第9話「組費回収の話」

 初めての寺に駆け込みからのお祓い、その退屈ながらも大切な時間が過ぎ去って、 ゴールデンウィークも残すは2日。春斗は久々に実家へと帰っていた。冬子が送ろうかと提案していたが春斗は当然のように断る。そうして今、青空も暗くなり行くそこに夕日もなく、雨に濡らされながら坂を下りて実家へと駆け込むのであった。

 家に入った春斗が見たものは電話片手に何かを話している母の姿。

 春斗はその会話を聴こうとするもすぐに母は受話器を置いて通話を終えてしまった。

「春斗おかえり。聴いてよ今年この地区の組長やる事になったんだけどお金集めめんどくさいね」

 地区の清掃活動やイベントの運営などを担当する組長、その役割を1年間やるのであるが、今年は母がそれを任されたのであった。一応3月に妹の小春にパソコンの使い方を教えてもらったらしい。そうしてパソコンで文字を打ち込んで報せを作り配る事はしたらしい。

 今回やる事は組費の集金。母は必要なものを手に取って外へと出て行った。



 春斗は小春の部屋に顔を出す。そこにいたのは背の低い少女。冬子と比べると身長はほんの少しだけ高く、可愛さは抜群であった。

 そんな小春は春斗を見るなりいきなり睨み付けてきた。

「部屋入らないで。こっち来ないで」

 高校三年生、受験生、大人の一歩手前。そんな年齢にもなれば兄の事など嫌いにもなるであろう。春斗は何も言わずに自分の部屋へと立ち去る。その時背後より恐ろしい言葉が聞こえてきたのだ。

「気持ち悪い。ドア触りやがってマジで汚い」

 高校時代かつてのクラスメイトたちの内何人かは妹がいる事を羨ましがっていたが現実はこのようなもの。

「はあ、一人っ子のが良かったよ」

 そうこぼした直後、またしても怒号が飛んでくるのであった。

「うるさい私もお前なんかいらないんだよさっさと死ねよ」

 一切容赦のない言葉は春斗の心の中の警戒の意思を膨らませるだけであった。



 晩ごはんの時、小春は降りて来る事などなかった。春斗がいる、キモいクソ野郎がいる。そんな言葉で面と向かい合う事すら拒絶したのであった。

「仲悪いわね、やっぱり春斗には来てもらわない方が良かったかも知れないね」

 母まで辛辣な言葉をぶつけに来たように思えたが、どうやらそういう事でもないらしい。母は続けた。

「受験生だし、今は春斗の姿も見せない方がいいわね」

 それから晩ごはんを頬張る春斗。一方で母はご飯のおかずに愚痴と言った具合いであった。

「さっき回収に行ったじゃない、あの人の方から時間を言ってきたくせに全く来ないのよ。こっちから行って呼び鈴を鳴らしても来ないし腹立つ」

 たまにいるなぁそういうの。春斗はそう返してその話を切ろうとした。

 しかし母はそう簡単には話を切ってはくれない。

「食べ終わったらもう1回行ってくるわ。それでも来なかったら電話かけてやる」

 怒りは心と頭の深くにまで来ているようで、普段は温厚な母も怒りを撒き散らしていた。

 そんな晩ごはんの後、母は宣言通りに家を出た。

 春斗はその背中を見て風呂に入り、出た時には母が帰って来ていた。

 春斗の姿を見た母。そこで春斗を呼び止めて電話をかける。2度ほどのコールの後で出たようで、そこから会話が続いていく。

「はい、9時頃ですね、はい、分かりました」

 そして電話を切り、母は言う。

「聞いたね、9時にこちらに伺いますって」

 そして言葉を加える。

「来なかったら行くから春斗も着いて来て」

 拒否権はないそうだ。

「小春に任せたら」

 ひと言だけが返ってきた。

「受験生」

 春斗は肩を落として2階へと上がり、ゲームをする。

 まさか久々に実家に帰った途端このザマとは、そう心に刻みながら。

 それからどれだけの時が経っただろうか、母の呼ぶ声により下へと降りる春斗。身体は階段を駆け下り、心は墜落するような想い。

 母はわかり切った事を言った。

「ほら、行くよ」

 そうして雨の中外へと出て行く春斗と母。春斗はその人物を絶対に許さないと心に決めていた。平穏なゲームの時間を奪い取ったその罪はあまりにも重いものである。

 少し歩いたところにある家を訪ね、インターホンを押すも反応はない。

 春斗はその家からおかしな気配を感じた。そう、例のあの気配、冬子が断末魔の残り香と呼ぶあのおぞましき気配が。

 それを悟った春斗は母に帰るよう促す。雨も降ってるし回収なら後日でも出来る。その言葉を添えて。

 そして雨の降る夜の道をふたりで帰るのであった。



 みなして寝静まる真夜中の事。静寂を裂くある音が耳に入って春斗は目を覚ました。あまり明瞭ではない意識で覚束ぬ足取りで、春斗は歩いていく。何も見えない夜闇の中、1階のモニターが光っていた。呼び鈴を鳴らした時に光るそのモニター。そこには人という存在は特に何も映っていなかった。ただ闇を照らす頼りない街灯と見慣れた景色が映るだけ。

 それを見て震え上がりながらも春斗はドアを開けにいく。ドアの前、再び呼び鈴はなり、春斗の焦り、心臓の鼓動の回数が急速に増していく。

 春斗は深呼吸をし、それでも尚震える手でドアノブに手を伸ばす。

 頭の中で危機を告げる予感が喚いていた。

 そんな危険の報せを無視して春斗はドアを開けた。

 そこに広がるのは見覚えのある景色だけ。春斗は気を抜いてドアを閉める。そう、怖いことなど何もなかったのだ。

 と思っていたが春斗は気がついてしまった。

 先程呼び鈴が鳴ったにも関わらずそこにいなかった。つまり見えない何かが呼び鈴を押した事になる。それは春斗にとってとても強い恐怖となって根を張る。

 またしても呼び鈴は鳴った。

 春斗は再びモニターを覗き込むと、驚愕のあまり尻もちをついた。

 そこにいたのは見慣れた景色と頼りない街灯、そして太った男。顔は腐り切った穢らわしいもの。太った身体からはカビが生えており、どう足掻いても近寄りたくない存在。男は呼び鈴を鳴らす。

「何回も来やがって」

 恨みを込めて呼び鈴を鳴らす。その睨み付ける表情はいつもの冬子のものの何倍も恐ろしくそれが本当の殺意なのだと知った瞬間。

 春斗は慌てて上の階へと逃げ出す。

 しかし、それでも呼び鈴は鳴り止まず、男の声もまた鮮明に届く。

「何回も来やがって」

「何回も何回も」

 春斗は眠ろうとベッドに潜り込むも、たまたま視界にカーテンを収めてしまった。

 頼りない街灯の光を遮る事も出来ないそのカーテンの向こう、そこには恨み言を吐く人の太った影が映されていたのであった。



 恐ろしい夜を明かして、春斗は母に尋ねた。

「そう言えば、あの人の苗字、なんていうんだ」

 母の答え、そして回覧板に載っているリスト。

 春斗は気がついてしまった。そのリストの中にその苗字は存在しないのであった。

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