第214話 粘り腰

 ラストバッターから始まる五回の表。

 小此木はショートに戻って、ピッチャーはこれで四人目。

 一応これまでの試合では、七回以降を投げていることが多かった。

 スピードは帝都一の投手陣の中では一番。

 ただコントロールに難がある。


 北村もその投球練習を見ていた。

 これはコントロールが悪いと言うよりは、あえて悪いままで散らせているのでは、とも思う。

(まあ深谷からの打順だしな)

 振るなのサインを送って、ツーストライクまでを待つ。


 ボール先行で、スリーボール。

 置きに来た球を打っていったが、内野を抜けずにアウト。

 このピッチャーからなら、クリーンナップで点は取れると判断する北村。

 二番手ピッチャーがあそこで崩れてしまったのが、帝都一としては誤算だったろう。

 ただここで、四番手も五番手もいるのが、帝都一の恐ろしい点だ。

 継投をしなければいけないとは言っても、他のチームならエースになりうる。

 そういう二年生や一年生のピッチャーを、ベンチに入れているのだから。


 うちは優也が崩れれば、おそらくもう勝てないであろうに。

 打順は戻って一番の岩城。

 追加点を上げて、どうにか優也を楽にしてやりたい。

 だが帝都一は、この雑なピッチャーでさえも、しっかりと戦略的に使ってくる。


 岩城も凡退し、バッターは潮。

(打つよりはむしろ、デッドボールが怖いな)

 もういっそのこと、優也には振らずにバッターボックスの奥に立っていてほしい。

 だが四番として入っている今日の優也のことを考えると、そこでヒットを打たなければ、追加点が入るかは怪しい。

 いくら今日も優也は安定していると言っても、試合の流れの中で一点ぐらいは取られるのが普通だ。

 甲子園の決勝で、1-0で決まった試合など、早々ないはずだ。

 ……あれ? 白富東がそんなことをしていたような? していなかったような?


 やや集中力を欠いていて、潮も荒れ球に手を出して内野ゴロ。

 こんなノーコンを甲子園に出すなと思うのだが、なんだかんだとまだフォアボールを出していない。

 カウントが悪くなると、途端に球威がなくなるのは確かなのだ。

 ならばどうにか、そのボールを打ってしまえばいい。




 五回の裏、優也は先頭の五番バッターにはやや粘られたものの、その後はまたカットボールで内野ゴロを打たせた。

 球数はここまで、一イニングの基準となる15球を超えたのは一度だけ。

 67球というのは間違いなく、完投のペースである。

 だが帝都一も、かなり早打ちを避けているのは確かだ。

 それでもカットボールは、内野ゴロを打たせやすいのだが。


 六回の表はまたも、先頭打者が正志となる。

 帝都一のピッチャーは荒れ球で、それは同時に甘い球を投げてくるということもあるということだ。

 初球は見ていくことが多い正志だが、潮は好球必打と言っているし、北村の意見も一致している。

 ただこの荒れ球の中には、同時にクセ球も混じっている。

 日本の野球にはバックスピン信仰がある、ともよく言われる。

 実はセイバー的にはこれも、平均値からどれだけ外れているかが重要、とよく言われるのだ。


 ムービングファストボールなどは、意図的なクセ球とすら言える。

 実際に直史などは、そんな意識で本当に小さなムービング系を使っていたものだ。

(ホームランは案外難しいのか)

 そうは思っても鋭くスイングし、ライト前に運ぶ。

 簡単そうにヒットを打つ正志は、間違いなく強打者ではあるが、同時に巧打者でもある。

 ケースバッティングの出来る、好打者であるのだ。


 そして四番の優也が打席に入る。

 正志がチャンスを作って、優也に回す。

 白富東の得点のパターンの一つだ。

 本来ならセンス的なことを言うと、三番が優也で四番が正志の方が、ケースバッティングにおいては期待値が高くなるのだ。

 だが優也が三番でも、かなり自由に打ってしまう。

 なのでこの打順の方が結果的には効率がいいと思われているのだ。


 あと一点あると、だいぶ楽になる。

 ただ速いだけなら打てる。

 そして力で、外野の前までは持っていく。

「うお!」

 そう思っていたところにデッドボール。

 エルボーガードをつけていて幸いした。やはりピッチャーに防具は必須である。

 昔はなぜかこういった防具まで認められていなかったというのだから、原始時代に生まれなくて良かったと思う優也である。

「しっかしまた、美味しいところ持っていかれるか?」

 とりあえず冷却スプレーをかけたが、特に問題なく動く。

 こんなところで怪我で試合の流れが変わっては、あまりにも面白くない。


 ノーアウト一二塁で、五番バッター川岸。

 おそらくこれが、最大のチャンスである。




 帝都一の監督松平は考える。

 作戦は成功しても失敗しても、顔に出すわけにはいかない。

 この試合の流れ自体は、かなり帝都一に不利に働いている。

 だが結果的に一点にとどまっているのが、奇跡とも言える。


 さっきは小此木を使ったが、あれは相手が八番であったから。

 五番の川岸に当てるには、小此木では難しい。

(強くなっちまいやがってよう)

 少なくとも川岸は、全く危険なバッターではなかったはずだ。

 それが国立が鍛えて、北村が運用している。

 北村のなんでも適当にやらせるというのは、意外なほどに上手くマッチしている。


 ここでピッチャー交代というのは、一応まだいることはいる。

 だがまだタイミングが早い。

 おそらくここで代えてしまうと、試合の終盤の運用は、もう松平の計算外となる。

(信じるのと、丸投げは違うんだよなあ)

 そう考える松平は、選手を信用していないわけではない。

 だが監督の領分を選手に任せるのは、違うと思っているのだ。


 もっとも何年か前に、マネージャーが監督をやって全国制覇してしまったチームがあった気がするが。

 記憶に間違いがなければ、今の対戦相手と同じユニフォームを着ていたはずだ。

(なんて変なチームなんだ!)

 松平の内心の苦悩は激しい。


 ここはもう、フォアボールでもいい。デッドボールでもいい。

 ただ腕をしっかり振って、置いて投げて打たれることだけは避けろ。

 二度目の伝令を、もうここで使ってしまう。

 終盤がかなり厳しくなりそうだ。


 そして松平のこの指示は、そこそこいい結果となった。

 低めのボールを川岸は、大きく打ち上げた。

 元々下がっていたライトのため、打球には追いつく。

 ただ二塁ランナーの、三塁への進塁は防げない。

 上手くショートがカットも出来る位置に立ち、一塁ランナーが二塁に行く隙は見せなかったが。


 これでワンナウト一三塁。

 首を傾げながら悔しそうにベンチに戻る川岸だが、一応最低限の仕事はしている。

(六番か……)

 スタメンの中で唯一の二年生で、控えのピッチャーでもある中臣。

 センス自体はいいので、下手に正統派のピッチャーなら逆に打ってくるだろう。

 さっきもシンカーではなく打ちやすい球をそのまま打って、そこから流れが変わったように思う。

 進塁打も打っているし、この試合の意外なキーマンになるのかもしれない。


 三塁ランナーの正志は、それなりに足も速い。

 内野ゴロでも、おそらく一点にはなる。

 荒れ球でどうにか、抑えられないものか。


 中臣の打った打球は、内野の頭を越えた。

 だがそこでポトリと落ちるのではなく、センターが俊足を活かして前進してくる。

 あるいはこれはキャッチされるのか、と判断が難しい。

 だがどちらにしろ、サードでのアウトを取るのは難しいか。


 ぽとりと手前で落ちて、三塁ランナーの正志は走る。

 捕球したセンターであるが、そこからホームはさすがに間に合わない。

 ただダブルプレイを避けるために、一塁の優也は二塁の近くにまでは進めていなかった。

 そこでベースについたショートに送って、センターゴロで二塁はアウト。

 しかし一塁の中臣はセーフとなり、微妙な形で追加点が入った。


 ツーアウト一塁と、続くチャンスはかなち潰したような形にはなった。

 それでもなんだかんだと、白富東は一点を追加したのだ。

(こりゃ駄目な流れか?)

 松平でも何度か、こういう流れの試合は見たことがある。

 決定的なピンチは防いでも、どうにか出来たはずの機会に相手が点を取る。

 これこそまさに、流れとも言えるもの。

 そして舞台は、夏の甲子園の決勝なのだ。


 続くバッターは内野ゴロに打ち取って、さらなるピンチなどはない。

 だがここで二点目を入れられた。

 主力が活躍していないわけではないが、脇役がその役割を果たしている。

 こういう試合は、とにかく逆転が難しいのだ。

(だがまだ、諦めるほどではないか)

 六回の裏、帝都一は下位打線からの攻撃。

 そろそろもう少し、ピッチャーへの負荷を高めていくべきだろう。

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