第3話

入試試験が終わり、迎えに来た爺ちゃんの車には妹が後部座席に乗っていた。


「お兄ちゃんお疲れ様ー、試験どうだった?」


「良かったと思う。テストも全部埋められたし面接は、まあ何喋ったか覚えてないけど大丈夫なはず」


今更になって心配になってきた。これで落ちてたらどうしよう。


「お兄ちゃんなら大丈夫だって。あれだけ勉強してたし、面接も余っ程変なこと言ってなきゃ問題ないでしょ。ね?お爺ちゃん」


不安が顔に出ていたのだろうか、妹が早口で僕を安心させようとしてくれる。


「ああ。ほかの学校は知らんが、うちの学校の面接はその人の社会性を見て集団行動が出来るかどうかを見ているからな。試験で高得点を取っている者を早々、落とすことは無い」


「ほら!だから大丈夫だって!」


「うん」


話も程々に車に乗り込む。

どうやら思っていたよりも疲れが溜まっていたらしく、僕は走り出して直ぐに眠ってしまった。


「瑠里着いたぞ。起きろ」


気が付くと家に着いており、爺ちゃんに体を揺すられていた。

僅かに体が硬直し、呼吸が止まる。


「む、すまん!」


慌てて手を離し、距離をとる。

爺ちゃんは申し訳なさそうに、どうしたらいいのかわからない顔でただただ心配そうに僕を見つめていた。


「お兄ちゃん!」


妹は咄嗟に僕の体を抱き寄せ周りを見えなくした。


こうすると僕は落ち着く。信頼している人に抱きしめられると守られているような気がして安心する。これを知ってから妹は僕が|こう(・・)なると自然と体を抱きしめてくれるようになった。


「げほっ、はあ、はあ、はあ・・・」


深呼吸をして乱れた呼吸を整える。

その時に妹の香りが鼻腔から脳へと渡り、心を落ち着かせる。


「はあ、はあ・・・も、もう大丈夫」


もう少し香りを嗅いでいたかったが無けなしの兄の威厳を保つため、妹の肩をそっと押して離れる。


「無理しなくていいんだよ?まだ、息荒いし。もう少しこうしてよ?」


肩に置いた手を退けられ、もう一度抱きしめられる。

ふくよかな胸に顔が埋まる。いやらしい意味ではなく純粋に柔らかいクッションのようで気持ちが良い。

取り乱していたさっきとは違い、落ち着きを取り戻した今ならちゃんと思考が回る。


このまま抱きしめられ続けるのは兄の威厳的に不味い。何より妹の手が僕の太ももや尻を行ったり来たりしている点がかなり不味い。


けれど、けれどもこの温もりからは香りからは離れられない。


女になってから早半年。理性というものが脆くなった気がする。理性というか我慢が出来なくなった。


嫌なことがあれば直ぐ目に涙が溜まるし、嬉しいことがあれば自分でも分かるくらい口角が上がる。

なんというか自分に正直になったものだ。


だけども今回は爺ちゃんも見ているし、何より僅かしかない兄としての威厳が零になる。


「舞里、僕はもう大丈夫だから」


「やだ。もう少しこうしてるの」


「いつまでも外にいないで家に入ってゆっくりしたいんだけど。だからそろそろ離そうか」


「やーだあー」


そう言うとより強く抱き締めてくる。少し苦しい。


ここの所全く我儘を言わなくなったと思ったら急にどうした。

というか顔に胸が当たって、圧迫されて息が・・・。


「我儘言わないの。ほら早く家帰ってケーキ食べよ?」


「むう、ケーキ・・・」


少し抱き締められた腕の力が弱くなる。あと一押しか。


「昔みたいにあーんしてあげるから、ね?」


「いいの!?わかった!」


大丈夫かこの子。幼児退行してない?


すると直ぐに腕が解かれる。

ようやく帰れると思ったその瞬間、背中と膝の下に腕が通され持ち上げられる。俗に言うお姫様抱っこ状態だ。


「何してるの?僕、自分で歩けるからね?」


「だめ」


「いやいや、もう大丈夫だから。健康体そのものだから」


「だめ」


「重いでしょ?自分で歩くy──」


「だめ」


「ええ・・・」


会話すらままならない。本当にどうしたんだ。


僕を抱えたままスタスタと歩いていく妹。

頭一つ分、妹より僕の方が小さいと言っても流石に重いはずだ。なのにそれを感じさせず若干スキップ気味で家の扉へ向かっていく。


「じゃ、じゃあ俺は車置いてくるから・・・」


あまりの光景に目を点にして現実から目を背ける爺ちゃん。

というか爺ちゃん居たんだ。今の今まで存在を忘れてた。


「う、うん」


「はーい。あ、そうだお爺ちゃん。後で大事な話があるからお爺ちゃんの部屋にいてね」


さっきまでの子供っぽいウキウキした声から一転して静かに淡々と爺ちゃんに話しかける妹は何処か不気味だった。


「あ、ああ、わかった」


爺ちゃんの声が震えている。


ちらりと妹の顔を見ると口元は笑ってるが目が笑っておらず、瞳孔が完全に開いている。


僕は見て見ぬふりをした。触らぬ神に何とやらだ。


こうして僕達は玄関に着き扉を開ける。


「ただいまー」


玄関から声を上げると今の方からパタパタと足音がし、婆ちゃんが顔を出す。


「おかえりなさい、お疲れ様だったね。あら、どうしたの」


優しく出迎えてくれた婆ちゃんだったが抱えられている僕を見つけると表情を変え、心配そうに駆け寄る。


「大丈夫、なんでもないから。舞里の我儘に付き合ってるだけ」


そう言って落ち着かせようとしたのだが


「さっきお兄ちゃんにお爺ちゃんが触ってお兄ちゃんが倒れそうになったからわたしが抱っこしてるの」


「あ、舞里!」


なんて事を、わざわざ黙っていたのに。


「瑠里」


婆ちゃんからとても冷たい声が発せられる。しかし口元は笑顔のままだ。

何なの、この家の女は笑いながら怒るのがデフォルトなのか。


「は、はい!」


「舞里の言っていることは本当かい?」


「え、えっと。本当ではないっていうか、嘘でもないんだけどえーと・・・」


「ちゃんと喋りなさい」


僕に冷たい視線が向けられる。


・・・爺ちゃんごめん!


「はい・・・事実です」


「そう」


婆ちゃんの声が更に冷たくなる。

ぐっ、と温度が下がった気がするし、何故か婆ちゃんから冷気が発せられているような幻覚が見える。


「瑠里、悪いけど私はこれからお爺さんと話があるから夕飯は遅くなってもいいかしら」


「え、うん。それは大丈夫だけど、ケーキ買ってきたけどどうする?」


「あら、ありがとう。でも長引きそうだから夕飯の後にしましょうか。それじゃあ疲れただろうしゆっくりしててね」


「あ、お婆ちゃん私も一緒に行く」


「そう、いいわよ」


「お兄ちゃんは休んでていいからね」


「う、うん」


・・・この家の女は怒らせないようにしよう。


夜、衰弱仕切った爺ちゃんが夕飯を食べによたよたと部屋から出てきたが婆ちゃんが出したのはご飯と沢庵だけだった。


その時に僕は初めて爺ちゃんが泣いているところをみたんだ。

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