残っているような気がしてどこか暖かい。


 ”舞里が僕を愛している。”その言葉がずっと頭の中を反芻しているが、考えても考えても何時までも答えはでないまま。


 時間だけが過ぎていき、気が付くと時計の針は十一時を指していた。

婆ちゃんの言っていた鬼の話は到底信じられるものではない。けれども、舞里の様子は明らかにおかしいものだった。それは僕にもわかっている。それでも舞里が狂うほど僕を愛しているのだろうか、そこまでの価値が僕にあるだろうか、そんなことを考えてしまう。


 『まあ、時間はある。ゆっくり考えるといい』婆ちゃんの言葉を思い出す。

そうだ、時間はある。舞里が僕のことをどう思っていようと僕のすることは変わらない。

舞里を守る、だたそれだけだ。それだけできれば僕は舞里に嫌われようと構わない。


 少し軽くなった心は僕に落ち着きを取り戻させた。最後に舞里の頬を撫で部屋を出た。

また明日。次こそはちゃんと舞里と向き合って話をしよう。そう心に決め、僕は布団に入り瞳を閉じた。

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