第十七話 最終予選(1)
それはまるで、そびえ立つ塔だった。
巨大なガラス張りのビルに向かって、僕らの乗った車が走る。
叔父さんが運転するバンは制限速度ギリギリで飛ばしていた。急ブレーキで後輪タイヤが白煙を上げながらスリップしている。ぶつけるのではとヒヤッとするほどコーナーをドリフトで攻めて曲がったと思えば再び急加速して進む。
最後に体が浮くほどバウンドすると、地下駐車場の白線内にキッとブレーキ音を残して止まった。
「降りろッ! 二人とも!」
叔父さんが怒鳴ってドアを開ける。
「ああ!」
「はいっ!」
すぐに僕ら二人も車を飛び出した。
泣いても笑っても今日がメジャーデビューを懸けた最終予選だ。これに落ちたとしても、次がないわけじゃない。だけど、アイドルとしてスターダムを駆け上がるには、一発で決められるようでなければダメだ。人気がなければ、アイドル稼業なんてやっていられないのだから。
叔父さんはそう言っていた。
普通の歌手なら地道に活動して徐々に人気を集めていくこともできるだろう。
だが、アイドルは違う。
最高の輝きを持っている間にブレイクして上の舞台に立てなければ、人々からすぐに忘れ去られてしまう。メジャーデビューに二度目はないのだ。
叔父さんは昨日の深夜にやってきてこう言った。
「二人とも、聞いてくれ。わかっていると思うが、メジャーデビューへの挑戦は一度きりだ」
言われなくともその覚悟でここまでやってきた。だからこそ、僕と明莉は黙ったまま真剣に耳を傾ける。
「理由は、二度目のチャンスを与えてくれるほど、この業界は甘くないからだ。準備するだけで莫大な金がかかってる。金だけじゃないぞ? オリジナルの作詞作曲をオーダーメイドでプロの作曲家に発注し、振り付けと衣装を用意し、音響設備の整ったスタジオでレコーディング、宣伝各種プロモーション。テレビ番組やラジオ番組のオファーと予約、イベントの会場の用意、そんなお前達が目にしていない大勢の人が協力してくれたおかげでオレ達はここまで来ることができたんだ」
「「はい」」
「だから、失敗したヤツに舞台を与えるくらいなら、次のもっと可能性のある新人を舞台に上げるほうがマシ。その選択が当たり前なんだ。そこに義理人情が入る余地は一ミリも無い。泣いても笑っても、実力がすべてだ」
「「はいっ」」
「それに、明莉はアイドルになれなかったら、活動はきっぱりやめて大学進学を目指す、そうだったな?」
「はい。可奈ちゃんとの約束が果たせないのは残念ですけど、実力がなければアイドルにはなれませんから」
「そうだな。目指すことは誰でもできるが、なれるかどうかは別だ。そしてお前はメジャーデビューの一歩手前までの実力は持っている。予選はクリアしているからな。自信を持っていいぞ」
「はい」
「オレの目から見ても、メジャーでやっていく実力は充分に備わっている。歌唱力、透き通った声質、人柄、ステップのリズム感、ルックス、練習のひたむきさ、仕事に対するプロとしての姿勢、ファンへの態度、集客力、どれも申し分ない。あとは本番でどれだけ実力を発揮できるかだ。競争相手は問題じゃない、自分がどれだけステージで歌に集中できるか、それだけを考えろ」
珍しく叔父さんが本人の前で褒め称えた。
「はい!」
明莉も珍しく謙遜もせずに返事をする。
「ふふっ」
「倉斗、何がおかしい」
「いや、ごめん。その格好で真面目なことを言われてもね」
叔父さんはアロハシャツ姿だった。
「安心しろ、明日はオレも一張羅のビジネススーツで決めていくからな。倉斗、お前のスーツも用意してあるぞ」
「ありがとう。本番は留守番かと思ってたよ」
僕は肩をすくめて言う。バイトのマネージャーで、叔父さんの手伝いみたいなものだったし。
「バカ言え、ここまで明莉の面倒をオレの代わりにちゃんと見てきたんだ。お前がよくやってくれたのはオレが一番わかってるぞ」
ちょっと照れくさいな。
「あ、あの、私も、倉斗くんが一生懸命にやってくれたの、わかってますから」
「ありがとう、明莉」
「よし、じゃ、二人とも明日に備えてさっさと寝ろ。オーディションの開始は朝八時だが、一時間前には局入りしておいたほうがいい。点呼もされるだろうしな」
「「はい」」
そうなのだ。叔父さんは「一時間前には」って自分で言ってたくせに。
僕は走りながら腕時計を見るが、開始十五分前だった。
目覚まし時計はちゃんと仕掛けたし、朝ご飯も食べてきたのだ。寝坊したわけではない。
だが、出がけになって借金取りの動きを警戒した叔父さんが、出発の時間とルートを変えてしまった。
そんなことで明莉のデビューを邪魔してくれるなと思うのだが、仕方がない。
「行くぞ!」
振り向きざまに車の鍵をかけた叔父さんが、衣装の入ったトランクをもったまま駆け抜ける。僕と明莉も必死でそれを追う。
「ははっ、よし、誰もいないぞ。社内に入ってしまえばこっちの勝ちだ。関係者以外は絶対に入れないからな! お前ら、すぐ通れるように、パスは見えるように出しておけよ」
事前に関係者に渡された入場パス――ラミネート加工された顔写真入りのIDカードをすでに首から紐でぶら下げている。
「ちょっと! そこで止まって! ここからは関係者以外、入れませんよ」
警備員が慌てた様子で指示してきた。地下駐車場の入り口でもチェックはされたのだが、厳重な態勢だ。
「関係者だ。これを見ろ」
叔父さんはいら立って横柄に言うとパスを見せた。
警備員が持っていた端末でピッと読み込んで、グリーンの表示が出た。
「はい、じゃ、通っていいですよ」
僕と明莉もチェックしてもらい、中に入る。
「ったく、オレの顔も知らないとは、ド新人が!」
「感じ悪いよ、叔父さん。それで、会場のL2スタジオってどっち?」
「この廊下を真っ直ぐだ。このテレビ局で一番広いスタジオだぞ」
「へえ」
そちらに向かうと『帝京テレビ主催アイドル新人賞フェスティバル2021』と大きな立て看板が置いてある。
入り口をくぐると空気が変わった。
そこは野外と間違えそうなくらいに天井の高い広間で、わずかに音が反響している。真っ白な壁に四方を囲まれており、正面には豪華なライブステージが設置してあった。今までのどのライブステージよりも巨大で、たくさんのスポットライトが見える。
なんだか現実感がない。
酷く場違いな場所に来てしまったような……そんな気さえしていた。だいたい、なぜ僕がアイドルのマネージャーなんてやっているのだろう? 叔父さんにバイトとして頼まれたのが理由だが、それにしたって今まではアイドルなんて興味も持ってこなかったというのに。
不思議な巡り合わせだ。
「これが、最終オーディション会場……」
明莉も少し気圧されたのか、息を呑む。
会場には僕らの他にも大勢の人間がいた。すでに赤や青の派手なステージ衣装に着替えている者もいる。笑っている者もいたが、たいていは硬い表情でピリピリした空気が伝わってくる。
「よし、オレはエントリーしてくる。これだけ数がいるんだ、一番手にはならないと思うが、明莉、お前はもう衣装を着替えていつでも歌えるように、準備しておけ」
「はい。ええと……」
「更衣室は向こうだね」
僕は『更衣室』という看板を見つけて指さす。
「じゃ、行ってきます」
「ああ。頑張って」
「おいおい、倉斗、まだ気合いを入れるには早いぞ」
「はは、そうだね」
着替えに気合いを入れてもあんまり意味がなさそうだ。自分でも気が付いていなかったが、どうやら僕も緊張してしまっているようだ。
クスリと笑った明莉は大丈夫そうで何よりだ。
ここで、明莉のメジャーデビューを懸けた戦いが始まろうとしている――
大丈夫なのか……?
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