(4)

「よし、撮影はこのくらいで良いだろう。明莉、シャツを着て風邪を引かないように」


「はい、浦間さん」


「機材を片付けたら、今度はステージを見に行くぞ」


「ステージ?」


「ああ。ここの仮設ステージで今夜、明莉が一曲歌う手筈になっているのさ。今日は夏祭りだからな」


「へぇ。意外と仕事してたんだね、叔父さん」


「意外ってのは余計だ。じゃ、人が集まってくる前に、さっさと済ませるぞ」


「はい」「了解」


 ステージは砂浜に設置されていた。銀色の剥き出しの鉄筋を柱に、屋根というよりは、ひさしといった感じの小さな日よけが付けられていた。壁はない。

 明莉が歌うだけではなく、地元のイベントの出し物も兼ねているようで、知らない顔の芸人二人組が漫才をやっている。観客はまばらで少なかった。五十人もいないだろう。


「くそっ! スポットライトが付いてないじゃないか、どうなってる」


 叔父さんは悪態を付くと、責任者を探しにステージの裏手へ向かった。


「月野――明莉さんの何時からの予定なの?」


 取り残された僕は彼女の開演時刻を聞く。


「七時半です。明莉でいいですよ。私も下の名前でみんなから呼ばれるの、慣れないとですし」


「うん。それもそうだね」


 ただ、クラスの女子を下の名前で呼ぶのはそれだけで心臓がドキドキしそうだ。しかも呼び捨てで。

 ポケットから自分のスマホを取り出してみたが、もう時刻は七時を回っていた。もう少しだ。


「うう、緊張してきた……大丈夫かな?」


 明莉が聞いてきたが、それは僕にはわかりっこない。ただ、叔父さんならこう言うだろう。


「きっと大丈夫。歌の練習とかはしてるの?」


「はい。スタジオと家で何度も、最近はそればかりやってました」


「なら、大丈夫だ」


「はい……。不思議です。倉斗くんに言われるとなんだか本当にそんな気がしてきちゃう」


 はにかんで言う明莉に、僕もそんなことを言われてしまっては気恥ずかしくなる。

 手伝いのバイトではあるけれど、明莉を精いっぱい応援してやろう、そんな気分にさせられた。


「あっ、衣装は?」


「あ、それはまだ作ってもらっていないんです。砂浜のステージもここなら水着でごまかせるので」


「なるほどね」


 叔父さんも苦肉の策で色々と考えたのだろう。確かにデビューするアイドルが普通の服を着ていたら、売れるものも売れないか。

 頭を掻きながら叔父さんが戻ってきた。


「ったく、参ったな。スポットライトの取り付け工事、到着はしてたが業者に頼み忘れたそうだ」


「残念だったね。どうするの?」


「天井には付けられないが、床で付けるぞ。この漫才が終わったら、配線を手伝え、倉斗。超特急で仕上げるぞ」


「了解!」


「ほう、どうした、何だかやる気になってるじゃないか」


「別に。でも、せっかくのデビューなら、派手にやりたいでしょ」


「当然だ!」


「はい! お願いします、倉斗くん」


「よし、開始だ!」


 ちょうどステージの前座が終わり、僕と叔父さんは素早くステージの横にダッシュで向かう。置いてあった黒色のスポットライトを手分けして抱え込み、ステージの端にある出っ張りに万力の要領でネジを締めていく。


「叔父さん、向きは?」


「中央、ちょうどマイクの位置だ。明莉のヘソあたりを狙うつもりで調整しろ。電源はまだ入れられないから、一発勝負だぞ」


「そんな無茶な」


「無茶でもやれ! 急げ!」


 大急ぎでネジを締め、一つ一つのライトをセッティングしていく。


「完了!」


「えー、それでは次のステージは、アイドル月野明莉さんで、『彼方の星空』です!」


 紹介が始まると同時に僕と叔父さんは屈むようにして走り去り、ステージを降りる。

 夕日が沈み、薄暗くなったステージに明莉が立つ。スポットライトのスイッチが入れられ、まるで虚空の中に浮かび上がったように彼女が見えた。

 曲が流れ始める。なかなか良い曲だ。でも……結構前奏が長いな?


「くそっ、何やってるんだ、明莉。ほら、歌え」


 叔父さんがうめくような声を出したが、んん? まさか歌い出しに失敗したのか?

 ステップを繰り返しリズムは取っているものの、明莉も困った顔でどうしていいかわからない様子。

 ――なら。


「明莉ちゃーん、歌って~!」


 熱烈なファンを装い、張り裂けんばかりの掛け声を送る。

 観客から失笑が湧き起こったが、狙い通りだ。これで明莉も緊張が解けたはず。

 案の定、うなずいた彼女は目つきが変わり、次のフレーズから歌い始めた。



 星空の下

 あなただけを信じて

 共に歩きたい

 いつも見守ってくれるあなたに

 あなただからこそ

 遠くない彼方に きっと 二人で 行ける場所


 

 スローテンポのラブソング。ゆっくりと手を伸ばし、想いを込めて歌う彼女は、音楽など知らない僕の目から見ても一人前のアイドルに見えた。

 明莉が手を伸ばしたまま動きを止め、曲が終わりを迎える。


「いいぞ! 最高だ!」


 叔父さんが大声でそう言いながら拍手を始めた。僕も力一杯拍手をする。釣られてか他の観客も拍手してくれた。


「素晴らしい歌をありがとうございました! では、間もなく打ち上げ花火が始まります。皆様、ごゆっくりご覧下さい」


 すっかり暗くなった空に、ヒュルル~と笛を鳴らすように細い炎が上がり、パッと花開いた。一瞬遅れて、ドーンと花火の音が腹に響く。


「よくやった、明莉」


「はい、ありがとうございます。倉斗くんも、ありがとう。さっき、かけ声をかけてくれたから、私、タイミングを取り戻せました」


「うん。まあ、終わりよければすべてよしだね」


「だといいんですけど……」


「もちろん、今日の失敗を教訓にして、しっかり練習するんだぞ、明莉」


 叔父さんが笑いながらも念を押す。


「はい。頑張ります」


「よし、じゃあ、焼きそばを食いつつ花火でも見て帰るか」


「はい」「うん」


 気分よく返事をした僕らだったが、後ろから低い声がかかった。


「おっと、浦間さん、アンタ達は焼きそばなんて食っていられるご身分なのかい?」


 白いスーツを着た男が現れたが、サングラスをかけていて、普通のサラリーマンなどではなさそう。


「むっ、お前は」


「一億円の貸付金、期限はとっくに過ぎてるんだ。この場で耳をそろえて返すか、今後の返済計画について、ちょっと車の中で話そうや」


 脇から部下らしき二人の男が前に出てきた。こちらも顔に傷があったりと目つきと柄が悪い。

 それを見た叔父さんは――


「逃げるぞッ、二人とも! 車まで走れ!」


 そう言って逃げた。


「「えええっ?!」」


 今の、どう見ても借金の話で、しかも叔父さんが否定しなかったのだから、本当の話なのだろう。


「待てや、コラァ!」


「ひっ」


 怖い人が怖い声で怒鳴るので、僕も思わず身を引いて逃げる。とっさにその場で固まっていた明莉の手を引いた。彼女も泣きそうな顔で走る。


「いたっ! 何するんだ!」

「気をつけろ、馬鹿野郎!」


 ちょうど人混みだったので、体格の大きな三人は花火を見ている観客にぶつかってしまい、速度が落ちる。

 とはいえ、ここで捕まったら間違いなく大変なことになりそうで、気が気ではない。明莉の手を引いたまま、全力で走る。


「オラ、待てやコラァ、逃げられると思ってんのか!」


 追われるから逃げる。逃げるから追われる。

 花火が照らすコバルト色の砂浜を必死で走る。

 夏休み初日の夜、僕はとんでもない目に遭っていた。


 ――だけど、不思議なことに、明莉の小さく柔らかな手を握っていると、不思議と勇気が湧いてくる。

 何かがこれから始まるのではないか、そんなワクワクする予感もしていたのだった。

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