九章 聖域
第193話 出発
春のセンバツと夏の選手権では、同じ甲子園でも重要度が違う。
誰にとってかと言えば、誰にとってもだ。
単純に選手にとっては、三年であればほぼ最後の大会となる。
応援する方にとってみても、夏休みに盆が重なり応援しやすい。
観客の動員も、夏の方が多い。
いささか微妙な選定もある春のセンバツは、選考の基準となる秋の大会から時間が空いているということもある。
夏は地方の大会が、そのまますぐに甲子園につながっている。
それだけ夏は過酷でもある。
そういった極限状態の人間が、逆に魅力的に思えてしまう。
高校球児の犠牲の上に、高校野球は成り立っている。
なので北村としては、何よりもまず選手たちを生徒として守る。
チームの戦力ではなく、それ以前に教え子なのだ。
優也が決勝で派手なことをしてしまったため、野球部を利用とする者や、野球部に接近する者は多い。
また北村相手にも、袖の下などを渡そうとしてくる者がいる。
北村は部員たちには、野球のことだけに集中させるため、とにかく無駄な接触を減らすことにした。
「また難儀なことを。ボロカスに書かれるぞ」
「その時のために録音をして、SNSなどで流す準備はしっかりしてます」
「……時代が変わってるな」
鉄也は相談相手としては、ほぼ例外的に北村との接触が多い。
プロ野球球団のスカウトとしてだけではなく、後輩の父親として。
鉄也から見ると、全く高校野球の常識を、知らずに無視したセイバーと、知っていて無視しようとする北村は、後者の方が大変そうに見える。
一番マスコミなどでも分かりやすくやりやすかったのは、国立であったろう。
国立の常識はあくまでも、過去の延長にある。
だが北村は、常識的な高校野球は経験せずに、常識的な大学野球が崩壊する様を見てきた。
この動きはあるいは、今後の北村にとっては不利になるかもしれない。
それでもいつかは誰かが、やっていかなければいけないことなのだ。
伝統だの期待だのに囚われることのない高校野球。
既にセイバーが、かなりの部分を破壊してくれていた。
北村はかなり複雑な野球歴を持っているだけに、歪さに気づく。
なんで野球関係者は、自分たちを特別だと思っているのかな、と。
大学においても野球だけで、そのまま伝手を使って就職ということがよくあった。
ただ大学野球における練習時間や拘束時間は、はっきり言って無駄である。
あれは従順な奴隷を作り出すシステムだ。
まあ直史と樋口が全てを破壊していったが。
あの二人がいなくなった後も、武史や淳が色々とやらかして、もう元には戻りようがないらしい。
高校野球にしても、データと効率を重視したチームが、東京の公立連合や神奈川、また埼玉でも結果を残しつつある。
水戸学舎などは設立からかなり早く甲子園出場を果たしたし、西の方でも明倫館や瑞雲は、根性論や精神論を廃していると聞く。
もっとも桜島実業などは、昔ながらの野球部で上手くいっている。
伝統の早大付属や帝都一も、変化はどんどんと受け入れていっている。
野球に限ったことではなく、時代に遅れない者が勝つのだ。
勝利のためにはこの流れを加速していく必要がある。
ただ旧来の甲子園ファンの、高校球児が灼熱の中で苦しむ姿を見たいというタイプには、白富東は受けないだろうな、とは北村は思っている。
北村は一人で抱え込んでいるが、それでも身内に理解を示してくれる者はいる。
たとえばキャプテンの潮は、現在の状況をかなり正確に理解している。
大学は早稲谷に行こうとしているが、特待生などではなく学力で進学出来るようだ。
まあその方が、もし野球部に失望しても、すぐに辞めることが出来ていいだろう。
白富東から選手が来ると、おそらく胃が痛くなるのだろうな、と北村は辺見のことを思い出す。
ただ潮は直史や樋口のように無茶苦茶ではないので、むしろ胃薬の役割を果たしてくれるだろう。
そろそろ監督が交代になってもおかしくない気もするが。
無用な催しは一切断り、あるいは傲慢とさえ見られたかもしれない北村だが、それだけに選手にはしっかりと調整をさせた。
優也は決勝で完投したものの、準決勝までにしっかりと休めている。
本人もランニングやキャッチボールなど、おかしな状態はないと申告している。
ピッチャーは無理をする傾向があるので潮にも確認したが、どうやら大丈夫らしい。
去年は残念であったが、今年は選手に欠けもない。
万全の状態で、甲子園に臨むことが出来る。
そしてその甲子園で対戦する相手を確認していけば、大阪光陰などはしっかりと勝ちあがっている。
近隣では刷新や帝都一、また近畿では大阪光陰。
そして兵庫県代表は帝都姫路。
ジンが監督をしていることを、もちろん北村は知っている。
何度かは電話などで通信をしたりもしたのだ。
しかし今年の戦力では、かなり微妙だとも言っていた。
それでもしっかり甲子園に出てくるあたり、さすがはジンといったところか。
多くのチームは甲子園常連で、戦力評価もはっきりしている。
白富東は雑誌の評価で、大阪光陰と並んでS評価。
やはり優也のパーフェクトが大きかったらしい。
他にピッチャーとしては、やはり小川と毒島がS評価されていることがほとんどだ。
準備は出来た。
出発の朝が来る。
まだ国体があるかもしれないよ、というツッコミは置いておく。
おそらくこれが、最後の出発。
甲子園に向かって、白富東の選手たちは旅立つのであった。
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