第208話 戦略VS戦術

 戦争は始まる前に勝っていなければいけない。

 だいたいの現代戦においては言われることだ。

 これは勝てる状況を作り上げて、あとは実際に戦うだけ、と捉えられることが多い。

 だが実際は現代戦は違う。

 どれだけ粘られても物量で押し切れる状態を作って、戦争を始めろという意味だ。

 つまり兵站の問題である。


 高校野球で言うならば、選手、監督などの首脳陣、設備、時間、サポート要員など、全てをそろえて勝てるチームを作る。

 これが本来の理想なのである。

 だが甲子園で勝つことだけに特化した人間を作るのが、学生野球として本当に正しいのか。

 常識的に考えれば、そんなはずはないと考えるだろう。

 ただそれでいいと考える人間は多いし、そのために作られて人間をある程度はフォローする。

 日本の体育会系出身の人材は、体力だけの無能がそれなりに幅を利かせてしまう。

 プロ野球などを見れば分かるが、監督に選手出身者以外はいないし、コーチもほぼいない。

 トレーナーには他の競技の出身の人間などはいるが。

 

 選手としての能力と、監督としての能力は比例しない。

 またキャプテンとしての能力と、監督としての能力も比例しない。

 チームのために戦うこと。勝利のために戦うこと。

 あるいは優勝のためなら、選手を使い潰すことすら許容する。


 ジンは分かっていて潰すことはしない。

 だが潰れるかどうか、ぎりぎりのところまでは鍛える。

 その結果、潰れてしまうかもしれない。

 しかし高校野球では、ここで潰れてしまっても、甲子園にさえ行けたらいいという人間が多すぎる。


 それでは駄目なのだ。

 壊れてしまっては試合に出られないし、勝利に貢献できない。

 だから何かを言っても無理をしてしまいそうな選手には、こう言うことにしている。

「三年の夏の甲子園の決勝なら、いくら無理をしてもいい。だがそれまでに壊れることは許さない」

 もちろん本心としては、壊さずに済むのが一番いいとは分かっている。

 だがそこまで我慢したならば、決勝でだけ無理をすればいい。

 一試合だけなら壊さない自信が、ジンにはあるのだ。




 戦力としては白富東の方が優れている。

 帝都姫路には大学で四年間頑張れば分からないが、今の時点ではドラフトの支配下登録に引っかかるような選手はいない。

 あるいは育成枠なら、という選手はいないではないが、それならば素直に大学に行っておいた方がいいというのが、ジンの価値観である。

 高卒から育成にかかって、そこから一軍にまで上ること。

 そして一軍であり続けること。

 どれだけ確率の低いことか、分からないジンではない。


 それならば大学で限界までやってみて、それで支配下登録に引っかかるかどうかを試した方がいい。

 大学にしてもどこに進学するかは、重要な問題になってくるが。

 人は帝都大の出身で、帝都大系列の帝都姫路の監督をしているが、帝都大に進むことが絶対にいいとは思っていない。

 プロを目指すならむしろ、東都か首都のリーグの方がいいか、あるいは地方の大学のリーグの方がいいとさえ考えている。


 六大学の中でも、早稲谷は直史と樋口が前近代的な価値観を破壊したが、他の大学では今でも、昭和どころか明治の軍隊のノリでいっているところは多い。

 そうやって強くなる、と考えている者もいるのかもしれないが、ジンとしてはそれで理不尽に耐えられるようにはなっても、能力や技術がしっかりと伸びるとは思えない。

 地方の大学の中には学生を集めるため、野球部を強くさせようというところもある。

 そういったところは科学的な、合理的な部分を取り入れて、軍隊では通じないと分かってきている。


 極論すればアマチュア野球というのは本来、上手くなって試合に勝つということ以外、考える必要がないのだ。

 それが甲子園信仰があったり、大学野球の伝統などがあったりして、野球以外の部分で選手を潰していく。

 ジンとしてはそれが許せない。

 そのために東の横綱級である、帝都一の監督になる必要がある。

 白富東の、セイバーのやり方で、甲子園を制するのだ。




(そうは言っても難しいかな)

 甲子園でも、夏の甲子園というのは、計算外のことが起こる。

 あまりの暑さにリミッターを外してしまった選手や観客が、異次元の物理法則の空間を作り出す。

 その勢いを上手く利用できるかどうか。

 それが甲子園で勝つということだ。


 白富東に勝つために必要なのは、とにかうこちらから動くということ。

 臨機応変に対応していかないと、相手の打線は防げないし、こちらの打線で得点することも難しい。

 ただ白富東は決勝で全力で戦うために、エースを温存した。

 これは帝都姫路にとって、とんでもないアドバンテージである。


 自分でもそうしただろうな、とジンは思う。

 戦力を温存したまま敗北することは、間違いなく指揮官にのみ責任のある敗北である。

 だからと言うべきかどうかは分からないが、無責任で胆力のない指揮官は、とにかく目の前の試合に全力を尽くすことだけを考える。

 エースで負ければ仕方がない。

 悔いなく精一杯戦った。

 エースを使って負けたなら、そういう言い訳がきくからだ。


 本当に責任感のある指揮官なら、全ての敗北の原因は、采配を取ったもの以外にはないと答えるだろう。

 セイバーもかつてはそう言った。

 勝つのは選手が限界を超えて頑張ってくれる場合もあるが、負けるのは結局勝てる状況を作り出せなかった指揮官の責任だ。

 エースが打たれたり、打線が一点も取れなかったことも含めて、全ては指揮官の責任なのだ。

 このあたりを理解しないバカが、いまだに野球界にはいる。

 さっさと死に絶えろ、とさえジンは思うのだが。




 白富東の二番手ピッチャーは、帝都姫路のエースとほぼ同程度の能力だ。

 エースを出してきたなら、勝率は10%もなかっただろう。

 だがこのピッチャーを出したことで、感覚的に30%ほどにまで上がっていると思う。


 北村は監督として夏の甲子園に来るのは初めてだが、去年はエースの故障で地方大会の決勝で負けたのを見ている。

 故障してしまえばどれだけ優れた戦力であっても、つかえないのだ。

 燃料がなければ近代兵器の戦車でも、馬に乗った中世の兵に負ける。

 環境を整えるという観点から、ジンは帝都姫路を鍛えた。


 白富東のここのところの動向も、母校だけあってある程度は知っている。

 そういった細かい部分の情報まで含めて、ジンは相手の戦力を分析しているのだ。

 そしてどれだけ分析しても、どこかで運がなければ、試合には勝てないと思っていた。


 運の一つは、あの雨天順延だ。

 あれによって休養日が潰れて、白富東はエースを休ませることになった。

 帝都姫路は常に継投策のため、そういった配慮はしなくていいというか、することが出来ない。

 そして今、ジンの目の前で、もう一つの幸運が働く。


 悪送球からのエラーで出塁したランナー。

 ジンはすかさず、同じエラーをしたポジションに、送りバントを指示する。

 ここでちゃんとプレイを出来る程度には、しっかりと鍛えているはずだ。

 だが普段はサードに入っている中臣が先発していることで、今日のスタメンサードは控えの選手。

 一度起こしてしまったエラーが、もう一度繰り返される可能性はある。


 悪送球が続いた。

 だが今度はワンバンになりはしたが、どうにかファーストは捕球する。

 もっともそれでも、俊足のランナーは一塁でセーフになった。

(さて、これでどうするかな?)

 ノーアウト一二塁である。

 またサードに打ったら、エラーをしてもおかしくはない。

 ベンチから乗り出すように試合を見ている北村は、キャッチャーの方をちらりと見る。


 ジンは考える。

 中盤まで両者無失点できてしまったが、打線の結果は白富東の方がいい。

 どうしてこれで点が入っていないのかと、不思議に思うぐらいだろう。

 だが北村の采配が、ミスをしているというわけでもないのだ。

 ただ打球が上手く、野手のいないところに飛んでいかない。

 このあたりがまさに、甲子園の怖いところなのだが。


 


 北村の采配は明確であった。

 レフトの優也をピッチャーに、ピッチャーの中臣をサードに。

 そしてサードをベンチに下げる。


 サードを交代させたほうがいいな、とはジンも思ったものだ。

 だが単に交代させたのでは、その心に傷が残る。

 その程度で傷つくなど、たるんでいると思う人間もいるのかもしれないが。


 エースをマウンドに送ったことで、自然とサードを交代させた。

 そして火消しを期待する。

(これで、大丈夫かな)

 マウンドの上の優也はふてぶてしい。

 ノーアウト一二塁のピンチを、圧巻のピッチングで切り抜ける。

 ここからなら犠打で一点ぐらいは、と思っていた帝都姫路の打線は沈黙する。

 内野フライでまずアウトを取り、そこから三振、最後は内野ゴロ。

 完全にエースのピッチングであった。


 ベンチに戻ってきた選手たちに、ジンは声をかける。

「やっとエースを引きずり出したな」

 先制してからエースを引き出すという方が、理想的な展開だったのだが。


 ランナーがいる状態から投げるのは、高校生にはなかなか難しい。

 だがこのエースに、北村は信頼を置いて交代させたのだ。

 そしてしっかり、ピンチを切る。

(キャプテン、でもそれでいいんですか?)

 心の中でジンは呟くが、試合は膠着しつつも、大きな動きを見せてきていく。

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