(2)

「うーん、叔父さんが予約を取ってるんだし、そこまで心配はいらないと思うけど、一応、確認はしてみるよ」


 僕はスマホを取り出し、電波が入っていることを確認して電話してみた。


「おう、倉斗か、何だ?」


「叔父さん、新宿ブラックサバトって、ロックバンド中心みたいだけど、ポップで歌って大丈夫なの?」


「ああ、そのことか。大丈夫だ、と言ってやりたいところだが、やってみるまではわからん。可愛い女性シンガーなら大目に見てくれると思うが、ブーイングが起きたり、物が飛んできたら、倉斗、お前が守ってやるんだぞ」


「なんだよそれ。そういうのはちゃんとしてて欲しかったんだけど」


「すまん。観客の多いライブハウスで期間内に取れるのがそこしか無かった。それに、そこで成功すれば間違いなく明莉の度胸が付く」


 叔父さんもそれなりに考えてはいるようだけれど。


「失敗したら?」


「そのときはそのときだ。だが、転がってるチャンスは全部拾っていけ。そうでなくてはアイドルのメジャーデビューなんて無理だぞ」


 僕の性格としては安全に無理せず、石橋を叩いて渡りたい。 

 だが、明莉が目指しているのはメジャーデビューだった。


「わかったよ。大丈夫だってさ」


 僕は明莉に笑顔を向ける。


「……そうは聞こえなかったですけど」


 ここで正直に伝えたところで、良いことは何もない。だから僕は彼女に堂々と嘘をついた。


「大丈夫。僕と叔父さんを信じて」


「うん、わかった」


 うなずいてくれたが、顔は不安そうなままだ。


「明莉、手を出して」


「こう?」


「両手で」


「はい」


 僕は差し出された彼女の手を握ってやった。思った通り、指先まで冷え切っている。


「あ……」


「これくらいしかしてあげられないけど、これでちょっとは温かくなると思うから」


「うん。ありがとう。温かい……」


 気持ちよさそうに目を閉じる明莉。そんなつもりではなかったのだが、なんだかキスの前段階のような感じだ。彼女はまったくそんなことは意識していない様子なので僕も黙ったまま、手を握り続ける。軽くにぎにぎと細くて柔らかな彼女の指をほぐして温める。妙にドキドキしてきた。明莉の指を握っているだけだというのに、なんだかこれは……


 ずいぶんと長い間僕らは立ったままそうしていた気がする。


「三番手、月野さん、よろしくお願いします」


「あっ、はい!」


「よし、行こうか」


「うん」


 笑顔でうなずいた明莉は、緊張が和らいだようだ。少しはマネージャーらしい仕事ができたかな。

 舞台袖まで一緒についていき、明るいステージに彼女を送り出す。明莉は軽く僕に向かってうなずいて、出て行った。


「ふう、お疲れ」


 マイクを明莉に渡してからこちらに戻ってきたミカ。彼女はびっくりするほど汗をかいており、まるで水浴びでもしたような感じになっていた。誰かがミネラルウォーターを彼女に差し出す。


「大丈夫?」


 一気飲みしている彼女に僕は心配して聞いた。


「何が?」


「汗」


「ああ。ま、ステージで今日は派手に踊ったからね。これくらい、なんてことないさ。もうちょっと冷房が利いてりゃいいんだけどさ」


 ミカはそういったが、僕のほうは少し肌寒いくらいだ。

 明莉の曲が始まり、それを舞台の影から見つめる。最初こそ口笛や声援が上がったものの、曲が始まってから観客が静まり返っている。


「まずいね」


 ミカが渋い顔で言った。ブーイングは起きていないが、観客もちょっと不満そうな顔だ。

 明莉はちゃんと歌えているので、それは問題がないのだが……やはりジャンルが違う。激辛カレーを期待して食べに来た客に甘いフルーツゼリーを出しているようなものだろう。頼むぞ、叔父さん。


 歌のサビに入ると、スポットライトがブルーに変わった。ステージではいい感じの雰囲気に見えるが……サビが終わって歌詞が二番へ突入したとき、観客席から恐れていたブーイングが上がってしまった。

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