第8話

 クレープを食べたあとに三人で色々なことを話した。始めは他愛のない雑談だったが、僕たちは次第に今までの境遇のことを零していった。


 実梨からは家庭のことを、聞いた。けれど僕にはただ頷きながら聴くことしか出来なかった。軽々しく慰めの言葉を吐いてもそれは同情でしかなく、そんなものは実梨は求めていない。だから僕は一言、「そっか」と呟いた。


 僕も家族が事故に遭って引きこもりになったことを話した。しかし僕が手術で女の子になったことまでは話さなかった。でも実梨が信じられなかったわけじゃない。まだ一歩、踏み出すには今はそのときじゃない、そう思った。いつか親友と呼べる時がきた日に話しても遅くはないだろう。


 それこそ、まだ会って間もないというのに何故だろう。不思議なほどに話しやすく、僕たちはいつしか互いに怒りや辛さ、悲しみを共有していった。


 気づいた頃には時計は五時を指していた。日が沈みつつあり、店を出ていく客も増えてきた。

「そろそろ、帰ろうか」とクレープ屋を後にしデパートを出る。自動扉をくぐると吐いた息が白く、寒さを伝えてくれる。僕は上着のボタンを留めなおした。



 帰りのバスに乗るため、バス停に向かう。実梨は方向が違うようで僕たちとは別のバス停へと向かった。


 実梨はバス停を背にして僕たちに手を振る。


「それじゃあ、また学校でね!」 


「はい。受かっていれば、ですけどね」


 別れのあいさつに水を差された実梨は頬を膨らます。


「ちょっとー、そういうこと言わないで!大丈夫、絶対受かってるって!・・・たぶん」


「ふふっ、冗談です。実梨さんなら大丈夫ですよ」


「そうだよね、出し切ったからあとは神のみぞ知るってことで!」


 採点する先生はしってますけど、とは言わずこれ以上苛めても良くないだろうと口を噤んだ。


「受かっていることを祈ってます。それではまた学校で」


「うん、じゃあね!」


 大手を振りながらバスに乗り込む実梨を見送る。


 其の後、僕たちも自分たちの家に向かうバスのバス停に行く。そこにベンチがあったから二人で腰かけた。


「ふうー疲れたね。ナンパされたり、友達できたり。色々ありすぎてもうくたくた・・・」


 舞里は座るとだらしなく背もたれてため息を吐いた。周りに人がいないからって足を開いて座っており、はしたない。いくらショートパンツだからと女の子がその恰好は兄として、もとい姉として了承できない。「こら、閉じなさい」と素肌が見えている太ももを叩く。舞里は「えへへ、ごめんごめん。」と頬を掻く。


「でも女子しかいないとこんなものだよ?夏とか暑いから男子いないと平気でスカートに扇風機突っ込むし」


 ええ・・・。驚愕、というか何やってんだ。いや、まあ男も扇風機はやるけどさ。


「・・・別に女の子だから四六時中お淑やかにしろとは言わないけど、誰が見てるかわからないんだからそこら辺はしっかりしてよ?ただでさえ舞里は可愛いんだから。余計はリスクは負わないようにしないと」


 舞里は驚いた顔をしたのち、無表情になる。少しするとジト目で僕を見つめ始めた。


「え、なにさ」


「・・・んー、いやー”なに妹口説いてんの”とか思ったけど、遠回しに自分はお淑やかにしてるとか、自慢しててとちょっとイラッとした」


「別に自慢してないけど!?」


「はいはい。お姉ちゃんは清楚で可愛いですねー」


 よしよしと、僕の頭を撫でる。手にはかなり力が込められており、髪がくしゃくしゃになってしまった。


「ちょっと、ボサボサになるから。撫でるのやめなさい」


「そう言う割には抵抗しないじゃん。あー、お兄ちゃんの髪さらさらで気持ちいい。なでなでが嫌なら、ぎゅーする」


「もう・・・」


 それからバスがくるまで十五分ぐらいひたすら抱き着かれたまま撫でられ続け、僕は疲れた顔でバスに乗った。


 疲れがピークに達したのか舞里はウトウトとし始め、バスが走り出して一分もしないうちに僕の肩にもたれ掛かり寝息をたてていた。僕はバスに揺られながら手に顎をつき、一言も喋ることなく外の景色を何をするでもなく眺める。


 もうすぐ着く頃だろうと舞里を起こそうと舞里のほうを向くと、目と目があった。


「なんだ、起きてたんだ」


 声をかけるが返事はない。ひたすら僕を見つめる舞里は何かを言いたげで、しかしそれを口にして良いのか迷っている。口を開いては閉じてを繰り返し、そして目をそらしてしまう。


「どうしたの?」


「・・・うん」


 そう呟くだけでいくら待てども舞里は喋ることはなかった。そのまま無音のバスの中を過ごし、ついに降りるバス停についてしまった。

車掌さんに軽く礼を言ってバスを降りると、ぽつり、と腕に冷たい何かが当たる。空を見上げるとまたぽつり、と今度は顔に冷たいもの。雨だ。雨が降り出した。

天気予報を見てくればよかったと思うが今更言ってもしょうがない。残念なことに傘は持ってきていない。


 僕は舞里に「濡れる前に帰るよ」と手を引き走ろうとする。しかし舞里に止められ、つんのめる。


「舞里、風邪ひくから。早く帰ろう?」


 それでも舞里は手を握ったまま動かない。次第に雨は強くなり、あっという間にずぶ濡れになっていく。それでも俯いたまま黙り込む様子に僕は痺れを切らし、


「言いたいことがあるなら・・・言いなよ。言ってくれなきゃ、わからないよ」


 強い口調で言い放つ。


「・・・・・ごめん」


 話を聞いてあげたい。


「・・・風邪ひくから、とりあえず帰ろう。」


 しかし、ずぶ濡れの舞里が見ていられなくて強引に手を引いた。


 家に帰ると出迎えてくれた婆ちゃんは雨に濡れた僕たちをみて大慌てで「今、お風呂沸かすから身体拭いておきなね」とタオルを持ってきてくれた。そのまま玄関で濡れた髪を拭いてぐずぐずの靴下を脱ぐ。


 ふと舞里のほうを向く。タオルを頭にかぶったまま座り込みじっと動かず、髪先からポタポタと雫が落ちて足元に水溜まりを作る。


 自然と溜息が零れてしまった。


「久しぶりにお風呂、一緒に入ろっか」


 舞里は無言のままこくり、と頷いた。


 一緒にお風呂に入るのはいつ振りだろうか。昔はよく入ったものだが僕が小学校高学年に上がったくらいにクラスメイトに馬鹿にされて恥ずかしくなって入らなくなった。あの時は舞里が「なんで、なんで?」と泣き喚いて大変だったから記憶に残っている。


 舞里を先に湯船に浸からせ、僕は身体を洗う。

足の甲にシャワーのお湯をかけ温度を確認する。順に脹脛、膝、太腿とお湯に身体を慣らしていく。冷え切った体にはお湯が沁みてぞわぞわと肌を擽った。

全身を慣らした後、お湯を頭から被り隈なく濡らしていく。温かな温度が冷えた身体と心をゆっくりと熱で包んでいく。名残惜しいが水道代を考え水栓を締め、顔に残った水滴を拭う。

ボディソープを手探りで見つけ、ワンプッシュ。因みに僕は身体を洗う時はタオルを使うと痛いので素手派だ。前に男だった時の癖のままタオルを使ってやったら擦れて赤くなってしまった。それからは素手でやっている。

まずは両手でボディソープを擦り合わせ泡立てて、首に手を当てそのまま肩、脇、二の腕、前腕と撫でるように洗っていく。そして肩から胸を通り過ぎお腹に撫でおろした。胸の下に汗が溜まるので入念に。次いで背中、お尻、太腿、膝、脹脛、足の甲と順に下ろしていく。足の裏を洗う時に擽ったくなり、変な笑いが出てしまう。


 体を洗い終え、お湯で泡を流していく。


「舞里、僕も入るからちょっと詰めて」


「うん」


「ふう・・・。ああ、気持ち良い。」


 目を瞑り天上を仰ぐ。


 しばらくして「よし」と呟き、舞里を見つめる。


「ねえ、舞里」


「・・・なに?」


「さっきバスで言いかけたこと教えてよ」


「んー何でもないよ。私がちょっと考え過ぎてただけだから。もう大丈夫」


 浴槽の縁に顎を乗せ、目を瞑ったまま微かに微笑む。僕は変わらず舞里を見続けていた。


「心配してくれるのは嬉しいけど大丈夫だから」


「舞里、僕は――――――――」


「はい!この話はお終い。熱くなってきたから私、出るね」


 僕の話は聞きたくないとばかりに言葉をかぶせ、スッと立ち上がりそこで舞里の身体がブレる。


「あれ?」


 倒れそうになった舞里を咄嗟に抱き留める。しかし、体格差では僕のほうが小さい。受け止めきれずそのまま僕が下になる形で湯船に叩き付けられた。

激しく水音に駆け付けた婆ちゃんに助けられ、二人がかりで湯船から出す。


「はあ、このアホは・・・。どうしてこうなるまでほっとくかね」


 触れた舞里の身体は熱した鉄のように熱く、あからさまな異常を伝えていた。

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