第209話 妖怪の弟子
ジンは北村を甘く見ていた。
いや、北村が師事した人間たちのことを甘く見ていたと言うべきか。
そして白富東のエースのことも、甘く見ていたと言っていい。
ピンチを脱したその回、優也の代わりに入っていたレフトに打順が回ってきて、白富東はそれに代打を出した。
まさか、とジンが思っている間に一点を取られたが、それはまだいい。
問題は次の白富東の守備にて、代打をベンチに引っ込めて、レフトにまたも優也を移動。
そしてアンダースローの一年生をマウンドに送ったのである。
エースの温存だ。それは分かる。
だがこうもコロコロとポジションを代えるのは、あまり誉められたことではないはずだ。
ピッチャーのモチベーションが下がってしまう可能性がある。
(それでも大丈夫なメンタルを持ってるってことか)
ジンが思っていたより白富東は、指揮官が選手たちを信じている。
それは北村の楽観的な性格からくるものなのかな、とジンはかなりの驚きを持っていた。
何度もマウンドに登ったり降りたり。
それは確実にメンタルを削る。
白富東には根性論は存在しないはずだ。
それだけ監督がエースを信頼しているのか。
これが直史だったら、とジンは考えた。
直史だったら、こんな運用をしているだろうな、と。
(ああそうか)
北村はあの夏に残したものを、やっと取りに来れたのだろう。
試合の趨勢はまだ決まっていない。
ツーアウトながら三塁までランナーを進めた帝都姫路が、内野安打を打ってランナーを帰す。
これによって先取点は取っていたが、同点に追いつかれた。
マウンドの中山はわずかに呼吸を乱しているが、投球フォームに入ろうとするとぴたりと止まる。
そこから深く沈みこみ、アンダースロー特有のボールを投げ込む。
内野ゴロを打たせてスリーアウト。
逆転は許さない。
ハイスコアになるかどうかはともかく、ロースコアゲームになるとは思っていなかった北村である。
だが実際は1-1のまま、試合は終盤に突入している。
(シンプルイズザベストかな)
帝都姫路のピッチャーは、右打者に対するアウトロー、左打者に対するインローだけを、徹底的に磨いている。
ストレートは基本はそこで、あとは変化球を使ってくる。
サウスポーが一人、そしてサイドスローに近いスリークォーターが一人。
また他にもピッチャーがいて、四人を使って試合を終わらせる。
変化球は一人に二球種で、必ず緩急差をつけるためのボールは持たせる。
基本的なピッチャーを、上手くつないで使っているのだ。
基礎的なことから、どれだけ逸脱しているか。
ピッチャーの価値はそこにある。
そして出来るだけ特徴が、一致しないピッチャーを交互に使う。
それによってあちらのバッターを、混乱させるのだ。
基礎に忠実に、だが時には大胆にセオリーを破る。
この定跡を破るときの監督の采配で、高校野球の勝負は決まる。
もちろん相手がひたすらに、王道で強かった場合は負ける。
純粋に実力差が圧倒的にあれば、どうしようもないことはあるのだ。
だが同じ高校生同士。
来年の今頃は、もうプロの舞台に立っているのかもしれない。
それでも今は、高校生同士の試合だ。
(頑張れ)
ジンは心の中で祈る。
もしも向こうから帝都一が勝ちあがって、それに勝利して優勝したら。
次の帝都一の監督は、ジンが選ばれる可能性が高い。
(そして楽しめ)
だがそういった打算とはまた別の部分で、しっかりとジンは考えている。
悔いは残るものだ。
最後の夏を最後まで勝ち続けた自分でさえ、一年の夏はいまだに夢に見る。
後悔ばかりが多い中で、それでもどうして野球をするのか。
プロを目指しているわけでもなく、高校で野球は終わりだと思っていても、それでもこの舞台に立ちたい。
罪深い存在、甲子園球場。
この祭典の場所において、今日もまた勝者と敗者が決まる。
2-1と、帝都姫路がリードした。
試合は終盤、このままどうにか失点だけは防ぎ、決勝への切符を掴み取るのか。
だが北村は焦ってはいない。
元々苦戦するかな、とは思っていたのだ。
確かに帝都姫路にはスタープレイヤーはいないが、高校野球のチームとしてはまとまっている。
白富東と違って、余力を残して試合をしていない。
確かに運もあった。
だが同じ高校生、全国から野球をするためだけに集まった選手で、白富東は構成されているわけではない。
(なんなんだろうな、ああいう学校って)
北村としては理解しづらいのだが、甲子園のブランド価値は高くなりすぎている。
それを破壊することこそが、セイバーの目的の一つであったとも思うのだが。
ジンの狙うチーム作りは、基本的に勝つためのものだ。
帝都姫路はおおよそ県内の、特待生で超強豪に行く一歩手前の選手をそろえている。
中には素質はあるが、高校時代に無理に育てたらまずいな、という選手もいるだろう。
北村などは高校野球のレベルで、三年の時期にはかなり体が出来上がっていた。
だがここからまださらに成長し、大学でようやく才能が花開く選手もいるはずなのだ。
たとえば潮なども、スカウトからは育成で取ってみたいな、という声は聞く。
だが北村は生徒の将来を考えた場合、その選択肢はない方がいいと思う。
潮にしても大学で野球をやるのはいいが、プロ志望では全くない。
優也や正志のように、野球に呪縛されてはいない。
ならば堅実な人生を送ろうというのを、邪魔するわけにはいかないだろう。
ただ、北村は同時にこうも考える。
プロに進もうと覚悟している生徒に対しては、全力でそれを応援したいと。
そのためには勝って、少しでもそのプレイを見せなければいけない。
「あと二回か」
一点差で負けていて、こちらは残り二回の攻撃。
「一イニングでも、投げておいた方がいいよな?」
「まあ、二点差になるとまずいでしょうしね」
八回の裏、白富東はランナーを出したものの、また得点には結びつかず。
北村の采配が空回りしていると言うよりは、とにかく守備が堅い。
「じゃあピッチャー交代」
そしてまたも優也がマウンドに登る。
九回の表の帝都姫路の攻撃を、優也はあっさりと封じた。
三者凡退で、最後の攻撃に望みをつなぐ。
だが望みをつなぐと言うよりは、もっとはっきりと勝負への道は見えていた。
裏の攻撃、二番の潮からの打順となる。
ヒットの数では、圧倒的に白富東が上であった。
ただエラーが帝都姫路は一つもないというのが、大きかったのだろう。
(ここは単打でいいな)
長打を打ってしまっても、一塁が空いたら次の正志が敬遠されるだけだ。
ならばコンパクトに、ボールを叩いてヒットにすればいい。
変に力むことなく、低めの球でもしっかりとミートする。
そう考えていたところに、やや浮いたボールが投げられた。
(ミート!)
スムーズにバットが出て、まさにボールをジャストミートした。
これはちょっと飛びすぎるかなと、潮は一塁に走る。
ボールの行方を見るが、まだ落ちてこない。
一塁を回ったところで、スタンドに入ったのが見えた。
手の中にいい感触は残っていた。
ホームラン自体も、初めてというわけではない。
(でも、ここで打てて良かった)
ここから追いつく自信はあったし、おそらく追いついたらそこから逆転できるとも思っていた。
だが自分のバッティングで追いつけて、とりあえず負けを消した。
ベンチに戻った潮は、ぽかぽかと手荒い歓迎を受けるのであった。
流れが決まったな、とジンは感じた。
ヒットを許し、またボールを選ばれて、何度も危機はあった。
だがそれをしっかりと、守備によって得点には結びつかせなかったのだ。
こういった帝都姫路の勝利の流れを断ち切るのには、絶対的な力がどんと置かれなければいけない。
九回の表を優也が完全に封じたのは、その手前の準備だとは思っていた。
九回の裏、この大会でもホームランを打っている、正志に回る打順ではあった。
だがそこをなんとか単打までに抑えられれば、と考えていたのだ。
甘かった。
白富東の中で、ホームランを打ったことがあるのは、正志と優也、そして川岸が目立っているが、潮もまた打っていたのだ。
一撃で野球は、流れが決まってしまうのだ。
一発逆転があるところが、面白いところであり難しいところでもある。
まだ同点だ。ここから後続を封じて、延長戦を戦えばいい。
そう考えるほどには、選手たちの気力が残っていない。
(とりあえずピッチャーは交代だな)
そう思ったジンであるが、マウンドに崩れ落ちたピッチャーは、もう立ち上がっていた。
まだ投げたいのか。浮いた球を打たれて、おそらく制球力も限界だろうに。
ここまで継投をしてきて、ピッチャーは球数の何倍も消耗してきた。
もう限界だろうに、まだ投げるのか。
そのエースナンバーは、あくまで便宜的なもの。
このチームには、エースなどいないというのに。
(それでも、最後まで投げるか)
ここを奇跡的に封じたとして、次の表に得点できるか。
それはかなり難しいところだ。
それなら逆に、ここを奇跡的に封じることが出来れば、もう一度チャンスが来るかもしれない。
オカルトめいてはいるが、何か勢いがなければ、おそらくもう勝てない。
ジンは決めた。
続投だ。
まだ投げさせるか、と北村はジンの考えを読みきれない。
(この試合は、おそらくもう決まりだろうに)
だからこそ、エースナンバーを投げさせるのか。
確かに一番多いイニングを投げているが、帝都姫路にはエースはいない。
バッターボックスの手前で、正志はこちらを見てくる。
好きに打て、と北村はサインを出す。
そしてそれは、正志にとってはありがたいものだ。
ここは決まってしまう流れだな、と感じてはいる。
だがその勢いに流されて、自分本位なバッティングをする正志ではない。
確実にゾーンに入ってきた球を、狙って打ち返す。
打球は左中間、フェンスにまで届くツーベースヒット。
決まる流れだ。
四番の優也は、つい先ほどのピッチングで、帝都姫路を封じていた。
変化球だろうとなんだろうと、もう決まってしまう空気が出来ている。
八回の裏までは、地元の勝利を願えていた観客は多かったろう。
だがもうこれは、決まってしまう流れだ。
優也のバットは、打球を一番奥のフェンスにまで届けた。
センターが打球をつかんで、必死でホームに投げてくる。
しかし正志はスライディングをすることもなく、ホームベースを踏む。
勝ち越しサヨナラ。
実力どおりと言えば実力どおりに、白富東は決勝進出を決めたのであった。
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