第7話

 彼と別れた僕たちはこのまま食事を摂る気にはなれず、しかし帰宅するにはこの空腹感が少し邪魔をしてどうしたものかと悩んでいた。緊張状態から解放され安心したためだろうか、余計にお腹が空いている。


 このままデパート内で思案していてもまたナンパ野郎たちが現れないとも限らず、僕個人としては一刻も早く出たいと思っている。外に出て歩きながら考えるのもありと言えばありだが今は三月上旬。流石にこの寒さは肌にしみる。


 唸りながらも出口に向かう。すると遠くからどこか聞いたことのある声が耳に入ってきた。


「あれ、瑠里ちゃんじゃない?おーい」


 声のするほうに顔を向けると、入学試験の時に迷子になっていた少女がこちらに飛び跳ねながら大きく手を振っている。跳ねるたびにぴょこぴょことポニーテールが揺れる。


「あの人、お兄ちゃんの友達?というかお兄ちゃんに女の人の友達なんていたの?」


「高校の入試で同じクラスだった人。友達じゃなくて、ただの知り合いだけどね」


「へえ、良かったね。入学する前に友達できて。学校で一人ぼっち回避できたじゃん」


「だから友達じゃないし・・・。そもそも受かってない可能性もあるからまだ回避できたわけじゃないよ」


「何気に酷いこと言ってない?それ。というか私と話してないで何かリアクションしてあげなよ。ずっとジャンプしてるよ、息切れ始めてるし」


 僕が一切反応を示さないせいで気づいてないと思ったのか、徐々に動きが激しくなり呼吸を荒くしてまで手を振り続けている。


「瑠里ちゃーん!そろそろ気づいてくれないと私、酸欠で倒れるよ!私の死因が『瑠里ちゃんに呼びかけても気づいてもらえず息を切らして酸欠』になっちゃうよ!」


「ほら、ああ言ってるし。それに他のお客さんの迷惑になるから早く反応してあげて?既に視線が集まってきてるから」


 あまりの必死さに無視を決め込み、他人であると主張したかったがこのまま殺人を汚名を被るのは本意ではなく、仕方ないとばかりに小さくため息を吐き、改めて彼女のほうを見やる。

視線が合うと必死だった表情から一転して明るく咲くような笑顔に変わり、気づいてくれた嬉しさを表現するためがより激しく手を振っている。

 投げられたボールを拾ってくる忠犬のごとく、駆け寄ってくる彼女になぜだろうか。犬の耳とぶんぶんと左右に揺れる尻尾を幻視してしまった。

 

「・・・お久しぶりですね、篠咲さん。元気そうで何よりです」


「うん、すっごい元気だよ!まさか瑠里ちゃんに会えるとは思わなくて、ついテンションあがっちゃった!隣の子は友達?はじめまして私、篠咲実梨って言います。瑠里ちゃんの友達です」


「いえ、友達ではないのですが」


「ええええ!?この間、あんなに喋ったじゃん!」


「喋っただけじゃないですか。別に友達というわけじゃないと思いますけど」


「がーん・・・」


 あからさまに落ち込んでますよと、体を枝垂れさせる。今時、口で「がーん」なんていう人がまだいたのかと少し関心すると同時に頭があまりよろしくない方なのかと先ほど話した入学早々一人ぼっちが真実味を帯びてきて若干、不安になる。 


「あはは・・・えっと、初めましてお姉ちゃんの妹の舞里です。」


「よろしくね。って妹!?瑠里ちゃんよりしっかりしてそうだからてっきり友達か、お姉ちゃんだと思ったのに!」


 おい、どういう意味だ。小一時間、問いただしてやろうかと、目を細め殺意の念を込めて睨み付けた。

視線に気づいたのだろう、気まずそうに顔を背け口笛を吹くが吐息が漏れるばかりで音が出ていない。


「だ、だって瑠里ちゃん小さ―――可愛らしいから。間違えるのは仕方ないというか」


「悪かったですね、小さくて。好きで小さいわけではないのですが」


「ごめんって。怒らないでよー」 


 彼女は両手を胸の前で合わせ、大袈裟に頭を下げる。いちいち行動が大きく、幼児を相手しているようで怒ってる自分のほうが幼く感じて馬鹿らしい。

 疲れからか、呆れて言葉が出ないのかついついため息がこぼれてしまう。


「ごめんってーほら、この通り。・・・あっそうだ。お詫びってわけじゃないけどここ、クレープ屋さんがあってね。すっごく美味しいって評判なんだ。良かったら奢るけどどうかな!」


 空腹で少し苛立っていたのもあったが別にもう怒ってはいないし、空腹を満たせば少しは気も休まるだろう。落としどころとしてはここらが妥当なんじゃないかと思い、舞里のほうに目を向ける。


 舞里もコクコクと頷き、クレープ食べたいと訴えているので「じゃあ、行きましょうか」と後ろ手を組む。


「ですがお金はちゃんと自分で払います。人に奢られるのは好きじゃありませんから」


「気にしなくていいんだよ?さっきも言ったけどお詫びってわけじゃないけど、私があそこのクレープ大好きでね。瑠里ちゃんに食べてもらいたくて誘ったんだから、それくらい払わしてよ」


「嫌です。誰かに施しを受けるということは借りを作るということです、それは僕の主義に反します。それに会って間もないそこまで仲良くもない人にそこまでされるのは少し、怖いです。なので篠崎さんには悪いと思いますけどそこは曲げられません」


 言い切ってから気づくが言い過ぎたかもしれない。もう少し優しい言い方があったなと後悔してしまう。それこそ会って間もない僕にここまで仲良くしてくれる人が優しくないわけがなく、仲良くなりたいと心の底では思っている。それでも裏切られる時を幻視して繋がりを作ることすら恐れている。

 

 どうしてこうなるんだ。逃げないって、少しづつでも一歩踏み出してくって決めたじゃないか。

僕の意気地なし。これじゃあ、何も変われない。進めない。視界が滲んでいく。


「・・・なんか、格好いいね瑠里ちゃん」


「え・・・」


 僕が、格好いい?何かの聞き間違いだろうか。そんなはずはない、僕が格好いいだなんて。こんな情けない人間が。


「自分の気持ちを真っすぐ伝えられるって凄い格好いいと思う。私っていつも周りの顔色ばっかり見ちゃって何にも言えなくなっちゃってさ。自分の意見なんて何にもなくて、流れに乗って流されて。私なんてどこにもなくて、そんな自分が大嫌い。だから瑠里ちゃんみたいに自分を伝えられるって羨ましい。だから瑠里ちゃんはすっごく格好いいと私は思うよ。・・・だからそんな顔しないでよ、私が惨めみたいじゃない」


 彼女は僕を見ながらどこか遠くを見ていて、微笑みながらもとても悲しい目をしていた。


「僕は、格好良くなんか・・・ない。見ず知らずの人間に優しくしてくれる篠崎さんを信用できなくて距離をおきたくて。裏切られるくらいなら最初から近づかないほうが傷つかなくていいって、そんなことばかり考えてる臆病者なんだ。だから格好いいなんてそんな、立派なものじゃ―――」 


 不意に、僕を抱きしめる彼女。僕よりも背が高い彼女は包み込むように後頭部と背中に腕を回し、壊れ物でも扱うようにそっと、しかし離すまいと力強く抱きしめた。彼女の体温はとても温かく、それていて優しかった。


「今までに瑠里ちゃんに何があったかなんて知らない。私の想像以上に辛い思いをしてきたのかもしれない。でも、それでも私は瑠里ちゃんには笑顔でいてほしい。初めて会って時、瑠里ちゃんを見て思ったんだ。『この子が笑ったら可愛いんだろうな』って。だから仲良くなりたい。瑠里ちゃんが格好良くなくても、臆病だとか関係ない。私が仲良くなりたいと決めたの。」


 何を言ってるんだ、この人。笑った顔がみたいから仲良くするって、なんて自分勝手なんだろう。自己中心も甚だしい。だけどしかし、他人のためと嘯く聖人君子よりかは何倍も信用できてしまう。


 呆れるを通り越して自然と笑みが溢れる。どうしてだろうか、彼女なら大丈夫だと裏切らないんじゃないかと根拠のない自信が湧いて出る。


 なにより彼女を信じてみたい、そう思ってしまった。


「ふふっ、なんですかそれ。そんな理由で仲良くなれると思ってるんですか?」


「ブブー!違うよ瑠里ちゃん。私は仲良くするって決めたから瑠里ちゃんの気持ちは関係ないの。だから覚悟してね、私かなりしつこいよ?親友になるまで諦めないから」


「しつこいのはもう、知ってます。それに親友ですか、大きく出たものですね。期待しない程度に待ってることにしますよ。篠崎さんが、いえ実梨さんが親友になる日を」


「名前で呼んでくれた!ってことは一歩前進だよね!よーしじゃあまずは、瑠里ちゃん!」


 彼女は僕に向き直り、姿勢を正す。


「はい、なんですか?」


「私と友達になってください!」


 まるで告白のようだ。深く頭を下げ、差し出された右手を僕は


「ええ、いいですよ。よろしくお願いします」


 優しく握り返した。


「こちらこそよろしくね!よし、仲良くなった記念にクレープ食べに行こー!」


 向かう先のクレープ屋では既に舞里がクレープを両手に抱えながら交互に食べていた。僕のほうをニヤニヤと眺めながら。後で一発叩いておこう。

 

 僕は実梨に手を引かれながらやれやれといったふうに歩き出した。しかし、まあ口元が緩んでしまうのはご愛敬というものだ。今はクレープが楽しみだからということにしておきたいと思う。

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