十七日目

 今日は、自宅から最も遠い図書館の分室へ行くことにした。これ以上、彼女と遭遇して勉強時間を削られるのはまずいからだ。

 そこは小山を迂回しなくては行くことができず、自転車だと一時間以上かかる。予報によると今日は酷暑日。急勾配の道をそんなに走っていたら、熱中症になる。多少値は張るが、バスを使うことにした。さすがにここまで彼女が追って来ることはないだろう。さらに念を入れて僕は、団地から最も近いバス停から二つ先のバス停で待つことにした。

 暑い。バス停に着く頃には、僕は汗みずくになっていた。


「よ」


 だから何でいるんだよ。

 しかも彼女は、示し合わせたかのように自転車に乗っていなかった。


「お前が自転車に乗らずに出てくとこを見て、つけてきた」


 僕は大きくため息をついた。


「言っておくけれど、図書館へ勉強しに行くだけだからね? 面白いことなんて何もないからね?」

「わーってるって」


 そうこうしているうちにバスが到着した。中はガラガラで、冷房がキンキンだった。僕らは奥の席に二人並んで座る。

 僕らの住んでいる団地から少し北へ行くと、すぐに田園地帯に入る。遠くで見事な入道雲が立ち上っていた。白と青のコントラストが実に美しい夏空だった。


「アタシ、こっち方向って滅多に使わねーな」

(そういや僕もこの系統の上り方向の終点って、行ったことがなかったな……)


 車窓から見える景色は、どんどん緑が深くなっていく。山の中に入った、という雰囲気が色濃くなっていった。

 僕はまだ見ぬ終点に期待を高まらせながら、バスに揺られていた。

 短いトンネルを抜けてしばらくすると、僕らが座っている側の景色の視界が開けてきた。木々の隙間から集落が見える。


「すげー田舎って感じ」

「でも同じ市内だよ。平成の大合併で吸収したんだ」


 バスが止まる。終点に到着した。僕らは料金を支払って降りた。降車すると、そこには目的地である図書館分室がもう目と鼻の先であった。

 僕らの目の前に、古色蒼然とした堂々たる木造建築が建てられている。僕はその雰囲気に圧倒され、思わずスマホでパシャりと撮ってしまった。


「……これ、滅茶苦茶ボロボロだけど入れるの?」

「村役場の庁舎だったのを、再利用する形で図書館にしたみたいだよ。でも老朽化が激しいみたいで、来年には取り壊しされるんだって」


 僕らは引き戸を開けて中に入る。廊下も一歩歩くたびにひどく軋んだ。


「わー、中はもっとすげー」

「シッ。図書館なんだから、静かにしてね」


 僕らは物心ついたときから、学校を始めとしたあらゆる施設が鉄筋コンクリート建築だった。そのためこうした木造建築も、懐かしいというより「珍しいものを見た」という感情の方が勝ってしまう。

 一番奥の部屋が閲覧室になっているようで、僕らはそこに入った。室内は滅茶苦茶古めかしいのに、椅子と机は真新しくてそれだけやたら浮いていた。


「……言っておくけれど、勉強を始めたら構ってあげられないからね?」

 僕が静かにそう言うと、彼女は「わかってるって」と小声で返した。


 だが、彼女は僕に話しかけ続けた。


「何かさ。こうやって小声で話していると、自習時間とか思い出すな」


 実際、彼女が図書館ですることはない。彼女は恐ろしいほど文章を読まない。マンガがせいぜいで、後はスマホゲーの無課金プレイくらいである。

 他の利用客がいないとはいえ、さすがにいま一度釘を刺して置こう。


「あのさ――」


 振り向くと、彼女は頬杖を突きながら眠っていた。


(……本当、どこまで自由なんだろう)


 窓から差し込んでくるやわらかな木漏れ日とセミの声、そして彼女の寝息。静謐せいひつな空気に、僕まで心地よい眠りの世界へ誘われそうだった。


 「嘘」がバレて、彼女と離れ離れになるまで――あと十三日。

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