第205話 苦投

 夏の甲子園が人気があるのは、やはり一番残酷なショーだからであろう。

 何が残酷かと言えば、当然ながらピッチャーの耐久力を削ること。

 青春のきらめきなど、また精神力の勝負などと美化しているが、青少年が苦しみながら投げているのを見て楽しむのは、明らかな精神異常者である。

(まあそれを采配している俺が、一番サドなんだろうけど)

 北村はそう思いながら、暑そうにしながらも余裕が見える、優也の状態に安心する。

「クソ暑ちーんだよ。さっさと点取って終わらせようぜ」

 優也はどっかとベンチに座り、タオルで扇がれながら水分を補給する。

 向こうのベンチを見るに、宮路は汗を拭いてはいるが、無表情である。


 苦しそうと言うよりは、単に暑いのが不快な優也。

 対して何も浮かべていない宮路。

(本当に疲れてるのはどっちかね)

 優也には暑がる余裕がある。

 宮路はそれすら見せないほどに余裕がない。

 北村にとっては、そう捉えられるのだ。


「そろそろ行けるかな?」

「まだでしょう。もっと苛めないと」

 ごく普通の表情で、サラッとひどいことを言う潮。

 だがこれは勝負なのだから、それぐらいの非情さは当然ながら必要だ。

 たくましくなったものだと思うべきなのか、それとも人が悪くなったと思うべきなのか。

 少なくとも昔よりは、タフにはなっている。


 うちのキャプテンはえげつないなと、ベンチメンバーさえ引いているが、潮としては勝つためにやるべきことをやるだけだ。

 それが反則ならば問題であるが、ルールの範囲でしかも相手に怪我をさせるようなプレイでもない。

 勝手に投げて潰れるならばさすがに、それはこちらの責任ではない。

 五回までにもう、球数で15球も差が出ている。

 これが戦術というものだ。


 ピッチャーの本能を、ある程度我慢させる。

 白富東はそれに成功しているのだ。

 その本能とは全力投球である。


 目の前の試合ではなく、最後の頂点を目指すあたり、やはり白富東には余裕があると言える。

 ひたすら全力プレイというのは、単なる思考停止である。

 勝敗のあるものならば、勝利を目指すために考えることこそ、若者がなすべきことなのだ。




 仙台育成はここまで、ヒット二本を打っている。

 対して白富東は、ヒット二本にフォアボール二つ。

 ランナーに出るにしても、体力の削りあいであるとフォアボールは怖い。

 単純に球数制限に引っかかるという以上に、肩や肘の故障の危険が増すのだ。


 六回の表は、淡々と相手のピッチャーを苦しめる二番の潮から。

 そろそろ試合が動いてもおかしくはない。

(ここまで二打席、かなり粘ってきてるから、そろそろ思考力も落ちてるだろうし)

 人間は自分が楽な方を期待してしまう。


 甘く入ってきた初球を、見逃さずにセンター返し。

 これでまた宮路は、楽に投げられる状況が少なくなる。

(まあどうせなら余裕がある方が、勝ち上がった方がいいでしょ)

 冷徹に冷酷に考える。

 本人は全く自覚はないが、潮はサドであった。


 フルスイングではなくあえてコンパクトに打ったのは、正志の勝負が避けられる可能性を下げるため。

 盗塁するつもりは全くないが、リードは出来るだけ大きくする。

 ランナーとしてプレッシャーをかけられる中、どうやって最強のバッターに対していくか。

 潮はこれを興味深く見つめている。




 正志に対しては、カーブでカウントを整えたい宮路であった。

 白富東が球数を投げさせようとしているのは、もう仙台育成も分かっている。

 エースを削るというのは、悪いことではない。

 ピッチャーを守るためならば、高校野球ぐらいはファール五つでアウトぐらいのルールにしてもいいのかもしれないが。

 それだとバッターがあまりにも不利になりすぎる。


 その早いカウントのカーブを、正志は狙った。

 打球はレフト前で、潮は二塁に進むまで。

 ノーアウトながら一二塁と、チャンスを広げる。

 そしてバッターは、四番ピッチャー優也である。


 ピッチャーとしての評価は、それほど差がないと言われる優也と宮路。

 だが優也は、甲子園優勝投手だ。

 チーム力も全体的に見れば、それほどの差はない。

 もっとも仙台育成には、正志ほどの好打者はいないが。


 エース対決。

 言葉の意味とは、本来は違う。

 だがお互いが、意識していることは間違いない。


 この対決に北村は、アドバイスをしてある。

 カウントを稼ぎに来るのはおそらくカーブである。

 そして追い込んでからは、ストレートは投げるだろう。

 どちらを狙ってもいいが、内野ゴロだけは避けろ。

 右方向に打てれば、それでチャンス拡大は出来るだろう。


 そう言われて優也は、あっさりとまずカーブを狙うことを決めた。

 追い込まれたらストレートを打てばいい。

 珍しくもそう、単純に決めたのだ。


 その初球、カーブ。

 低めに外れたが、狙った球なので打っていった。

 優也の肉体のバネは、本来は正志よりも上である。

 だからバッティングでも、上手く打てばちゃんと長打になる。


 フェンス直撃の打球に、ランナーはスタートを切っていた。

 優也はスタンディングダブルだが、ランナー二人はホームへ帰還。

 ここまで苦しめてきたのが、一気に表に出た感触。

 試合は大きく動いたのであった。

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