(3)

 アイスの売り子で忙しくなって忘れていたが、月野はさっきバイトでは無いと言っていた気がする。


「はい。私は浦間社長の事務所に入ったので」


「事務所? 叔父さんの事務所って……ああっ、芸能事務所か!」


 僕は叔父さんの本業をようやく思い出した。歌手やアイドルを売り出す芸能プロダクションの社長だったのだ。


「は、はい。その、ちょっと身の程知らずと言いますか、は、恥ずかしいです……!」


 月野が両手で自分の顔を隠した。耳まで真っ赤になっている。

 しかし、芸能界を目指しているとは知らなかった。それもクラスメイトが。


「いやいやいや、別にそれは身の程知らずなんてことは全然ないんだけど、ええ? 他に入るところ、無かったの?」


 よりによって叔父さんの事務所とは。昔は売れっ子もいたという話だが、小さくてこうしてバイトしないとやっていけないような事務所なのに。


「はい、私には他に伝手もなくて。でも、日向陽奈やロコさんを売り出したこともあるすごい事務所なんですよ」


「ええ? 日向陽奈は僕も名前を聞いたことあるけど、ホントかなあ」


 CMでも時々彼女の歌が流れるほど、有名な歌手だ。高音から低音まで歌い上げる本格派の歌手。ロコは知らない。僕は芸能人なんて、ほとんど知らないんだよな。


「事務所の写真も見ましたから、間違いないと思います」


 だと良いけど。


「そっか。月野さん、歌手になりたいんだ?」


「はい。できれば。でも私、そこまで歌は上手くないので……」


「じゃあ、他に何か、特技みたいなものがあるの?」


 叔父さんの話では、アイドルにも色々あって、トークが巧いからバラエティ番組向きだったり、司会者だったり、ダンス、グラビア、声優などと個性があると聞いたことがある。


「い、いえ、そういうのは……も、申し訳ないです……」


 縮こまってしまった。


「ああいや、責めたわけじゃないんだよ。とにかく、歌、頑張ってね」


「あ、はい!」


 ただ、控えめで気弱な感じの彼女が芸能界で上手くやっていけるのだろうか?

 僕は少し不安になってしまった。


「おーい、待たせたな。ゴミはあっちだ」


 ゴミ捨て場にポリ袋を持っていったあと、今度は叔父さんが五十センチ四方くらいの白い板を僕に渡してきた。


「レフ板だ。倉斗、持っててくれ」


「いいけど、何をやるの?」


「プロモーションの写真を撮るぞ。月野明莉がアイドルとしてデビューするんだ。最高に可愛く撮ってやらないとな」


「はわ」


 当のモデルさんのほうは少し慌てた様子で戸惑っている。とはいえ、アイドルでデビューするなら写真くらいは覚悟の上だろう。


「よし、じゃ、明莉、水着は着てきたよな?」


 叔父さんが聞く。


「あ、はい」


「じゃあ、向こうの人がいない砂浜で撮ろう。夕日で良い感じになりそうだ」


 遊泳禁止のロープが張られている向こうへ叔父さんは平然と歩いていく。


「あの、浦間さん、そっちに入るの、怒られたりしませんか?」


 心配そうに月野が聞いた。


「大丈夫だ。泳がないからな。問題ない」


 叔父さんがカメラを持ち、僕が指示された場所に立って、彼女をレフ板で照らす。この板で被写体の光量を良い感じに上げて、写りを良くするのが僕の役割らしい。


「よし、いいぞ、明莉、脱いでくれ」


「は、はい……」


 彼女は僕と叔父さんを交互に見たあと、おびえたようにTシャツの裾を握って……躊躇しているようだ。


「ほら、どうした。別に下が裸なわけじゃないだろう」


「で、でも、ビキニの水着なんて私、初めてで……恥ずかしい、です」


「耐えろ、明莉。アイドルとして活動するなら、恥ずかしく思う場面なんてこれからいくらでもあるぞ」


 叔父さんはなんでもないことのように言ってしまうが、普通の女子高生に、しかも奥手そうな月野にはハードルが高いだろう。


「叔父さん、別にTシャツでも……」


「ダメだ。何を言ってる。夏の海で水着にならないアイドルがいるか」


 いるかもしれないが、僕はあいにくと具体例を知らなかった。アイドルなんてテレビ画面の向こうでしか見たことがない、別世界の人間で、ハッキリ言って何も知らないも同然だった。なんでこんなことを僕が手伝ってるのやら。


「明莉、自分で決めたことだろう。アイドルを選ぶなら、避けては通れない道だぞ。無理なら、もうここでアイドルごっこはやめたほうがいい」


「いえ、やります」


 何が彼女をそうさせるのか、叔父さんの小馬鹿にした一言に彼女は真剣な目つきに変わった。

 それでも少し間を置いてシャツを脱ぐ。

 下から白い肌とレモン色のビキニが姿を見せた。学校では女子のスクール水着を見ているが、女子のビキニ姿なんて写真でしか見たことはない。僕は思わず目が釘付けになり、緊張してしまった。

 彼女は背中を曲げたままモジモジと照れくさそうにしている。可愛いけれど、これではさすがにアイドルというふうには見えない。


「明莉、背筋はしっかり伸ばせ。そんなんじゃお客さんは来ないぞ」


「わ、わかりました」


 叔父さんが細かくポーズを指定し、ぎこちなくではあるが、月野がそれに合わせて体を動かす。まだ未熟という感じの肉体だが、背筋を伸ばすとバランスの取れた美しさが感じ取れた。それに、わりと際どいビキニだ。これは彼女が自分で選んだのだろうか? 僕はクラスメイトの女子がビキニ姿だということに若干の戸惑いを覚えつつ、彼女を照らした。


「よし、いいぞ。最高の笑顔だ。もっと笑って。ほれ、倉斗、お前も褒めろ」


「ええ? まあ、月野さん、可愛いと思うよ」


「あぅ」


 顔を赤くして目を伏せた月野は必要以上に意識してしまったようで、なかなか難しそうだ。ま、クラスの男子に言われるとやりにくいだろうな。


「倉斗、もっと言い方があるだろう。それに、アイドル相手に名字は無しだ。何かギャグでも言って笑わせろ」


「いや、無理だって、急に言われても」


「もう撮影時間が無いぞ。スケジュールが押してるんだ。急げ。何でも良いから言え」


「そう言われてもなぁ。じゃ、明莉ちゃん、砂丘で早急に、さっ、キュー!」


「お前……」


「い、いや、何でも良いからって言うから」


 ポーズも付けたのに、あんまりだ。


「ふふっ、あはは」


 駄洒落が面白かったのか、外したのが面白かったのかはわからないが月野はツボに入ったようでお腹を抱えて笑い出した。


「よし、それだ!」


 叔父さんが連続でシャッターを切る。溌剌とした明莉の笑顔。僕はそんな彼女を初めて見た。夕日をバックに、砂浜に立つ少女。

 彼女のほっそりとした手足と柔らかそうな肌がうっすらと夕焼け色に染まり、キラキラと輝く海原も幻想的だ。

 そして今まで知らなかった彼女の笑顔。

 なんだか見とれてしまう。

 目が離せない。


 それが恋の始まりだと僕が知るのは、もう少しあとになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る