第6話
お母さんの暖かく大きな背中に全身を預け、夕暮れのなかを帰路につく。
僕は足の痛みに耐えられず、目を赤く腫らしながらぽろぽろと泣いている。
ああ、これは夢だ。これは僕の幼かった頃の、まだ母さん父さんが生きていた時の思い出。
あの時は学校でクラスの女の子が虐めにあっていて、それを止めようとした僕が相手の男の子に投げ飛ばされ足を蹴られた。歩くことができず母さんに迎えに来てもらった時の帰り道の記憶。
「瑠里は夕飯何食べたい?好きなもの作ってあげるわ」
「うーんとね、ハンバーグ!」
目元に溜まった涙を拭いながら言うとお母さんは小さく笑い、僕が背中から落ちないよう軽く勢いをつけ背負いなおす。さっきまで泣いていたのが嘘のようだった。
「ハンバーグは昨日食べたでしょ?それはまた今度ね。」
「じゃあね、じゃあね!・・・うーん、豆腐ハンバーグ?」
するとお母さんはまた、小さく笑った。
「瑠里のなかじゃ、普通のハンバーグと豆腐ハンバーグは別なのね?それじゃあ、トマトハンバーグはどうかしら?」
「あのじゅるじゅるはハンバーグにはなれないのでだんこきょひをします!」
「トマト美味しいんだけどなー。瑠里がトマト食べれるようになってくれたらお母さん、張り切ってハンバーグ作るんだけどなー」
「前向きにけんとうすることをぜんしょします!なのでトマトハンバーグ以外がいいです!」
「あはは、なにそれ。お父さんの真似?」
「そう!似てた?」
「そっくりね、苦手なことから逃げるときに難しい言葉で誤魔化すところとか特に。でも瑠里はそんなかっこ悪いお父さんの真似しちゃだめよ?」
「お父さんかっこ悪くなんかないよ!僕の一番のヒーローだもん!いつか僕もお父さんみたいになってお母さんのこと守るんだ!」
「ふふっ、ヒーローかぁ。んー、でもお母さんはお父さんに守って貰うからなー。あ、そうだ。瑠里がヒーローになったら舞里のことを守ってくれる?」
「うん、任せてよ!悪いやつが来たら僕がやっつけるから!舞里は僕が守ってあげる!」
「それじゃあ安心だ。舞里のことお願いね、お兄ちゃん」
お母さんはまた、笑う。その笑顔につられて僕も笑った。
今まで忘れていた、遠い記憶。
これは母さんと僕だけが知ってる大事な約束。
僕がもう、守れなくなってしまった約束。
女の子になって体も心も弱くなって、守られるのが当然で。傷付けられるのが怖くて怯えて、いつからだろう。しょうがないじゃないかと開き直って兄の尊厳なんかかなぐり捨てて、守ると約束したはずだった妹に守られる。
なにが「任せてよ」だ。こんな姿、母さんに見られたら失望されるに決まってる。
恥ずかしくて死にそうだ。いっそ笑ってくれたらどんなに楽なことか。
僕は変わらない。誰も助けられず、泣いて慰められて、いつか強くなるからと嘯いて逃げている。
あの頃から変わらず、弱いままの僕はどうして生きてしまったのだろう。父さんたちが生きていれば舞里にこんな怖い思いもさせなくて良かったのに。
どうして、僕が死ななかったんだろう。
目を覚ますと僕は知らない男に背負われていた。道理でおんぶされていた夢を見るわけだ。
「あ、お姉ちゃん。大丈夫?気分とか悪くない?」
「ううん、平気。ごめんね」
守れなくてごめんなさい。不甲斐ない兄でごめんなさい。生きてて――――
「あのー、二人で話してるところ悪いんだけどできれば俺を忘れないで貰っていいですかね」
割り込んできた声の主を見やる。
ふわふわした茶髪に横顔からでもわかるほどの整った顔。元男の僕から見てもイケメンというに相応しい。未だいたずらっ子のような幼さが残っているがそれもチャームポイントになってしまうほどのルックスだ。
そんな彼が居たたまれないような気まずそうな顔で僕を見ていた。
「ああ、ごめんなさい!すっかり忘れてて。お姉ちゃんどう、歩けそう?」
「大丈夫、歩けるよ。すみません、重かったですよね。自分で歩けるので降ろしてもらっていいですか」
「ああいや、そういう意味じゃなくて!まだしんどいならいくらでもおぶってるけど、なんか二人の世界に入ってたから俺ここに居てもいいのかなとか思ってさ」
弁明する彼の表情は慌てたり、落ち込んだりとコロコロと変わっていき少し面白い。助けてくれた人にこんなことを思うのは失礼だとわかっているがつい、笑みがこぼれてしまう。
「あ、ようやく笑った」
彼が安堵したように微笑んだ。その様子を僕が不思議そうに首をかしげると
「あんなことがあった後だと、トラウマになっててもおかしくないなと思って。なんで笑ったかはわかんないけど笑えるなら安心だよ。それに女の子は笑ってたほうが可愛いから」
「ありがとうございます。でも本当に大丈夫なので降ります」
「そう?それならいいけど無理はしないでね」
そういうと彼は僕が降りやすいようにゆっくりと腰を下ろし、僕が立てることを確認すると
「じゃあ、俺は行くから何かあったら店員さんとかに言うんだよ」
と言って走って行ってしまった。
「なんか嵐みたいな人だったね」
僕は去っていく彼の背中に小さく手を振りながら微笑んだ。
「だねー、お兄ちゃんが気絶してる間もずっと心配しながら歩いてたし」
「そっか。今度会えたらちゃんとお礼しなきゃね」
「そういえばお兄ちゃん、男の人に触れてたけど大丈夫だったよね」
「あ、ほんとだ」
震えもしなかったし、過呼吸にもなってない。初めての出来事だ。
「もしかして、運命の人とか?」
舞里はにやにやと笑みを浮かべながら、もう見えなくなってしまった彼の行ったほうを眺める。
「多分、偶然だよ。色んなことがありすぎて気づかなかったんじゃないかな」
しかし僕は言葉とは裏腹に自分の手を見やり、彼の温かな背中を思い出していた。
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