第5話

 そんなこんなで遥々電車に乗ってデパート一角、ランジェリーショップの試着室にいるわけなんだが、正直に言わせてもらえば僕としてもいつまでも妹の下着を着ているのは兄としても元男としてもよろしくないので購入自体はやぶさかでない。寧ろ最近サイズが合わなくなってきているので前向きに検討したいところだ。


 女体の身になってからはや二年。慣れとは恐ろしいもので女の子の体に過剰に反応していた時期はとうに過ぎている。初めのころはよく一緒にお風呂に入ったものだ。・・・半ば強制ではあったが。なので今更、実妹に裸を見られようが触られようがどうということはないわけである。


 しかし、なぜ僕がここまで抵抗するのか。それは


「また大きくなったね、ねえお兄ちゃん。同じもの食べてるはずなのにどうしてお兄ちゃんばっかり大きくなるんだろうね。身長は伸びないくせにお胸とお尻ばっかり大きくなって・・・。本か?本を読めば胸が大きくなるんかぁ?なるわけないでしょ!?もぎ取るよ!?」


 舞里が僕の胸を見るたびに鷲掴みながら恨めしそうに呪詛を吐くからだ。

毎回サイズを測る時に「わたしが測ってあげるね!」とメジャーを手放さない。自分でできるからと言っても問答無用でメジャーを合わせたあと、「また、大きくなってる・・・」と落ち込むのだ。

 何がしたいのかさっぱりわからないが本人曰く、「お兄ちゃんが女の子を受け入れて成長していってるのはわたしにとって嬉しいことだから。だけどわたしより胸が大きいのは純粋にムカつく。お肉が全部、お腹にいけばいいのに」だそうだ。難儀な性格である。


「ねえ、そろそろ店員さんの僕らを見る目が厳しくなってきたから、早く買って昼ご飯にしない?」


 時計がないのでわからないが僕の腹時計が「もう直ぐお昼じゃない?」と訴えている。


「ちょっと待って。あとこれとこれとこれだけ試着したらやめるから!お兄ちゃん身長低いくせにスタイル良いから色々試したいの」


「ええ・・・別に何でもいいじゃん。というかスポブラで良くない?フリルとか要らないから、わざわざこんな高いの買わなくてももっと安いのあるじゃん。この間、スーパーにあった3着2000円のやつ。あれで良くない?」


「はあ!?お兄ちゃんわかってない!わかってないよ!」


 だからその顔やめなさい、女の子がしていい顔じゃないから。怖いよ。


「普段使いと勝負下着は別なんだよ。そもそもそんなに動かないんだからスポブラする必要ないじゃない。お兄ちゃんは大きいんだからちゃんとしたやつ使わないと形崩れるよ」


 面倒くさい・・・、っと言ったら怒られるんだろう。女の子はいつも面倒くさいことと戦っているのか。尊敬はするが真似はしたくない、しかししなくてはならない。これが女の子になった代償か。望んでなったわけではないのだが。


「はいはい、じゃあこの3着でお終いね。僕には下着のことはわからないから任せるけどあんまり布面積が少ないのはやめてよ」


「もう、面倒くさがり。着せ替え人形にしたのはわたしだけどさ、少しは興味持ってもらわないといつか面倒くさいって言ってノーブラとかになってそうで怖いんだけど・・・」


 ・・・・・たまに付けてないなんて言えないなこれは。


「なんで目を逸らすの。ねえ、嘘でしょ、ねえ。本当に付けてないなんて言わないよね?ノーブラで外でるとか頭おかしいことしてないよね。それただの痴女だよ、ド変態だよ。絶対やめてよ、襲われても文句言えないからね」


「はい、すみません。気を付けます」


 休日の正午、下着姿で妹に頭を下げることになるとは誰も予想できなかっただろう。これを機に面倒くさがりも程々しようと心に決めた僕だった。

 

 ランジェリーショップを出た僕たちは案内板を見ながら飲食店を探した。僕はチェーン店のラーメン屋を指さす。


「ラーメンはどう?」


「味は?」


「豚骨」


「くどくない?いいけどさ。あ、お寿司食べたい」


「そんなにお金持ってきてないよ?」


「おばあちゃんから貰ってきてるから大丈夫」


 いつの間に。いや、もともと僕の下着を買いに行く予定だったのだから貰っててもおかしくないか。

というかさっきも「わたしが選んだんだからわたしが払うね」と僕はお金を出していなかった。


「ならいっか、寿司にしよう。混んでないといいけど流石に難しいかな」

 

「やった!久しぶりのお寿司!」


 そうして寿司屋に向かう僕たち。

休日なのもあってか人通りが多い。親子連れや友人同士だろうか、学生らしき人もちらほら見える。その人混みの中からふと、他からは温度が違う声が耳に入る。


「なあ、あの子らめっちゃ可愛くね?」「うおっ!マジじゃん」「ちょっと声かけね?」「やめとけ、やめとけ!無視されるだけだって」「ワンチャンあるっしょ!」


 自意識過剰か、気のせい。そんな言葉で頭の中を埋めて誤魔化す。それでも不安が拭い切れず、自然と舞里に身体を寄せて手を握ってしまった。


 学校に通えるまでは軽減された僕の『男性恐怖症』それは根本的には治っておらず、簡単な会話はできるし身体に触れられなければ過呼吸を起こし倒れることはない程度のものだ。

血縁のじいちゃんにすら触れることはできず、他人なんて以ての外。ようやく、外出をすることに抵抗がなくなってきている最中であり一人で外に出るのなら今までの倍の時間がかかるだろう。

 

 次第に呼吸が浅くなり、視界が狭まっていくのを感じる。血流が止まり、身体が冷たく凍える。固まってしまう前に今すぐ走り出したい気持ちを抑えつけ、一歩、また一歩と歩を進めた。でないとこのまま倒れてしまうから。


 しかし僕の努力も虚しく、足音が聞こえる。近づいてくる、徐々に大きくなっていくその音は僕にとって処刑台のギロチンが落ちる音だ。このままでは僕は死んでしまうだろう。


 コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。


 駆け足で無遠慮な音。最大限まで膨れ上がった音は僕の横をすり抜け、前に立ちはだかった。


 足が、止まる。止まってしまった。


「大丈夫、わたしがいる」


 そっと呟かれた一言。しかし落ち着いたその声は僕を安堵させるには十分な言葉だった。

強く握られた手から舞里の体温を熱く感じ、凍えた心を温め溶かす。


「ねえねえ、君たち可愛いね。俺たち今、暇してるんだけどさちょっと遊ばない?」


 男二人組の声が遠く聞こえる。


「この後、家族と会う約束してるのでいいです。」


 いつの間にか呼吸が戻り、視界が開けていく。


「俺たち楽しいところ沢山知ってっからさ」


 僕はいつまでも妹に守って貰うだけでいいのだろうか。そんな兄で僕は耐えられるのだろうか。


「飯、まだだったら奢るよ。どうかな」


 耐えられない。いいわけがない。僕が守るんだ、舞里を、あの頃みたいに、あの時みたいに。


「結構です。約束あるって言ったじゃないですか」


 でも僕は弱いから、守るだなんて難しいかもしれない。それでも強くなるから。舞里ひとりくらいなら守れるように強くなるから。


「そんなこと言わずにさ。俺らと一緒のほうが絶対楽しいって!」


 だから、まずはその第一歩。一歩にしては小さいかもしれないけどそれでも僕の精一杯だから見ててね。


「しつこいですよ、何を言ったって行きませんから」


 深呼吸を一回。そして大きく息を吸って、


「はあ、いい加減に大人しくついて来いって―――――――「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 大声で叫んだ。全力で、限界まで。僕にはまだ守る力はない。だから、助けを呼ぶ。


「ちょっ、お前!ふざけんなよ!」「やべーよ、もう行こうぜ」「クソがっ!」


 卑怯だなんて言わせない、これが今の僕の精一杯だ。


 やってやった、そんな達成感に包まれていた僕は油断していたんだろう。心のどこかで「何をしたって女だから暴力を振るわれることはない」なんて、甘い考えをしていた。


 だから男の片割れが振り上げた拳を見て身体が固まってしまった。


 拳が、僕に向かって、おろされる。


「ほっ!」


 軽い掛け声と共に横から何かが飛んでくる。そして男にぶつかり、吹き飛んだ。


「よっしゃ、ぎりぎりセーフ。君、大丈夫だった?」


 高校生くらいだろうか、ふわふわの茶髪がいかにも遊んでますよと言っている男が話しかけてくる。

突然の出来事で頭がショートしている。何が起きたのだろうか。殴られると思ったら横から茶髪の男がドロップキックをかましながら飛んできて、助かった?・・・意味がわからない。

 

「おーい、聞こえてる?あれ、もしかして間に合わなかった感じ?」


「お兄ちゃん、大丈夫!?」


 呆然としていた舞里が茶髪の男を押し退けて僕に駆け寄る。


 ああ、ようやく舞里を守れたんだ。その安堵で緊張が解けていく。


 全身の力が抜け、僕の意識は遠のいていった。


「お兄ちゃぁぁぁぁぁんっ!?」


 最後、僕は舞里の叫び声と茶髪の男に受け止められたところで記憶が途切れた。

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