(3)

 自宅の近くは閑静な住宅街で、車の通りもほとんど無い。ランニングにはうってつけだ。早朝ということもあってか、犬を連れて散歩している小学生や、他にもランニングしている人がちらほらいた。


「明莉、ペースは大丈夫?」


「はあ、はあ、だ、大丈夫です」


 ちょっと息が上がってるな。もう少しゆっくり行くとするか。


「そこの公園で、ちょっと休憩していこう」


「はい」


 借金取りがいないことを確認して、ベンチに座る。明莉も隣に座った。


「さっき、デビューするなら本名でないと意味が無いって言ってたけど……」


「はい。小学校の頃の約束なんです」


「約束?」


「ええ。小学校の頃、私は引っ込み思案でなかなか友達ができなかったんですけど、一人だけ仲良くしてくれる子がいたんです。織部可奈ちゃんって言うんですけど、その子、心臓の病気で入院することが多くて。その間、彼女は病室でいつもテレビばかり見てました。お見舞いに行くと、ちょうどライブの放映をしていて、可奈ちゃんもあんなふうにステージで思いっ切り踊って歌いたいって。私は、きっと良くなるからって励ましたんですけど、可奈ちゃんは自分ではそう思えなかったみたいで。手術も怖がっていました」


「そっか」


 歌が好きなのに、自由に歌えないのは辛い事だろう。


「だから、可奈ちゃんと約束したんです。私も可奈ちゃんと一緒にステージに上がるからって。きっと可奈ちゃんも元気になれるから手術を頑張ろうって。その後、彼女はアメリカで手術は成功したそうなんですが、転校でそのまま連絡が途絶えてしまって。だから、私が歌手デビューして有名になれば、可奈ちゃんにまた会えるんじゃないかって。変な理由ですよね」


 明莉が軽く肩をすくめて力なく笑う。


「いや、そんなことはないよ」


 アイドルを目指す理由としてはどうなのかと思ったが、毎日ランニングや歌の練習をして本気で取り組んでいるのだ。明莉のクラスメイトというだけの僕が口を挟める話では無かった。明莉にとって一番の友達で、篤い友情のようだし。


「会えるといいね」


「はい」


「じゃ、そろそろ行こうか」


「はい」


 しっかりとランニングして僕も明莉もへとへとになって家に戻ってきた。

 ジュースを飲んで、一息ついてから聞く。


「明莉、次は何をするの?」


「次は歌の練習をしたいんです。やっぱり、きのうステージの上で詰まったのは、普段の歌の練習が足りなかったんじゃないかって」


 僕にはそれよりも度胸の問題に思えたが、彼女が歌の練習をやりたいなら、それでいいだろう。歌手が歌の練習をするのは当たり前だ。


「わかった。じゃあ、ここでやる?」


「うーん、防音の効いた部屋ってないかな?」


 モジモジした明莉は、近所の人に歌を聴かれるのが恥ずかしい様子。そうだな、まずは思う存分練習できる場所のほうが彼女のためかもしれない。


「なら、そうだなぁ……事務所はまずそうだし……」


 借金取りがうろついていそうだ。


「はい。浦間さんから、事務所には近づくなと言われてます。それに、レッスンの先生も夏休みまでという約束だったので。お給料払えなかったみたいで」


 ダメダメだな、叔父さん。もう倒産したほうがいいんじゃないのか?


「ほかに歌えそうな場所かぁ……」


 しかも無料で。あるかな? そんな場所。


「あっ、学校の音楽室とかどうかな。今なら夏休みに入ってて誰も使ってないだろうし。防音もバッチリだよ」


 僕は思いついて提案してみる。


「でも、音楽室は吹奏楽部が使ってるかも……」


「そうかもしれないけど、空いてる時間帯もあるだろうし、一度、先生に聞いてみたら? ダメなら屋上でもいいし」


「はい。そうですね」


 決まりだ。

 僕と明莉は制服に着替え学校に行くことにした。

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