第8話「猫を轢いた話」

 秋男のふざけた企みによって始まったドライブ、何よりどのような現象が起こるのか分かっていながらも半分本気で半分ふざけていた先程の秋男の言葉。冬子には分かっていた。明らかに秋男はあの危なかった状況を楽しんでいた事を。

 車は進む。あの橋を背に進み行く。もうあのダムには近付かないと心に決めた冬子の意思を表す速度で進んで行く。

「後はもうただのドライブってわけだ」

 秋男も流石に幾重ものネタを持っていたわけではないらしい。

 春斗は抱いたひとつの疑問を持って冬子に示す。

「冬子、ひとつ訊きたいんだけど秋男って幽霊見えたり見えなかったりするよね」

 そう、見えている時の反応と明らかに見えていない時の反応。どちらも嘘とは思えないのだ。

 冬子は蛇のように左右によく曲がるカーブに沿ってハンドルを切りながら答えた。

「霊感が弱いんじゃないか。別にないわけじゃなさそうだし」

 そんな会話が交わされる中で車は謎の揺れを起こした。

「何だ?」

 車を止めて降り、タイヤ辺りを確かめたところ、見慣れない光景を目の当たりにしてしまった。

「ちっ、猫を轢いたみたいだ」

 それだけの言葉を吐いて車に再び乗り込む冬子を待ち受けていたのは秋男の言葉。

「実は運転下手ってオチか?」

「言い過ぎじゃないか秋男」

 秋男の限度を超えた煽りに春斗は言葉を返すも、1番冷静な冬子は敢えて嫌味を込めて答えるのであった。

「確かに下手だがそう言ったらもっと下手なお前はどんな言葉で表されるのだろうな」

「ムキー」

 飽くまでも遊びの範囲内、それで収まっているようで春斗は安心して冬子の方を眺める。

 冬子は春斗に対してただでさえ目のクマと目付きの悪さでたまに怖いとすら感じるその目に更に圧をかけて睨みつけていた。

「と、冬子?」

 押し潰されそうな程の圧を感じて詰まらせながらも間の抜けたように聞こえる声でその名を呼ぶ。冬子はすぐに正面を向いた。

「なんでもない、いや、違うか。後でな」

 一体どうしたのだろうか、予想も付かないでただ口を閉じることしか出来ない春斗の感情を置いてけぼりにして車は走り出した。



 秋男を家の前で降ろし、次は春斗の家へと向かう。

 この瞬間、2人きり。春斗はそれだけでも既に頭から湯気が出そうなほどに熱を感じていた。冬子は不健康に見えるほどに白い顔を紅くして、いつもより荒い運転で、直線上を真っ直ぐ走る事もなく揺れる運転をしながら春斗の家とは反対側へと進んで行く。その運転の下手さは普段と比べてあまりにもかけ離れすぎたもの。それが気になって仕方のない春斗は恥ずかしくて声すらも出す事に苦労する想いの中どうにか言葉をひねり出す。

「冬子どうしたんだよ」

 冬子は何も答えずに運転を続ける。中々止まらずその間にも車は危うい動きを見せていて、春斗の中で不安が膨らんでいく。やがて車は信号によってその動きを止める。そのブレーキすらもいつもより反応が遅くて急なのであった。そして冬子の言葉も急なものであった。

「熱っぽい。ダルい……悪いが今日は看病して欲しい」

 春斗は笑顔で言ってのけた。

「は、はい!」

 それから車は動きだし、冬子の家へと向かっていく。そしてたどり着いたアパートの駐車場に車を停めて冬子の部屋へと向かっていく。冬子の顔色を窺う春斗と春斗の顔をただ見つめる冬子。

 口を開いたのは冬子の方であった。

「気を付けて。何があっても冷静にな」

 そう言ってドアを開けて家へと帰った冬子。

 それに続いて家へと上がり込んだ春斗。

 冬子は荷物を置いて春斗にしばらく休んで疲れが取れて来たらお粥を作るように指示を出して冬子は隣りの寝室へと移動した。

 春斗はかつて一度は上がった冬子の部屋を眺める。

 特に飾りも洒落も殆どない部屋で、寝室のベッドと薄桃色のカーテンだけは可愛らしいという冬子の部屋。

 女の子の家という落ち着かない空間でどれだけの間平常心を装って座り込んでいただろうか。

ーこんなの冷静でいられないー

 そんな感想を抱きながら、春斗は歩き出す。気持ちを誤魔化すには作業をする事が大切。お粥を作るべく歩く。どこであろうか、どこにあるのだろう。お米はどこなのか。探し歩き探り歩きしゃがんで台所の収納棚の中を探る。お米はどこだお米はどこにお米はどこ。

 無我夢中でその場を漁る春斗だったが、その腕を掴まれ動くことすら出来ずに夢中から現実へと引き戻される。

「何をやっているんだ」

 冬子の問いかけの意味も掴めずに春斗は答えた。

「何って、お粥を」

「それならどうしてこんなところへ」

 春斗は辺りを見回してようやく気がついた。

 そこは闇に包まれた公園。足元には明らかに周りより掘られている穴。そして砂で汚れた手と服。その砂場でひたすら穴を掘り続けていたらしい春斗。

 そんな春斗は気怠そうな冬子の姿を見て、ただひと言だけ言った。

「ごめん」

 冬子は春斗の手を引いて言った。

「何があっても冷静にな、そう言ったはずだ」

 どうやら轢き撥ねた猫にふたりは祟られていたらしく、ふたり共に怯え震えながら夜を過ごして初めてお祓いのために寺に駆け込んだのだという。

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