(2)

「じゃ、何を頼む? ジントニック? ビール?」


「いえ、僕は高校生で未成年なので」


「ええ? どうりで若い感じだとは思ったけど、高校生がマネージャーなんてやってるの?」


「ええ、叔父が社長で、バイトに雇われてるんです」


「それはなんだかこぢんまりとした事務所だね。ああ、ごめん、余計なお世話だったか」


「いえ、今は本当に小さいですし。それで……渡したいモノって」


「これだよ」


 彼女がカウンターのテーブルに置いたのは魔法少女アニメで出てきそうな小さめのステッキだった。


「ええと、これは?」


「可奈の持ち物だ。明莉ちゃんに話して、彼女が受け取りたいって言うなら渡してやって。ただ、これから話すことは胸くそ面白くもない話だし、あの子はショックを受けるだろうけどね……」


「それは、どういうことなんですか? これって……」


 どうして可奈の持ち物をこの人が持っているのか。それも小学生が使いそうな玩具を。

 僕はやけに店内の冷房が利き過ぎている気がして思わず身震いしてしまった。


「可奈と明莉ちゃんは仲が良かった。明莉ちゃんはいつも放課後に見舞いにくるほどで、二人でよく話し込んでたよ。ま、可奈のほうが一方的にこのアイドルが可愛い、あのアイドルは歌が下手とか、小学生のくせして一人前に批評家ぶって講釈を垂れてたんだけどね」


 明莉はその頃から引っ込み思案な性格だったのだろう。だが、明莉に熱心に話しかけてくれる可奈は良い友達だったろうし、見舞いに来てくれる明莉も可奈にとっては大切な友達だったはずだ。


「可奈の病気は先天性の心臓病でね。生まれつき心臓が弱かったそうだ。うちの病院に入院してきたときには――ああ、あたしは看護師なんだけど、可奈の担当だったんだ」


 村上里央は可奈の面倒をみた看護師だったようだ。


「ああ、それで」


 可奈の写真を持っていたのは合点がいった。だが……。


「可奈はかなり症状が重くて、手術しなければ数年で命も危なくなるようなものだったんだ」


「そうですか……」


「本人は手術を嫌がっててね。そりゃそうさ、成功率も低い、何時間もかかるような大手術で、麻酔をかけるとはいっても体を切るんだから、怖がるほうが普通だよ。だけど、明莉ちゃんが言ったのさ。このままじゃ、アイドルにはなれないんじゃないのって。手術を受けたほうが、いいんじゃないのかって。いつもは可奈に逆らわないのに、珍しく意見を言ったものだから、可奈が怒ってね。なんであたしの言うことに賛成しないのよって、かんしゃくを起こしてさぁ、ふふ、それで具合が悪くなっちゃって鎮静剤まで打ったんだけど」


 里央はその様子を思い出したのかおかしそうに笑ってから、ビールジョッキを呷った。


「ふう。でも、翌日に可奈は手術をやっぱり受けると言い出してね」


「ああ、良かったじゃないですか」


 明莉の言葉がきっかけで手術を受けて成功したというのなら、普通に良い話だ。明莉が可奈の命の恩人と言っても過言じゃないだろう。


「……まあ、あたしもその時は明莉に感謝したものさ。可奈は頑固だったし、生意気で言うことを全然聞きゃしない子だったからね。そのくせ、臆病だった。――だけど」


「だけど――?」


「アメリカまで行って、受けた手術は残念ながら成功しなかった。心臓が弱りすぎていたんだろう。手術が終わっても心拍が戻らず、ソセイできなかった」


 蘇生という言葉がすぐには理解できず、僕は困惑してしまった。


「えっ? いや、だって、明莉は手術が成功したって……」


「ああ。可奈のご両親の希望でね。学校側にはそういう説明をしたのさ。別の学校に転校しましたってね。学校のクラスメイトに余計な心配をかけたくなかったんだろう。クラスメイトが葬式で泣いてくれても、可奈は生き返らないからね」


「そんな……じゃあ、明莉は何のために」


 アイドルを目指していたのか。

 可奈と会えないのに、毎日厳しいレッスンを受けていたというのか。何年も歌の練習をやっていたというのか。


「だから、この話はしたくなかったんだ。でも、倉斗と言ったか。明莉は本気でアイドルを目指してるんだよな?」


「それは……」


「おいおい、やめろよ? もしも、可奈のために頑張ってるとかそういうのは無しだ。あの子だって喜ばないし、ご両親だってそうだろう。明莉ちゃんの人生は明莉ちゃんだけのものだ。可奈の叶えられなかった夢を誰かが肩代わりする必要なんてない」


「それは……そうですね。明莉の人生は明莉が決めることです。彼女自身の夢のために」


「ああ。参ったな、それを聞こうと思ってきたのに、チッ。じゃあ、これ、あんたに渡しておく。明莉ちゃんがいらないと言えば、返す必要はない。捨ててくれ」


 それなら自分で捨てて欲しかったが、里央さんも捨てられなかったのだろう。これは可奈の形見の品なのだから。あまり受け取りたくはなかったが、これは僕が判断していいことではなかった。明莉が決めることだ。

 ただ……その判断を問うには、可奈ちゃんがどうなってしまったのかを話す必要がある。

 明莉は、間違いなくショックを受けてしまうだろう。場合によっては歌に悪影響が出るかも。

 本選は明日だった。

 ひょっとするともう明莉がアイドルを目指す意味さえも失われてしまった気もするが、浦間プロダクションにとっては唯一の所属アイドルがメジャーデビューできるかどうかの瀬戸際だ。明莉にとっても、ここまで厳しいレッスンと予選を勝ち抜いた末の晴れ舞台のはず――そうであって欲しい。

 僕はピンクと白のファンシーなアイドルステッキを受け取り、陰鬱とした気分で帰路に就いた。

 いずれにせよ、今はダメだ。

 可奈ちゃんの形見をどうするか、話を切り出すのは本選が終わったあとでいいだろう。

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