第3話 ボイストレーナー(1)

「サイド使え、サイド!」

「声出していこうー!」「「「おう!」」」


 炎天下、学校のグラウンドではサッカー部や陸上部が練習をやっていた。

 帰宅部の僕は夏休みだから誰もいないのかと思っていたけれど、生徒が結構いるな。


「多い、ですね……」


 明莉も同じ事を感じたようで、気後れした様子を見せる。


「大丈夫、音楽室なら、締め切っていれば外には聞こえないはず、だから」


「はい……」


「ところで、明莉は部活は入ってなかったの?」


「中学の時には合唱部に所属してました。でも、合唱部の活動ではどうやってもアイドルとかにはなれそうに無いって思って。高校では帰宅部にして、家で歌の練習をやってました」


「そう。まあ、合唱部だと難しいかもね」


 どうやってアイドルとしてデビューするのか、見当も付かない。コンクールで上位に行けば可能性があるのかもしれないが、うちの学校は全国に行けるような強豪校でもなかったはずだ。


「じゃ、明莉、まずは職員室に行こうか」


「は、はい」


 ちょうど下駄箱で靴を履き替えている生徒がいたが、彼はこちらをチラッと見ただけで何も言わずに出て行った。


「ごめん、学校だと月野さんだね」


「あ、はい……」


 彼女も僕と付き合っていると誤解されるのは迷惑だろう。


「「失礼します」」


 職員室には半数くらいの机に先生がいた。生徒は休みでも、先生は休みではないようだ。学生で良かった。


「音楽の先生は、と……あ、いたいた、夢仲ゆめなか先生」


 僕が名を呼ぶと、長髪の女性が顔を上げた。ちょっと厳しいところもあるが、美人なので男子には人気がある先生だ。


「あら、倉斗くんじゃない。どうしたの? 今日は。夏休みでしょ」


「そうなんですが、折り入って、先生にご相談がありまして」


「えっ……そ、そう。ハッ、待って、職員室じゃまずいわね。ええと、音楽室、そう! 音楽室へ行きましょ」


「はい」


 周りを素早く見回した先生は、なんだか酷く緊張した様子だが、音楽室が空いているなら好都合だ。


「その前に」


 廊下を歩きかけたところで、先生が振り返る。


「ええと月野さんだっけ。何か用?」


「あ、はい。私も……倉斗くんと一緒に音楽室を使わせてもらうと思って」


「ええ? なんだ、そういう話なの……もう」


 先生があからさまに脱力してうなだれた。


「何の相談だと思ったんですか?」


 僕は首をひねる。音楽の先生に生徒が頼み事をすると言えば、それしかないと思うのだが。 


「な、何でも無いわよ。やあねえ、別に最初からわかってたわよ、そうよ、こんな可愛い彼女がいるようなイケメンの子が三十路直前の貯金ゼロの女性教師にナンパしてくるわけないでしょ! わかってましたとも」


「ええと……」


 ナンパだと思われたのか。そんな軽い人間だと思われていたことがショックだ。しかも貯金ゼロっていったい何に金を使っているのやら。


「あ、あの、私、彼女さんではないです」


 明莉が戸惑いつつもそこを否定する。


「え? そうなの。そぉ。よしっ!」


 何がよしっ!なのか。不穏なガッツポーズだ。仮に恋愛感情が生まれたとしても、生徒と教師では色々とまずいと思う。僕はまだ十六だし。


「それで、二人とも、吹奏楽部でも無かったわよね」


「はい。自主的に、音楽の練習をしたいと言いますか……」


 アイドルの歌の練習をしたいと正直に言ってしまうと、音楽室の使用許可は出そうにないので、そこは僕も知恵を絞って言う。


「まぁ! 今時の男子って音楽の授業をバカにしてるけど、そう! 自主的に!」


 反応が激しすぎるのが不安だが、まあそういうことにしておこう。


「ええまあ」


「……ホントかしら。何か別の事を企んで……ハッ! ダ、ダメよ、倉斗くん。いくら私が美人でも、先生は教師なんだから。あなたの恋人にはなれないの。大人の女なんだから、そのくらいで気を引こうたってそう簡単には落とせないわよ?」


「い、いえ、別に気を引こうとかそういう気はまったくないので、変な誤解はしないでください」


「くっ、そう。……ちっとも?」


「ええまあ。でも、先生は美人だから、きっと良い人が現れると思いますよ」


 泣きそうになっているので、フォローはしておく。


「ふぅ、美人って言っても、どうせ彼女にするのは月野さんみたいな、守ってあげたい可愛いタイプのほうでしょ」


「いえ……」


 その通りだと思うが、何やら地雷原の気がするのでそういう話に入り込みたくない。


「あ、あの、先生、吹奏楽部や合唱部の部活は、やってないんですか?」


 明莉が代わりに話題を変えてくれた。


「水曜の午後が吹奏楽部、木曜の午後が合唱部の練習で音楽室を使ってるわ。だから、あなたたちが使いたいなら、それ以外の時間ならいいわよ。ただし、ときどき私もチェックしに行くから、ラブホテルと勘違いした使い方はしないでね」


「い、いえ、そんな使い方は」


「はわっ、ラ、ラブホテル……! しし、しませんからっ」


 僕も動揺してしまったが、明莉はやたらと慌ててしまった。

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