第202話 点取りゲーム

 難しい試合になると、北村は言っていた。

 打席の中で正志は、それを投手運用に関するものかと考える。

 実質雨で一日が潰れたようなものなので、準々決勝と準決勝が連戦となる。

 優也は確かにいいピッチャーだとは思うが、スタミナ抜群のパワーピッチャーではないと、正志も思う。

 キレで勝負するタイプで、そのキレが鈍れば打たれる。

 もっとも優也にはまだ、限界の先があるようにも思えるが。


 北村が頂点を狙っているのは、正志にも分かる。

 頂点を狙っているからこそ、優也を温存しているのだ。

 目の前の試合に全力を尽くし、エースを投げさせる。

 それは昭和の野球であり、球数制限が存在する現在では、普通にエースだけに投げさせるのは無理である。


 球数制限が出来ることで、エースが投げないと相手に失礼だの、全力プレイではないだの、訳の分からない理屈はなくなった。

 それに上杉が、ある程度余裕を見た上で投げたのに、延長で負けたことがいい教訓になった。

 優也に無理をさせないことが、最後まで戦うための必須条件。

 ならばここでバットで援護する。


 正志が白富東の主砲であることは、誰も疑ってはいない。

 バッティングセンスだけなら優也も優れているし、川岸が長打を打つようになってきた。

 だが安定感に加えて爆発力まで持っているのは、やはり正志がナンバーワンなのである。


 この打席でも、ちゃんと分かっていた。

 変化球は追い込まれるまで捨てて、あとはストレートの甘い球を狙う。

 ほぼど真ん中に入ってきた球を、完全に振りぬいた。


 打球はレフトスタンドに飛び込み、歓声が上がる。

 ブラスバンドが派手派手しく鳴り響き、桜島の方からも拍手が送られる。

(色々と無茶苦茶な学校だけど、ああいうのだけはいいよな)

 白富東としては、打たれたエースに追い討ちをかけるような感じがして、絶対に出来ないが。

 桜島は打たれたピッチャーも、全く堪えていないようであった。




 白富東のバッターの歴史を見ると、さすがに化け物すぎる大介は別としても、プロに多くのバッターを輩出している。

 もちろんピッチャーも多いのだが、大介がとにかく派手である。

 その後もアレク、悟、悠木と打率と長打を兼ね備えたバッターがいる。

 悠木はちょっとクセがあるが。


 正志もその中に並ぶのであろう。

 甲子園でのホームランは、これで通算八本。

 去年の夏は来れていないことを考えれば、驚異的な数字だ。

 もちろん一年の夏に来ていない大介が、30本以上打っているという事実は忘れてはいけないが。


 桜島との試合で、二年の夏に大介は大きな記録を作った。

 その後も打ち続けて、もう誰が何をしようと超えられないような記録を打ち立てた。

 最後の夏などは甲子園での打率が七割を軽く超えていたのだ。

 それに比べれば、誰であっても普通だ。


 正志のホームランは、殴り合いの合図であった。

 しかし白富東は、ちゃんとその覚悟もしている。

 浅井は基本的に、カーブだけを投げればいい。

 遅いカーブが深い角度で入ってくれば、それを長打にするのは難しい。 

 フライボール革命でカーブの地位が復権したのと、同じような感じだ。

 なにしろ桜島は、完全にホームラン狙いのバッティングしかしないのだから。


 それでもバットをフルスイングしていけば、強烈な打球が飛ぶことはある。

 だがホームランにならないような角度の変化球を投げて、そして内野は二遊間を中心に強い。

 ぽろぽろと失点はしていくが、白富東も打線が援護する。

 浅井の優れた資質が、ここで輝く。




 浅井が白富東のピッチャー連中の中で、一番優れていること。

 それは打たれても、打たれて当然と思えることだ。

 これが下手にプライドが高いピッチャーだと、自分でも気づかないうちに逃げていく。

 優也ぐらいに覚悟の決まったピッチャーであれば、それと正面から勝負できるのだろうが。


 あっぷあっぷになりながら、浅井は好投を続けた。

 打たれて当然のカーブ。そう、スピードがないため空振りは取りにくい。

 だが基本的にスピードボールに強い桜島の打線だと、それを逆に打ちあぐねてしまう。

 落ちてくるカーブ。

 浅井の間違いのない武器である。


 北村としては逆に、継投のタイミングをつかみにくくなった。

 五回を終えて5-2と、殴り合いに勝っている。

 そもそも桜島のバッターは、手ごたえのなさを感じているかもしれないが。


 継投をするはずであった。

 中山にはその覚悟をしてもらっているし、北村もそのつもりでいる。

 実際にこの五回でグラウンド整備が入り、桜島も何か対策を立ててくるかもしれない。

 ならばやはり、ここで継投をするべきなのか。


 北村は考える。

 なにしろ桜島の打線は、これまでに経験した中で一番破壊力が高い。

 優也をもってしても、特にクリーンナップは簡単には封じられない。

 それでも試合の終盤になれば、クローザー的に使うつもりであったのだが。


 あの雨での日程変更が、地味に痛いのだ。

 準々決勝と準決勝の間に、一日の休養もない。

 ピッチャーはおそらく、ここで連投になる。

 どちらかの試合を、優也以外の三人で勝ちたい。

 だがそうそう都合よくもいかないと思う。


 決めた。

「逆転されるまでは浅井で行くぞ」

 ひえ、と浅井は喉から変な声を出す。

 だがそんな臆病な浅井だからこそ、上手く桜島のバッターをいなすことが出来ているのだろう。




 野球は点取りゲーム。

 その桜島の理念に変更はない。

 だがピッチャー軽視ではあっても、ピッチャーを酷使はしないというだけで、充分に偉いと思う。

 変化球を投げられるピッチャーを何人も作り、適当に入れ替えて使う。

 それでもう何度も甲子園に出ているのだ。


 バッティング関しては、ひたすら強く振ることを心がける。

 確かに大振りして三振の嵐もまずいのだろうが、それでもフルスイングが相手に強烈な印象を残す。

 精神的な圧力もかけて、あちらのピッチャーを崩していく。

 それが桜島の野球であったのだ。


 超高校級のピッチャーや、継投で上手く逃げられることはある。

 しかし白富東は、最初からピッチャーは逃げ腰だ。

 だがそれでもボールはゾーンに入れてくる。

 逃げながら投げている。

 そのピッチャーを打ち崩せない。


 点は入るのだ。

 だが失点しても、構わずに投げてくるピッチャー。

 打たせて取るのではなく、打たれて取る。

 フィールドの中にボールが飛んでも、そうそうヒットにはならない。

 そんな確率論で、まるで投げているように思える。


 他にも一人、一年のアンダースローがいるのは知っていた。

 だがそちらにつなぐことなく、ずっと投げてくる。

 逃げ腰になったピッチャーを打ち砕くのが、桜島の戦術。

 しかし今はこのピッチャー相手に、苛立って力みが入っている。


 殴り合いにはなっている。

 だが向こうはしっかりと殴っているのに対し、こちらの攻撃はまるで、こんにゃくを殴っているかのようだ。

 得点が入らないわけではないのだが、あくまでも偶然ヒットが続いて入る。

 そんな感覚であるため、打線の爆発がない。


 見事な軟投派投手だ。

 そしてそれを信じて投げさせる監督。

 普通ならば優也という絶対的なピッチャーがいるのだから、試合の中盤で代えてもおかしくない。

 だが徹底してここは、このピッチャーに任せるのか。

 そう思っていたら、白富東のブルペンでは、中山が投球練習を始めたが。




 やっと代えてもらえるのか。

 ほっとした浅井はまた、のびのびと投げることが出来た。

 カーブにスピンがしっかりとかかり、いい角度で落ちていく。

 それを桜島は打ちあぐねる。

 と言っても既に、六点も取られているのだが。


 白富東は八点を取っている。

 つまり8-6でまだリードしている。

 そしてイニングは進み、もう八回が終わってしまう。

「甲子園で完投したら、一生物の思い出になるぞ」

 北村がさわやかにひどいことを言ってきて、またも浅井はひえ、と声を漏らすのだが。


 ただ味方からも呆れられながらも、浅井はちゃんとマウンドに立ち続けた。

 九回の表には七点目を取られたが、ようやくツーアウト。

 勝利が見えてきたところに、これまで打たれても全くマウンドに来なかった潮がやってくる。

「あと一人だから、全力で。だけど適当にはならないように」

 もちろん浅井にはそんな余裕はないのだ。


 野球とは点取りゲーム。

 それを本当に理解していたのは、むしろ白富東なのだろう。

 単純に強いピッチャーを使うのではなく、打ちにくいピッチャーを使う。

 桜島が一般的な高校野球のように、スモールベースボールをしてきたら、浅井では序盤で捕まっていただろう。

 だが桜島は最後まで、フルスイングを続けてきていた。


 最後のバッターの打球は、大きく左中間に飛んだ。

 しかし打球は高く上がりすぎていて、充分に外野が間に合う。

 ここでこぼれたらまた一つのドラマが生まれてしまうのだが、追いついた岩城は無事にキャッチ。

 そしてマウンドで浅井は崩れ落ちた。


 笑みを浮かべた内野陣が、それを両脇から支えて立たせる。

 一生物の思い出を、浅井は手に入れたのであった。

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