第210話 名残

 負けたチームが甲子園の土を持って帰る。

 その姿を何度も目に焼き付ける。

 実は優勝したチームも、記念に持って帰っていることを、知らない人は意外と多い。


 インタビューの中で、ジンはなんとも言えない。

 負けたならば負けたなりに、何かを言わなければいけない。

「私の引き出しが、まだまだ足りませんでした」

 敗北宣言であるが、本当のことだから仕方がない。

「決定的なチャンスはありませんでしたが、あちらがピッチャーを継投してくるタイミング。あのタイミングが予想外で、チャンスを拡大することが出来ませんでした」

 結局のところ選手の力の差はあったが、北村がエースを信じていたのが、あの継投につながったのだ。


 北村としては、自分が何かをやったとは思えない。

「選手たちはセンバツで優勝してますからね。それに前任の国立先生が、しっかりと鍛えていてくれた。私のしたことはせいぜい、最後まで選手を信じたことぐらいです」

 そうは言いつつも中臣や中山は信じきれず、優也を使うことになったのだが。

 北村は国立とは違う。

 だから信じられる選手を信じるしかなかったとも言える。

 優也の実績は毒島や小川よりも、大会での成績は上なのであるから。


 インタビューの時間の終わりに、勝者と敗者の視線が合った。

 北村は笑い、そしてジンも苦笑した。

 次は負けない、と言いたいが次はいつ戦えることか。

 負けたジンの方が冷静に、来年の白富東が甲子園に来るのは、難しいと認識している。

 帝都姫路は、スタメンにそこそこ二年生を入れていた。

 上手く成長すれば、来年も甲子園には出られるかもしれない。いや、上手く育成するのがジンの役目だ。

 一方の白富東は、かなりそれは難しいと思う。


 話そうと思えばいくらでも話すことはある。

 だがもう敗北した監督は、その瞬間から新しいチーム作りを考え始めているのだ。

(勝った者は、その分もやらないとな)

 勝てば勝つだけ、負けた者の魂を背負っていくような気がする。

 それは錯覚で、勝つことだけを考えればいいのだが。




 準決勝のもう一試合は、横浜学一がやや優勢に試合を展開していた。

 4-2とリードしていて、もう回は八回となっている。

 これまたプロ注目の蟷螂を、帝都一がどうやって打つか。

 しっかりとボールを引き寄せてから打って、ちゃんとそれなりにヒットが出る。

 そこからランナーを進めて点に結びつけるのだが、横浜学一の方がやはり、投手の部分でリードしている。


 白富東は宿舎で、この試合を観戦していた。

 後からのビデオではなく、同じ時間でその雰囲気を感じる。

 これが重要なことであるし、ベンチメンバーはそろってこれを見ている。


「ノーアウト一二塁で三番か」

「送ってくるかな?」

「帝都一は三番でもそういうことやってくるけど、一点じゃ足りないしな」

「この小此木、甲子園に来てからでも五割打ってるし、ここは打たせていくんじゃないかな」

「でもダブルプレイになったら、ほぼ試合終了だぞ」


 送りバントで二三塁にすれば、ワンナウトからならまず一点は取れそうだ。

 四番と五番の力からして、同点まではなんとか見える。

 それに今日の小此木は、あまり当たっていない。

 ここで送りバントか、さもなければエンドランあたりの攻撃的な戦法を、松平は取ってくるのではないか。

 見ている分にはそんなことを思うのだが、ベンチからサインが出た様子はない。


 蟷螂の使うのは、大きく変化するカーブとスライダー。

 右バッターにとっては特に、打ちにくいものである。

 その打ちにくいカーブが、斜めに入ってきたのを、小此木はフルスイングした。

 伸びたボールはレフトスタンドへ。

「うあ~」

「ここで打つか~」

「こいつ都大会でも決勝打打ってるしな」

「まあ後ろが四番と五番じゃ、勝負するしかないか」

「つーか帝都一も三番打者最強論でやってるんじゃね」

 線はまだ細いが、それでもスタンドに持っていくパワーがある。

 もしも勝ち残ってくるなら、要注意だろう。


 試合は逆転した帝都一が、流れをそのまま渡さずに、5-4で勝利した。

 関東の強豪同士の対決。

 名物監督に、この10年の主役的チーム。

 なかなか面白いカードになったと言えるだろう。




 帝都一の攻略法は、極めてシンプルである。

 エースがしっかり投げて、上位打線でしっかりと点を取る。

「問題は帝都一も序盤は粘ってくるだろうということだ」

 待球策を取って、優也のスタミナを削っていく。

 球威自体は最後まで持つと思うが、コントロールの精度はどうだろうか。


 一イニングにコントロールできる球数は、15球以内。

 それ以上はおおよそ、指先の感覚が鈍っていくという。

 優也のスライダーは、その指先感覚が肝だ。

 出来ればこの最後の夏までに、縦のスライダーも身に付ければ良かったのだが。


 今日も投げた球は、50球に満たない。

 明日一日を疲労回復にあてれば、それで充分に投げられるはずだ。

 あとは北村が注意して、リミッターを切れたピッチングをしないように見ておくしかない。


 相手は帝都一。

 現役時代も最後の春に、練習試合をしたものだ。もっともあの時は二軍が主体であったが。

 今年の春にも練習試合をしているので、おおよそは戦力も分かっている。

 ただ一年生の外野手が、ベンチに一人いる。

 都大会では代打として、決定的な役割を果たしているが。


 今年の帝都一は、圧倒的に強いというわけではない。

 絶対的なエースはおらず、それでも150km/h近くを投げてくるピッチャーが、四枚もいるが。

 攻撃面においては、継投をしてくるピッチャーをどう攻略するか。

 今日の帝都姫路も継投をしてきたが、レベルは帝都一の方がかなり高い。

 そして帝都一は、バッティングにはかなりの定評がある。

 今年は打撃のチームだと言ってもいいだろう。


 三年生にとっては、甲子園での最後の試合。

 まだこの先にもここで戦う可能性があるのは、優也と正志ぐらいだろう。

 やはり高校球児にとっては、甲子園というのは特別なのだ。

 北村の現役時代は、それこそ夢に見るしかなかったぐらいであるが。


 最後の夏、九回。

 パスボールからのサヨナラ。

 あれで負けた時、北村が思ったのはジンに対する謝罪だ。

 もっと最初から、部員全体のレベルが高ければ。

 自分がもう少し打てれば。

 あの試合で打点を上げたのは北村だけであるが、それでもと思うことはあるのだ。


 監督として甲子園に来て、センバツでは優勝できてしまった。

 これが己の力量であると勘違いすれば、これから先はひどいことになるだろう。

 今年までは下駄を履かせてもらっていた。

 本当の監督の力量は、これから磨かれる。




 呼ばれた北村は、宿舎から近い海岸へとやってきた。

「お疲れ様です」

「そっちもな」

 ジンに声をかけられて、軽く返す。


 先輩と後輩。

 今日の試合で、勝った監督と負けた監督。

 大学時代にはジンは控え捕手であることが多かったため、リーグ戦ではほとんど対戦していない。

「明日の試合、頑張ってください」

「いいのか? 同じ系列なのに」

「うちからどうにかサヨナラで勝った白富東が、帝都一を相手に圧勝してくれると、帝都姫路を鍛えた俺の評価が上がるんですよ」

 相変わらずの計算高さである。


 帝都姫路は東京で帝都一を本拠に。

 逆に帝都一は近畿で帝都姫路を本拠に。

 休みの間には、練習試合を多く組んでいた。

「秘蔵のデータでもあればいいんですけど、白富東の分析班なら、だいたいのデータは集めてるでしょうね」

「そうだな。ベンチに入っていた一年生については、ちょっとデータが少ないけど」

「大阪出身の子でしょ? 本当はうちで取りたかったんだけど、系列の上位に取られたんですよね。やっぱり東京は魅力らしくて」

 そうは言っても帝都一の野球部なら、野球ぐらいしかする暇はないだろうに。


 ただ、ジンは少しだけ、やはり練習試合のデータを持っていた。

「今日の試合でも逆転弾を打った小此木、すごく勝負強いですよ。特に相手のピッチャーが強いほど、逆に得点圏の打率は上がるんです」

「大介みたいなやるだな」

「まあ、あそこまで無茶ではないですけど」

 近畿や中国、または四国の強豪との練習試合でも、よく打っていたらしい。


 二年生でショート、そしてかなりのイケメン。

 高校野球のミーハーな女性ファンは、かなり騒いでいる。

 今はネットが発達していて、実はこの二人が会うことさえ、なんだったら変な憶測を呼びかねない。

「あの夏の、続きみたいになりますか?」

「どうだろうな。まあ、試合を見てると自分もやりたくなるけど」

「俺が関東に戻ったら、OB集めて草野球しましょうよ。その頃にはナオも勉強は終わってるだろうし」

「紅白戦か。いいなそれ。白富東のグラウンドを借りてとか。学生じゃないアマチュアなら、プロと試合しても問題ないし」

 金が取れそうな草野球になるかもしれない。


 二人はもう少しだけ、話を続けた。

 そしてキリよく、別れることになる。


 ジンの言っていた勝って欲しいというのは、本当のことだろう。

 なんだかんだ言って計算高いのは、ジンの本質だ。

 もちろんそれでも、白富東に対する愛着もある。

 多くの人々の思いが、複雑に絡み合っている。

 そのあたりが、甲子園という舞台で結実するのだ。


 決戦前夜。

 最後の夜を、北村は静かな気持ちで過ごした。

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