第2話 彼女が歌う理由(1)

 台所でエプロンをした明莉がこちらに背を向けたまま、トントントン……とネギをまな板の上で切っている。実に手慣れた手つきだ。普段からお母さんの手伝いをしているのだろう。感心、感心。


 それにしても、たった二人きりで、こうして彼女が朝ご飯を作っていると、新婚夫婦みたいな――いやいや、何を変な事を考えているんだ僕は。あくまで彼女は僕らの朝ご飯を作ってくれているだけで、別に結婚するとか、そんな話ではないのだ。

 

 きのう、借金取りを何とか振り切ってこの家に帰ってきた僕ら三人だったが、叔父さんはしばらく身を隠すと言った。

 

「このままじゃ明莉の活動もろくにできなくなるからな。それまでオレは別の場所で資金を稼いでくる。二人には不便をかけて申し訳ないが、これが最善だ」


「まあ、それは仕方ないけど、明莉のレッスンとか、活動は一人でやらせるつもりなの?」


 叔父さんがそうだと言ったら抗議するつもりで聞いたが、ニヤリと笑われてしまった。嫌な予感がする。

 

「もちろん、明莉を一人でやらせるなんて事はしないぞ。何と言っても夏休み、倉斗、お前もヒマだろう」


「いや、忙しいけどね、わりと」


「嘘を付け。高校二年生で塾にも行ってない奴が忙しいわけ無いだろう。それとも何か? お前はクラスメイトの女の子が困っていても見捨てるって言うのか」


「そんな事は言ってないけど……」


「あの、倉斗くんは無関係なので……」


「いや、オレの甥っ子だからな。大いに関係あるぞ。今日から倉斗、お前が明莉のマネージャーとして活動してやれ」


「ええ、そんな無茶な。マネージャーなんてやったことも無いのに」


「なぁに、わからない事はオレが指示を出す。お前は言われたとおりに動いてくれればそれでいい。面倒な手続きはオレがちゃんとやる。お前の任務は借金取りに明莉が連れて行かれないよう、側で見張ってくれるだけでいいんだ」


「まあ、それくらいはね。身内の不始末だし」


「面目ない。だが、ちゃんとバイト代もあとで払うぞ。金をもらう以上は仕事をきちっとやってもらう」


「ああ」


「じゃ、明莉、先に荷物を下ろしてくれ。オレはマネージャーの仕事について、ちょっと倉斗と話がある。今後の予定とかな。それと、懐中電灯を探して持ってきてくれないか。車の中に置いてあるはずだ」


「わかりました」


 彼女が車から荷物を僕の家に持っていく。明莉が家の中に入ったところで、叔父さんが小さい声で言った。


「いいか、倉斗。マネージャーは常にアイドルの味方じゃなくちゃいけない。周りの全てが敵になろうとも、アイドルを否定するな。どんな些細なことでもだ」


 細かい仕事の内容というよりは、心構えの話のようだ。


「でも彼女が間違っていると思ったら……」


「そうだ、そこが大事な点だ。違うと思ったら、褒めたり肯定せずにまずはワンクッションを置け。ただし、理解は示す。つまりは、『なるほどね、そういう考え方もあるだろうね。ただ、良い感じにいくかどうかは疑問だな』そう、疑問だ。疑問を挟んで、アイドル自身に考えを変えさせろ」


「なるほど、わかったよ」


「だが、明莉は極端に自己肯定感が低い。自信の無さはハッキリ言ってアイドルとしては致命的だ。この業界では自分こそがとうぬぼれて周りをかき分けるくらいの奴でないと目立たないし、成り上がれない」


「ええ? じゃあ、なんで……」


 僕は叔父さんの意図を疑った。なぜ、彼女を選んでアイドルにしようとしているのか。


「勘だ。月野明莉には秘めた力がある。今は輝いていないが、少し性格が変わればまぶしく輝くダイヤモンドになるだろう。いわば原石だ。お前が磨け」


「僕が? 叔父さんは何をするのさ」


「メジャーデビューに必要な資金を集める。今のままじゃ、活動もろくにできやしない」


「確かにね……でも、磨き方なんてどうやって」


「それは倉斗、お前が自分で考えろ。同世代の女の子がどうやったら可愛く見えるか、アイドルらしくなるか、それくらいはわかるだろう」


「いや、そう言われてもね……」


 無茶振りだ。


「とにかく、オレのほうは資金を集めるので手一杯だ。借金取りが群がるから明莉の近くにもいられない。だから、明莉を頼んだぞ」


「責任重大だなぁ」


「ふふ、無理だとは言わないんだな。なら大丈夫。お前も今夜のステージで可能性を見たはずだ。それを信じろ。細かい仕事内容については、追ってメールや電話で指示を出す」


「わかった」


「ただ、頻繁には連絡が取れないはずだ。借金取りに感づかれたら終わりだからな。つるし上げられて連絡先を教えろと言われたら、素直にアドレスを差し出せ。こっちは別のアカウントや番号を作っておく」


「夜逃げみたいだね……」


「ふふ、似たようなもんだ。だが、金さえ工面できれば逃げる必要もなくなるからな」


「じゃ、なるべく早く目処を付けるかどうにかしてよ、叔父さん」


「わかっている。苦労をかけるな、倉斗」


「いいよ、そんなの」

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