(2)
だけど、明莉がこれまで熱心に練習してきたのは僕が一番よく知っている。
その僕が彼女の成功を信じてやれなくてどうする。
それに明莉はここにいるどのアイドルよりも可愛い。
最初は地味で大人しそうなクラスメイトだと思っていた。それがいつからだろう、僕には彼女が一番輝いて見えている。彼女をこうして一番間近で見ることができるのはちょっとだけ優越感を感じる。そしてちょっとだけ残念に思えた。明莉がただのクラスメイトだったなら僕は……いや、余計なことは考えまい。今は明莉の目指すアイドルへの道、それだけに集中しないと。
「倉斗、喜べ! 明莉の出番は三十七番目だ」
叔父さんが嬉しそうにエントリーシートの番号を持って戻ってきた。
「そう。ま、一番手でなくて良かったよ」
「ああ。初っ端は緊張するし、会場の空気が整っていないからな。おお、もう始まるようだぞ」
会場の照明が少し薄暗くなり、正面のステージが明るく照らされた。キョロキョロしながら中央に出て来た女の子は曲が始まると慌てて一礼して、それから歌い出した。ちょっと音がズレてしまっているし、声も震えている。声も小さい。「頑張れ!」と声援を送りたくなったが、こちらは競争相手、妨害と受け取られても面倒なので黙っておく。
「はーい、そこまでで結構です。ありがとうございました」
全部は審査しないのか、それとも曲の途中で不合格の通知が出てしまったのか、スタッフが大声で言い、曲も止まった。
女の子は泣きながらステージを降りていく。
やりきれないな。
「倉斗、明莉が帰ってきたら、しっかり言い聞かせておけよ。何があろうと最後まで歌いきる覚悟でやれと。途中で自分から投げ出したら、合格なんて絶対できやしない」
「それはわかってるけど、叔父さんが直接に言えばいいじゃないか」
「オレはいつも厳しく発破をかけてるからな。それじゃ慣れっこになってて心に伝わらない。お前が直接に明莉に言うから意味があるんだ。お前の言うことは明莉も何でも聞くみたいだしな」
「何だよ、それ。まあいいよ、わかった。戻ってきたら言っておく」
「ああ」
叔父さんは額の汗を拭いながら言った。
「ふう、ダメだ。やれやれ、何度もやってるってのに、この空気はやっぱりキツいな。ちょっと外でタバコを吸ってくる」
「ええ?」
どうやら叔父さんも緊張していたらしい。
別の曲が流れ、二人目のステージが始まった。だが、なかなか歌い出さない。青ざめて動きを止めている彼女は、歌詞をど忘れしたか緊張しすぎて歌えないのだろう。
明莉と同じだ。
彼女が砂浜での初ステージのときに、出だしを失敗してしまったときと同じ状況だった。
頑張れ。やれる、そう声をかけてやりたい。
ここから声を張り上げれば、緊張が取れる変化になるかもしれないが――
しかし、今はオーディション会場なのだ。
僕は知らず知らずのうちに走り出していた。さきほど曲を止めさせた黒シャツのスタッフに駆け寄る。
「あの、彼女、声が出てないみたいなんで、応援、一言だけ活を入れてあげたいんですが」
「マネージャーさん? 気持ちはわかりますけど、ご遠慮下さい。ここは観客無しのオーディションなので、歌唱力もちゃんと審査してるんです。だったら、わかりますよね?」
そう、彼女達の声が邪魔されてしまえば公平な審査に影響が出てしまう。それはわかっている。
「だけど、彼女は今、声を出してないじゃないですか」
僕が食い下がると、彼は面倒臭いなぁという顔で首を横に振った。
「今回はそうですけど、いちいち注意事項を周りに伝えるこっちの身にもなってくださいよ。一度、そういう暗黙の決まり事が崩れちゃうともう収拾が付きませんよ。はーい、OKです。次の方!」
最初のアイドルよりずっと短い時間で審査が終わってしまった。
「何やってんだ、馬鹿! 歌わずに合格できると思ってるのか」
「す、すみません。こんな大きなステージなんて初めだから緊張してしまって……」
ステージを降りてきたさっきのアイドルがマネージャーらしき男に叱られている。
そうじゃないだろう!
なんで事前に大きなステージで練習させてあげなかったんだ。叔父さんが『新宿ブラックサバト』を選んだのはこういう事態を避けるためだったと僕は気付いた。
あのときはちょっと明莉にはまだ早すぎるし、観客が完全にアウェイでどうなるかと思ったけれど。あれは度胸を付けさせるためにわざと厳しい場所を選んだに違いない。一度失敗させてもいいくらいに叔父さんなら考えていたはずだ。二次審査は複数会場を総合的に判断するという話だったのだから。
アイドルに必要な場数を踏ませていなかった。
それはつまりマネージャーの失態なのだ。
だけど、首を振り振り立ち去っていくマネージャーに僕は何も言えなかった。すでに次のアイドルの曲が始まってて、ここで口論になって騒がしくするわけにはいかない。それはオーディションを受ける者としての最低限のマナーだろう。
「その辺にしておきなよ」
アイドルの一人が僕の肩をポンと叩いた。
「本番で歌えないアイドルなんてどのみち合格なんてしない。だけど、アンタはあの子の事務所とは無関係なんだろ?」
「ええ、まあ」
「へへ、そういう熱いハートを持ってるヤツって好きだぜ。スタッフにかけ合ってくれてサンキューな。アタシもアイツとは全然関係ないけど、なんか勇気をもらった」
「そう」
歌えなかった彼女は不合格になってしまったけれど、こうして誰かが勇気づけられたのなら、それだけでもよしとしよう。今さら、どうしようもない。
ここはそれだけの真剣勝負の場だ。
合格するかどうかでそのアイドルの人生が大きく変わってしまうほどの。
八人目まではボロボロで、全員似たような状況だった。
叔父さんがなぜ早々にタバコを吸いに出ていったのか、僕はようやく理由がわかった。
「会場の空気が整っていない」
つまり、それはアイドルにはどうにもできない環境の要素だ。
最初の番号を引き当てるか、引き当てなかったか、それだけの違い。
明莉でもこんな状況だと歌えなかったかもしれない。
運が良かったが、たったそれだけのことで。才能や実力とは無縁のところで大きな力が動いている。
それを何度も経験すれば、やりきれなくもなるだろう。
「見てな、アタシが変えてやるよ!」
九人目の彼女がマイクを持ってパフォーマンスしながらステージの中央に走っていく。
そうだ、変えてくれ。
ロックシンガーの彼女は声を張り上げ、かすれた声になったりもしたが、それでも少しもひるまなかった。大した度胸だ。審査員もそれを評価したのか、彼女だけ初めて曲の最後まで歌うのを止めなかった。
「ありがとうございましたっ! やったぁ!」
一礼したあと、飛び跳ねてガッツポーズする彼女。会場の空気が目に見えて和らいだ。これならもう大丈夫だろう。
「倉斗くん、浦間さんは?」
明莉が戻ってきた。黄色い妖精の衣装だ。
「ああ、外でタバコを吸ってくるって。緊張してるんだよ」
「ええ? そうなんだ……」
「叔父さんが何があっても最後まで歌いきれ、だってさ。途中で自分から投げ出したら、合格なんて絶対できやしないって」
「うん。わかってる。さっき歌えない人もいたけど。だけど、今の私ならできると思う」
心強い返事だ。
それからも失敗する者も何人も出たが、ついに明莉の番になった。
僕はスタジオ中央のかなり後ろへと移動した。
たぶん、明莉は僕に顔を向けて歌うと思ったからだ。
なら、なるべく前を見るような位置で、不自然にならないようにしないといけない。
最前列で親指を立ててグッジョブサインを送りたかったが、それだとうつむき加減になってしまうし、審査員の心証も良くならないだろう。
星空の下
あなただけを信じて
共に歩きたい
いつも見守ってくれるあなたに
僕が祈るような気持ちで見つめる中、明莉の本選オーディションが始まった。
出だしは順調。ステップもきれいに踏めている。
スポットライトに照らされ、明莉の半透明のヴェールが光り輝いて見えていた。
透き通った歌声と、美しく伸びた高音。
テンポのズレや声のかすれもなし。
いいぞ……!
ほぼ完璧だ。
細かいミスが二つくらいあったが、明莉は堂々と最後まで歌いきった。
「よし……よし! よし!」
僕は叫びだしそうな喜びを何とかこらえ、ステージの近くへと駆け戻る。
明莉もステージから降りるとこちらへと駆けてきた。
「やったよ!」
「ああ、よくやった!」
彼女と両手を握り合って、僕らは喜びを分かち合う。
「おい、浮かれすぎだ二人とも。まだ審査は途中だぞ」
叔父さんの声で我に返る。
「「あっ、すみません」」
そうだった。まだ合格と決まったわけでもないのだ。
「だが、よくやった。オレの見るところ、間違いなく上位だ」
叔父さんも手応えを感じている様子。
そのとき、会場の入り口がざわつき始めた。
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