第95話 バナナです

 ここから先7kmは下りが続く。

 いつもなら下り区間でタイム差を稼ぐが、この区間は集団内で大人しくしている事を選んだ。

 今いる第2集団から突出しても、次の平地区間で追いつかれるからだ。

 それに下りの傾斜が緩い事も影響している。

 傾斜が急であれば漕がずに加速するから愛車の空力性能に頼って走れるが、傾斜が緩ければある程度パワーをかけないと十分な速度が出せない。

 平地よりは加速に必要なパワーは下がるし、空力性能の差で有利ではあるが、体力の無駄になる事には変わりがない。

 勝負所ではない場所で体力は消耗出来ない。

 私達は何事もなく第2集団内で走って下り区間を終えた。

 次は約25km程、ほぼ平坦な区間が続く。


「猛士さんバナナです」


 平地区間に入って直ぐ、南原さんが私の隣に来てバナナを差し出した。


「バナナ?」

「補給食のバナナです。まだレース序盤なので固形食を食べるのがお勧めです」


 なるほど。

 補給食としてバナナ、ようかん、ジェルを用意していたが、レース序盤のお勧めはバナナか。

 南原さんからバナナを受け取り食べた後、皮を南原さんに渡した。

 食べ終わった後のゴミを仲間に預けるのは気が引けたが、次の上り区間の為に少しでも私の装備重量が増えない様にしたいという南原さんの厚意に甘えた。


「水分も取りましょう。早めに補給するのが大事です」


 水分補給か……バナナが甘かったから水が良いな。

 今回のレースは、スポーツドリンクの入ったボトルと、水が入ったボトルの二本を用意している。

 シートチューブから水が入ったボトルを取って飲んだ。

 冷たいな。爽快感が喉を通り過ぎていく。

 一瞬、走り終えてくつろいでいる時の気分になる。

 いけないな、レースに意識を戻さなければ。

 集団は時速40km前後で巡行しているが、海斗君は時々逃げる素振りを見せている。

 海斗君がアタックして先行する度に、東尾師匠と利男が交互に後ろに張り付いて追いかける。

 そして、毎回逃げ切らず集団に吸収される事を繰り返していた。

 不可解な行動だな。彼は何を考えているのだろう?

 こんな序盤の平地区間で、無駄な体力を消耗しても意味がないと思うのだがな。

 若いから体力が余っているのか?

 いや、安易な考えで判断しては危険だ。

 何か意図があるはずだ。

 だが、答えが出る前に平地区間を終えて、次の短めの上りと下りが繰り返される区間に突入した。

 この区間では先ほどの平地区間と違って、一定の速度で巡行とはならなかった。

 第2集団の先頭付近の選手が短い上り区間で加速を始めたからだ。

 この区間で先行しても逃げきる事は出来ないだろう。

 だから、目的は第2集団の人数を絞る事だろう。

 人数が多くて全体を見渡せないが、第2集団は80人位いる様に見える。

 さすがに人数が多すぎると思う。

 第2集団の全員が実力者だったら、人数の優位を活かして先頭集団を追う事も出来ただろう。

 だけど、実際は実力が伴っていない選手が多いから先頭集団を追うのは無理だ。

 それなら、ある程度人数を絞った方が有利だ。

 集団内の選手に実力差があると、集団先頭のローテーションが上手く行かなくて遅くなる。

 それに人数が減れば落車の確率が下がるし、実際に落車した時の被害も減る。

 集団内での位置取りの調整もしやすくなるだろう。

 だから、先頭付近の選手の動きの理由は分かるが、私達にとっては不利な状況だ。

 私にはゴールスプリントで海斗君に確実に勝てる自信がある。

 だから、全員何事もなく楽に巡行してゴール前に辿り着くのが理想だ。

 もちろん、それでは面白くはないし、そんな楽な展開には絶対ならないのだが……

 まずは現状を把握しよう。

 この区間は東尾師匠が一番得意だ。

 利男も師匠よりは劣るが得意だ。

 私も上り区間で使う必要が無くなった、必殺技の第一段階「ディバイディング・スプリント・トレイ」があるから問題ない。

 南原さんは苦手だけど、無理やり乗り切るだけのパワーがある。

 問題なのは北見さんと木野さんだ。

 しかも二人共苦手な部分が違う。

 北見さんは登りの急加速が苦手で、木野さんは下りの加速が苦手だ。

 走力が異なる二人が協力して乗り切るのは難しいだろう。

 エースの私がサポートする事は出来ない。

 だからと言って、ここで二人が遅れたら後が苦しい。

 どうする?


「僕は心配ないですよぉ」

「大丈夫ですよ。木野さんには自分もついてますからね。一時的に猛士さんから離れる事になるかもしれないですが」


 私の心配が伝わってしまったか。

 でも自信満々の木野さんを見ていたら不安は無くなった。

 しかも彼の師匠の南原さんも一緒なら安心だ。

 今までの特訓で培った信頼関係があるのだろう。


「まさか俺の心配はしてねぇよな?」


 北見さんにも気づかれた?!


「き、北見さんは心配ないと思ってますよ」

「当然だな。ベテランの処世術を見せてやりますよっ!」


 北見さんが気合の入った声を出す。

 心配はいらなかったな。

 二人共歴戦のレーサーなのだ。

 苦手の一つや二つ乗り越えてくれるさ。


「俺と利男と猛士さんの3人で、先頭付近にいる海斗君をマークしよう。北見さん、木野さん、堅司の3人は何とか遅れず集団内に残ってくれ」


 東尾師匠の提案を受けて、私達3人は北見さん達と別れて海斗君を追いかけた。

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