第215話 泥と土
カットボールは内野ゴロを打たせて球数を減らすための球種だ。
ストレートとの球速差があまりないので、ここぞという時の勝負球に、引っ掛けさせるためにも使える。
弱点とすると、変化量はあまりないので、カットに徹するとそれなりに粘られる。
だがそれもこのバッテリーが、対策を考えていないわけはない。
(俺は考えなかったけどな!)
北村は現役時代内野手であったので、バッテリーの配球にはそこまでは関連していなかった。
読みを適当にしてもちゃんと打てるあたり、思考力の速さはさすがである。
本気で野球をしていれば、やはりプロに進むまでは出来たのだ。
アマチュアとプロとでは、決定的に覚悟が違う。
教員にならなければ、ノンプロとしてなら就職していたかもしれない。
だがそこからでもやはり、プロになることは難しかっただろう。
その北村からしても、優也はプロに行く器だと思う。
そんな優也と組んでいる潮も、素質だけならプロに行けるのかもしれない。
だが気性的に無理だ。
プロに行くような人間は、絶対的に自分に自信がないと、とてもやってはいられない。
モンスターばかりが横行するプロの世界で、それでも折れずに、あるいは折れても立ち上がり、前に進む者。
それだけの自分への確信を、潮は持っていない。
(こんなピッチャーと組めるのは、これが最後だ)
潮は大学でも野球をするつもりではいるが、野球ばかりをするつもりはない。
ただ指導者はしてみたいかな、とは少し思っている。
なんならもう選手ではなくマネージャーでもいいかなと思う潮は、自分の能力を過小評価している。
この試合の中でも、大切な役割を果たしてきたではないか。
そんな潮が優也に言ってあることは、正面からの勝負。
追い込んでしまえばそこからは、優也の力でねじ伏せる。
単純すぎるだろ、と優也は言った。
だが結局最後は、単純な力に任せて、三振を取ってしまえばいい。
わずかに粘られたが八番と九番を三振に取り、また一番の上位に回る。
この試合三打席目の一番バッターには、潮は初球からカットボールという配球は使わない。
バッターの能力はそれぞれ違うのだから、かける労力も変えなければいけない。
ただしツーアウトからなら、一番バッターも怖くない。
(それでもあと一度は対決するんだから、安易には行けないよな)
アウトローへのボールを、合わされてレフト前へ。
ツーアウトから二人目の出塁を許してしまった。
二番相手には追い込んでから、高めのストレートを要求。
この強気なサインに、優也も全力で応える。
空振り三振に取ったストレート。
優也の最速の155km/hが出ていた。
甲子園の舞台で己の最速を出す。
珍しいことではないが、危険な兆候でもある。
限界を超えることが出来るのが甲子園だ。
だが限界というのは、単にそれまで出来ていなかったことなのか、それとも本当に肉体の限界を超えているのかが問題となる。
球速は筋力の問題だから、おそらく肉体のリミッターが壊れかけている。
この暑さの中で熱しられた肉体はより柔軟に動くのだろうが、そのスピードに胡坐をかいてはいけない。
「ということだ。気をつけろよ」
「うーす」
適当な返事をする優也の頭を、ガシガシと撫でる北村である。
「八代、山根はリミッター外れてるから、お前が調整するんだぞ」
「はい。また肩を壊されたら困りますからね」
甲子園の決勝でなら、壊れてしまっても構わない。
そういう人間もいるだろうが、優也はもちろんそうではない。
野球が出来なければ、なかなか次の進路などは決められないだろう。
そもそも既に、野球に特化した人生を送るようになっているのかもしれないが。
七回の表は白富東は、荒れ球を相手に全く手が出ず。
その裏は帝都一は三番小此木からの打順となる。
(こいつも多分プロに来るぐらいの実力はあるだろうな)
そう優也は判断するし、なんだか嫌な予感もする。
それなりに足のあるバッターでもあるので、そもそも先頭打者として出したくもない。
(右打者だからスライダーが有効に使えるか)
そう優也は思ったが、潮のサインは予想外のものである。
ここまで多用していたカットボールでもない。
また最速を記録したストレートでもない。
(カーブか)
優也が意外に思ったのだから、小此木の選択肢にも順位は低いだろう。
スライダーを最後に使うか。
それとも最後はストレートを使うか。
優也は迷っていたが、潮は迷わない。
(スライダーか)
ここで見せて、あえて見せ球として使うのか。
そう思って投げたスライダーを、小此木は踏み込んで振ってきた。
バットの先に当たった打球は、ファースト川岸の頭を越える。
ポテンと落ちたヒットにて出塁。
ジャストミートではないだけに、逆に嫌な感じがする出塁であった。
ここまでは白富東も、同じように主力のジャストミートで得点を取れていない。
今はその流れが、帝都一に行っている。
四番の打った球は、勢いこそ強かったもののショートの正面。
それが完全なイレギュラーバウンドで、捕球し切れなかったのだ。
グラブで弾いたボールを確保したが、既に小此木は二塁へ到達。
ノーアウト一二塁と、初めてのピンチらしいピンチである。
「今の強襲ヒットかよ」
マウンドの優也としては、そう愚痴りたくもなる。
判定はエラーでも良かった労に。
「重要なのはランナーが出ちゃったことだし」
潮は冷静に、タイムを取って内野を集める。
北村もまた、伝令を出した。
ここは一点を取られるまでは、おかしくない場面。
小此木がそれなりに足が速いということを考えると、重要なのはピンチの状態を持続させないということ。
五番はこの大会で、ホームランも打っている強打者。
実力的には優也がはるかに上だが、こういうところでマモノは仕事をする。
ゴロを打たせてダブルプレイ、というのが基本である。
ダブルプレイに出来なくても、三塁でランナーをアウトに出来るならばよし。
フィルダーチョイスだけは避けるべし。キャッチャーの指示と違うほうに投げれば、塁につく者がミスをしかねない。
この状況であれば、五番打者でも送りバントはありうる。
松平はそういう非情の作戦も採ってくる監督だ。
だがあまり浅く守っていると、強振された時の打球に対応できないかもしれない。
それを考えると、まずはワンナウトなのだ。
カットボールで内野ゴロ。
北村の指示と、潮の判断は一致している。
こういう時に内野の意識が一致していないと、ミスでピンチが拡大する。
だが内野陣には、そういった動揺は見えない。
優也に変な力みはないか。
ありそうであったが、ぐるぐると肩を回してそれを解消している。
(大丈夫だけど、何か微妙だな)
優也が感じているように、潮もここは何かがあると判断する。
アウトローから入るが、これは振ってこない。
最低でも進塁打の右打ちなら、今のを振ってもよさそうなのだが。
しかし次の二球目を、鋭く振ってきた。
ダウンスイングで、バットがボールに入っていく。
(ゴロ打ち!?)
五番バッターにそんなことをさせるのか。
大きく跳ねたボールを、わずかに下がったショートがキャッチ。
こちらの連携はしっかりとしている。
セカンドに送ってそこはアウト。
しかしファーストのタイミングは、アウトになるかどうか。
「四つ!」
三塁ベースを回った小此木が、ホームに突っ込んできていた。
川岸はここで、わずかに判断ミスをする。
一塁でアウトを取ることを優先してしまったのだ。
前に出てカットしても、間に合わないタイミングではあったのか。
かなり微妙であったことだけは間違いない。
ファーストでダブルプレイに取ってからホームに送球したが、小此木のスライディングは潮のミットを潜り抜けた。
帝都一、一点を返す。
泥臭いプレイである。
それに一気にツーアウトは取れたのだ。
だが失点につながった。
ワンナウトのまま一三塁であった方が、良かったのかもしれない。
ただ潮も、それに他のポジションも、ランナーの動きを見ていなかった。
一塁でもアウトに出来るかどうかだけを考えていたのだ。
帝都一は、こういった事態まで想定しているのか。
声をかけるべきかと思った潮だが、優也は落ち着いている。
「ツーアウト!」
そう、ツーアウトだ。
ノーアウト一二塁から、一点は取られたがランナーはなし。
おそらく期待値的には、ほぼ最善の行動を取っているはず。
ここで集中力が切れるということもない。
優也は内野ゴロを打たせて、スリーアウトチェンジ。
それでもベンチに戻る表情は、不機嫌なものになっていた。
ベンチの中に入ると、難しい顔をする。
「あっちの最終回、一番からになるな」
それでも考えていたのは、前向きなものであったらしい。
この七回、なんだかんだでランナー二人を出しながらも四人で終わらせた。
すると八回は七番からになるので、やはり九回の裏が最後の山になる。
「球数は今で95球だ」
北村はそう言って、視線で優也の様子を伺う。
まだまだ余裕がある。
そして八回の表は、白富東は二番の潮から。
ここで追加点が取れたら、かなり大きい。
おそらくはここにもまた、勝負の流れの見極めどころがあるのだ。
ここまで白富東も帝都一も、クリーンナップの綺麗なヒットでは得点をしていない。
高校生らしい泥臭さで、得点をしている。
(最後まで粘ったほうが勝つな)
「八代、嫌になるほど粘っていけよ」
「はい」
応えた潮は力強かったが、キャッチャーのプロテクターを外し忘れていた。
まだまだ未熟である。
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