第3話



 客人を前にこの格好は失礼だからと、ジャージ姿の彼女――改め、轟木ほまれは、三分ほど席を外して戻ってきた。

 ボサボサだった黒髪は短時間でアイロンをあてたのかと思うくらい艶があり、動くたびにさらりと揺れた。学校指定の白シャツとチェックスカート、黒のハイソックスと規定に乗っ取った服装だが、ジャケットではなく先程のジャージを羽織っている。

 生徒会長でその恰好は不味いのではと糸魚川が眉をひそめると、ほまれは「大丈夫だよ」と彼が考えていることを見通した。


「ジャケットは今、クリーニング中なの。学校側の許可は得ているし、防寒対策としてジャージの着用は許されているから問題はない。私は生徒会長であり、この学校の生徒の一人だもの。校則は守るよ」

「……わかりました。わかりましたから、考えていることを勝手に読み取らないでくれませんか。気味が悪いです」

「おおっと。ごめんね」


 怖がらせるつもりじゃないんだ、と言いながら先程寝転がっていたソファーへ、ローテーブルを挟んで対面するように座った。すらっとした長い足が組まれると、レンズ越しから糸魚川を見据えた。


「さて、

「糸魚川です。さっきからなんですか、それ」

「キャッチーの方が馴染みやすいと思って。ダメ?」

「ダメというか、馴染みにくいというか。初対面でいきなりニックネームはハードルが高いかと」

「何度か呼んでいたら慣れると思うんだ。強制的で申し訳ないけど、そう呼ばせてもらうね。ちなみに私のことは、会長でもほまれ先輩でも、なんならほまれちゃんって呼んでくれていいよ!」


 人の話を聞いちゃいない。もしかして過去の相談者も独自のニックネームをつけられていたのだろうか。


「そんなことはさておき、トイくんがこの生徒会室に来たということは、何か悩み事があるってことだよね?」

「そこは、お得意の先読みは披露しないんですね」

「言っておくけど、私は超能力者じゃないの。トイくんの顔に書いてあったからわかっただけ」


 勿体ぶらないでよ、と茶化してくる。この人は苛立たせるのが得意なのか。これ以上は埒が明かないため、糸魚川は本題に入ることにした。


「ペンダントを落としてしまったんです」

「ペンダント? 首から外れちゃったの?」

「いえ、元々チェーンの留め具が緩くて、無くす前までは手に持っていたんです。くすんだシルバーで、五百円玉くらいの大きさのコインがついています。手のひらには収まるサイズで、落としてもすぐ見つかるはずなんですが、どこにも見当たらなくて。おそらく教室から理科室の移動の際に落としたんだと思うんですが……」

「ふむ……君はそれを探してほしいってこと? もちろん協力は惜しまない。早速無くしたとされる場所に――」

「あ、いえ。そうじゃなくて」


 やる気で満ちているほまれがソファーから勢いよく立ち上がるのと同時に、糸魚川は制止をかけた。


「僕がここに来たのは、捜索の依頼でも協力要請でもありません」

「う? じゃあなに?」

「突飛な生徒会長なら、どうやってあたりをつけて探すか――参考までに伺えればと思ってここに着ました。探すのは僕一人で充分です。たかが失せ物探しで大事になるのは避けたいので」


 きっとそれは間違いなく、時間の無駄になる相談内容だろう。

 現に相談者が呆れているのだから、いくつもの生徒の相談にのってきた轟木ほまれにとっては気の抜ける話だ。探し方を教えてほしいなんて、無くしたペンダントにPGSが搭載されていて、システムの操作方法を聞きに来た方がよっぽどマシだったかもしれない。


 しかしあろうことか、彼女は溜息一つ吐くどころか、緩んだ口元を手のひらで覆い、大きな目を細めて笑った。


「――あはっ!」


 可愛らしいと思う反面、甲高い奇声みたいな笑い声で現実に引き戻される。今度は糸魚川が呆気をとられて口を開けたまま固まっていると、ほまれは感慨深く頷いた。


「そっかそっか、それほど大切なものなんだね! わかった、私なりの探し方をトイくんに教えよう。半ちゃん、校内の地図を出して?」

「自分で出せ。お前の後ろの棚にあるだろ」

「んもー! つれないなぁ。せっかく可愛い後輩が来てくれたんだよ?」

「なおさらお前がやれ。可愛い後輩なんだろ?」

「半ちゃんもでしょー!」


 しょうがいないなぁ、と小言をこぼしながら、ほまれはソファー越しから近くの棚を漁って校内の見取り図を取り出して理科室を探し始めた。校舎は複雑な造りにはなっていないから、すぐに見つかるだろう。


 すると、視界の端かららティーポットが見えると、半ちゃんと呼ばれていたイケメンが顔を覗かせているのに気づいた。


「悪いな、糸魚川。少しだけあのアホに付き合ってやってくれ」


 紅茶のお代わりを淹れた彼――半井なからい文人あやとは、モデルかと勘違いするほど長身のスタイルとクールな表情から、学校一のイケメンだと評される。

 ほまれとは入学当初から仲が良いようで――保護者といった方がいいかもしれない――、二年生の頃から副会長として生徒会に加入している。自由奔放な彼女を扱える上級生がおらず、唯一話が通じた半井に上級生が頭を下げたと聞いたことがある。


「な、半井先輩も驚かないんですか?」

「何が?」

「何がって……僕が持ちかけたのは相談でも何でもないんですよ?」

「でも困ってるんだろ?」


 けろっとした顔で首を傾げて聞いてくる。


「困っている生徒がいるなら応援する――それがほまれが生徒会長に就いた時からずっと掲げている生徒会の在り方だ」

「応援……? 黙って様子を伺うってことですか?」

「ニュアンスだとそうなるな。要は手助けはして応援もしてやるから、その後の結果はお前次第ってわけ。俺達が解決したら意味がない。何より俺達は探偵ごっこをしているわけじゃない。生徒会のモットーとして、活動しているだけだ」

「はぁ……」


 腑に落ちない部分もあるが、結局のところ、今回の相談は生徒会のモットーに反していないということになる。相談者の話を聞いてヒントを与えるところまでが、彼らの仕事らしい。


 すると、「あったあったーっ!」と顔を上げたほまれが、ローテーブルに見取り図を置いた。糸魚川が在籍するクラスの教室は三階にあり、理科室は一階の隅と、離れた場所にある。校内での移動で五分もかからないが、道中は階段が多い。最短ルートでも階段を四回は下って行くしかない。途中には職員室や生徒指導室、保健室があることから、人通りが多いルートでもある。

 ほまれは少し悩みながら、見取り図を指さしながら進めていく。


「トイくんが通ったルートは、普段から多くの生徒がよく利用している最短ルートだね。もう一つ最短ルートがあるとするなら、非常階段を通って一階まで行く方法があるけど、君のクラスからだと少し遠い。君が常日頃から非常階段を使っていないなら、そこにはおそらくないでしょう。さて、ルートを絞って探すといっても、君が実践している方法とほぼ変わらない。通ったルートをくまなく探すこと。研究室や職員室があるから、誰かが届けられているかもしれない。落とし物はすべて保健室で引き取っているから、聞いてみるといい」

「落とし物……保健室で管理だったんですね。事務室に行ってました」

「あれ? 事務の人、教えてくれなかった?」

「窓口が忙しそうだったので、結構雑でした」

「そっか、確かにそろそろ月末処理の時期だから慌しいのかもしれないね。うーん……あとはもう一度、自分の身の回りを整理するとかどうかな。案外鞄の底に埋まっていたり、自宅の机に置いたことを忘れているだけかもしれない。……半ちゃんは?」


 急に話を振られた半井は、ゆっくりと見取り図から糸魚川へ視線を移す。


「……ペンダントはいつ無くしたんだ?」

「えっと……せ、先週の月曜日です」

「となると、無くして一週間は経っている。廊下にそのまま放置ってわけはねぇと思う。ひとまず保健室で落とし物として届けられているか確認してこい」


 俺はそれくらいしか思いつかない、と自分用のマグカップに注いだ紅茶を口にする。それ以上はないらしい。


「うん。ひとまず聞きに行っておいで。一人で心細かったら半ちゃん連れて行っていいからさ」

「いえ、大丈夫です。とても参考になりました」


 想定内だったとはいえ、助言はもらえた。これ以上ここに居座る必要はない。糸魚川は立ち上がって二人に頭を下げた。


「ありがとうございます。もっと探してみます」

「いえいえ。これでお役に立てたなら何よりだよー」

「それじゃ僕はこれで――」

「トイくん」


 出ていこうとドアに手を掛けたところで、背後からふざけた名称で呼ばれる。振り向くと、ほまれがニッコリと笑みを浮かべて言った。


「またおいで。いつでも大歓迎だからさ」

「……考えておきます」


 顔は笑っていたのに、目の奥はとても冷めていた。本当に見透かされたような気がして、そそくさと生徒会室を出て足早にその場を後にした。




「随分冷めた子だったね、トイくん」

「随分嬉しそうだな」

「んふふっ。そりゃあ久々だからね。……だからこそ、楽しい学校生活を送ってほしいなぁ」


 糸魚川が立ち去ってすぐにそんな会話がされていたことなど、彼は知る由もない。

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