(2)

 ――それが昨晩のことだ。明莉は借金取りを家に近づけたくないとの事で、この家に泊まった。彼女の両親が簡単に外泊を許したのが驚きだったが、どうも叔父さんとは旧知の仲らしい。

 もちろん、僕は彼女のために別室を用意して、別々の部屋で寝た。

 しかし……こうして小鳥が鳴く朝、彼女がご飯を用意してくれるなど、ちょっとラッキーだと思ってしまう。


「ん。できた。こんな感じかな。あの、倉斗くんの口に合わなかったら、コンビニまで行って何か買ってくるけど……」


 明莉は自信なさそうに言う。


「いいってそんなの。味は少々おかしくても文句は言わないし、見た感じは料理も上手じゃないか。ささ、早く注いでくれ」


「う、うん」


 味噌汁と白ご飯、それにベーコンエッグというシンプルなメニューだが、久しぶりに他人が作ってくれた手料理を食べるのだ。僕はそれだけで心おどるものがあった。

 まずは味噌汁の香りを鼻で楽しみ、箸でワカメをすくって食べる。


「ああ、うん、良い味だね。美味しいよ」


 濃すぎず薄すぎず、味噌の風味がほどよく溶けている。ポイントは、味噌を入れてから煮詰めすぎない事だな。それは僕も独り暮らしをしているから、よくわかっていた。

 僕の感想を聞くと、明莉は心底ほっとしたように胸をなで下ろした。


「良かった……」


 だが、それではまるで新妻がやるような心配だ。別に僕に不味い料理だと思われたところで、どうって事は無いはずなんだけど。


「じゃ、今日から倉斗くんの料理、私が毎日作るね」


「ええ? いやいや、そんな無理しなくていいよ」


「いいの。高校生がご飯を毎日一人だけで食べるなんて、ちょっと寂しすぎるから。任せて!」


 なんだかやる気のみなぎる目だ。きっと昨日かその前に叔父さんから僕の両親が他界している事を聞いたに違いない。僕はそれほど自分が不幸だとは思っていないが、両親が健在の彼女にとっては、クラスメイトが独り暮らしなんて同情すべき事だったのだろう。ま、いいけど。


「じゃあ、お願いしようかな」


「うん」 


 二人でちらちらとお互いの顔を見つめつつ、気恥ずかしい雰囲気の中でご飯を食べた。


「「ご馳走様でした」」


「じゃ、皿洗いは任せてくれ」


「あ、それも私が」


「ダメダメ、全部やらせるわけにはいかないよ。君はアイドルなんだし」


「ううん、アイドルはステージの上だけだから」


「いや、普段から意識しておいたほうがいいんじゃないかな。だって、慣れていないと、昨日だって最初は声が出なかっただろう?」


「それは……はい」


「責めてるわけじゃないよ。誰だって、いきなりステージに立ってお客さんの前で歌えなんて言われたら、無理だよ」


「うん……」


 これだな。


「だから、誰かの前で歌う度胸をまず付けよう。それが君の最初の仕事だよ、明莉」


「わ、わかりました」


「僕はクラスメイトなんだし、敬語はいらないよ」


「でも、マネージャーさんですから」


「うーん、ま、いっか。じゃ、今日はどうしようかな」


「ランニングをやりたいです、マネージャー。浦間さんは、まず体力を付けろって。毎日ランニングを日課にするよう、言われています」


「ああ、なんだ、ちゃんと叔父さんもマネージャーっぽいことをやってるんだな」


 それも当然か。何年もプロダクションの事務所をやってきた人だ。


「はい。でも、今朝は、借金取りが心配で、倉斗くんと一緒が良いかなって」


「ああ、ごめんね、それなら、早く起こしてくれても良かったのに」


「いえ、気持ちよさそうに寝てたので」


「え? 見たの」


「あっ、か、勝手にお部屋に入ってごめんなさい」


「いや、まあいいけど。片付けておけば良かったなぁ。油断した」


「ふふ、片付いてましたよ」


「だといいけど。じゃ、服はそれで大丈夫?」


 明莉は学校指定の赤い女子用のジャージを着ている。


「はい。今は他にないので」


「そうだよね。じゃあ、ランニングついでに、君の家に寄ろうか」


「そうですね。着替えとかも取ってきたいし。あ、先にお母さんに連絡して、荷物も用意してもらいます。あと、借金取りが近くにいないか、様子も見てもらわないと」


「警察に、うーん、難しいかな」


 家の近くをうろついているだけなら、特に犯罪とはいえない気がする。


「そうですね……それに、アイドルをやるなら、警察沙汰も避けたいので」


「わかった。連中に見つからないよう、上手くやろう」


「はい」


 叔父さんの事務所の住所は彼らも知っているだろうけど、明莉の本名や住所はたぶん知らないはずだ。まだデビューしたばかりの子だし、本名をそのまま芸名に使っているとも普通は思わないだろうしな。


「でも、名前、本名で良かったの?」


「はい。この名前でないと、意味が無いですから」


「んん? ま、細かい話はあとだ。まずは連絡して」


「そうですね」


 明莉が携帯を取り出して母親に電話した。僕はその間にこちらもジャージに着替えることにする。

 二階の自室から戻ると、明莉はまだ母親と話していた。


「うん、大丈夫。今、倉斗くん、浦間さんの甥っ子で、クラスメイトと一緒だし。浦間さんはお金を工面するために、出かけてる。お母さん、そっちには変な人が来てない? そう、良かった。うん、気をつける。それじゃ」


 大丈夫そうだ。僕らはうなずいて、すぐに出かけた。

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