第8話 ブラックサバト(1)
僕と明莉は恐怖していた。
「あ、あの、本当にここなんですか? 倉斗くん。場所を間違えてるんじゃ……」
明莉が緊張した硬い声で、見るからに不安げな表情で聞いてくる。僕は努めて声が震えないようにしつつ答えねばならなかった。
「いや、GPSだと確実にここなんだ。ネットで検索してもここが新宿ブラックサバトだから」
裏通りの狭い路地の先、灰色のビルと塀に挟まれたような殺風景な場所へ僕ら二人はやってきている。塀には狂気と悪意に彩られた、おどろおどろしい落書きが至る所に散乱しており、僕らのような高校生が踏み入れてはいけないような雰囲気がある。
八月十八日、新宿ブラックサバトというライブハウスで行われる二次予選。ここに新人祭の候補全員が集まっているわけではないが、『一定の規模のライブハウスで集客してパフォーマンスをやれていること』が最終予選への出場条件になっているらしい。僕らはそこへ向かうつもりでやってきたのだが……
「おい、お前ら、何してる」
後ろから世紀末ファッションをしたモヒカンの男がぬっと出てきて話しかけてきた。もうこの時点で僕はチビリそうだ。
「い、いえ……」
特に何もしてないです。もし捕まえられそうになったら、僕が体を張って、明莉だけでも逃がしてやらないと。僕は悲壮な覚悟を決めた。
「あぁ? 聞こえねーんだよ。リリックの召喚札を持ってねえんなら、さっさとどこかに行きやがれ。目障りだ」
リリックの召喚札とは何なのか。さっぱりわからない。
けれど、それって何ですかとも質問しづらい。
……ただ、ここがライブハウスだとするなら、チケットのことではないのか。
僕は最後の望みにかけ、財布から二枚のチケットを出して男に見せた。
「おお、持ってんじゃねえかよ! リリックの召喚札ぁああ。こっちだ、早く来い!」
「は、はあ」「く、倉斗くん」
泣きそうな明莉はやめたほうがいいと首を横に激しく振っていたが、もうあまり時間がない。僕はここがライブハウスだと信じることに賭けた。
もし、白い粉の袋を渡されたら、速攻で返して逃げるとしよう。
男に案内された地下への狭い階段は、明らかに違法行為が行われているような予感があり、わざわざ段ボールで外からは見えないように入り口が隠されていた。なぜ隠されているのか……それを考えるだけで泣きそうだ。
階段両脇の壁には、お札のような紙がベタベタと貼ってあり、本当に悪魔でも召喚しようとしているように僕には思えた。
下に降りていくと、ズッダン、ズッダンと重低音で腹に響くこもった音が聞こえてきたが、ここでようやくライブハウスかもしれないという予感に変わる。
血の色に染め上げられた両開きのドアが正面に見えてきた。巨大な悪魔の顔なのか、まがまがしい彫刻が施されている。モヒカン男がドアを開けると、薄暗い中には大勢の人間がいるようだった。
そのとき、スポットライトが点灯する音がして、正面の舞台に形容しがたいモヒカンの親玉みたいな男たちが四人、ちょうどステージライブを始めたようだった。
「お前ら、今日は全員、ここで脳天かち割っていくぜぇー!」
「「「うおおおお!」」」
しわがれた亡霊のような声で、ライブ?が始まったようだ。
だが、やたらと速いドラムの連打と不協和音を引っ掻き回すようなベースギターで、とても曲とは思えない。ヴォーカルも「ぼえー、ぼえー」と息切れしたような唸り声をあげるばかりで、歌ってない。
「やっぱデスバード、最高だな!」
唐突に前に進もうとした僕の前に顔を出したモヒカン男が同意を求めてきた。
「そ、そっすね」
愛想笑いで乗り切る。ぎゅうぎゅう詰めの状態で、観客がビクンビクンと壊れかけのゾンビのように飛び跳ねているので、僕は明莉とはぐれないよう、彼女の手をしっかりと握った。だが、明莉の手が驚くほど冷たかった。まずいな、きっと怖くて緊張しているのだろう。僕だって怖い。
「おい、ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ」
「関係者です。三番手の月野明莉」
「ふうん。じゃ、通っていいぞ。控室はそのままドアの向こうだ」
「はい、どうも」
ステージ裏へと続くドアをくぐり、控室らしき場所に入る。打ちっぱなしのコンクリートで何もない部屋だったが、観客席よりはずっとマシだった。
黒革のホットパンツ姿の女子が開脚でストレッチをしている。
「何か用?」
その子が聞いてきた。
「いえ」「あの、私、今夜、このステージで三番手を歌わせていただく月野明莉です。よろしくお願いしますっ」
明莉が礼儀正しく挨拶した。
「ああ、いいってそういうの。あたしは二番手のミカだ。よろしく」
「はい」
明莉もミカを見習って屈伸運動を始めた。
「ところで明莉って、パンクとかオルタナじゃないよな?」
「パンク? オル……?」
明莉が俺を見る。それくらいは僕も知っていたので答えられた。マネージャーを手伝うことになってから、いろいろと調べているし。
「ジャンルのことだね。どっちもロックの一種だよ」
「ああ、すみません。私、ポップしか知らないので」
「だろうと思った。でも、ここで歌うなら、ポップは合わないんじゃないか? 知らないよ、ブーイングが来ても」
「ええっ?」「ふむ……」
確かに言われてみれば、ここの人たちは全員ロック、それもデスメタル系のハードコアなタイプに思えた。
「そっちのアンタは?」
「ん?」
「名前だよ、名前」
「ああ、僕ですか。黒子倉斗です」
「ええ? 変わった名前だね。名字が女みたい」
「よく言われます」
「別に敬語でなくたっていいよ。アンタも歌うんだろ」
「ああいえ、僕は彼女のマネージャーなので」
「ええ? 無名なくせしてマネージャー付きかよ」
反感なのか嫉妬なのか嫌そうな顔をされてしまったが、ミカは一人で歌手活動をやっているのだろう。
「二番手のミカさーん、出番よろしくー」
「おっし! じゃ、あたしがステージをバッチリ盛り上げてきてやるよ!」
「「頑張ってください」」
僕は先にドアを開けてやり、彼女が通れるよう開けたまま押さえておく。
「サンキュ」
腹を軽く拳で小突かれたが、彼女なりの挨拶だろう。
「どうしよう。倉斗くん」
明莉が不安そうな目で聞いてきた。さっきのミカが言ったこと、ポップがこのライブハウスには合わないという話を気にしたのだろう。
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