第192話 夏を終わらせる
七回の表は上総総合三巡目の攻撃。
地方大会を見に来ていた各球団のスカウトは、バックネット裏で騒ぎ出す。
「パーフェクト、いけるんじゃないか?」
「この回だろ。三巡目の一番打者で、先制点を取ってもらったばかりだし」
「そうだな。この回次第だな」
分かったようなことを言っているが、誰だって分かっている当たり前のことである。
この回はどうかなと北村は思っていたが、優也のコントロールに乱れはない。
単に制球だけではなく、そのメンタルのブレなども感じられない。
ただ浅井を呼んで、その耳元で囁いた。
「念のため、いきなり登板する覚悟だけはしとけよ」
肩は作らなくていい。浅井はそもそもそういうタイプではない。
だがまさかの時のために、覚悟だけはさせておく。
しかし優也は先頭打者の初球にカーブから入ると、スライダーとカットボールでゴロを打たせる。
やや強い当たりではあったが、セカンドゴロでワンナウト。
上手くいってしまうと、今の打席が彼の、高校最後の打席になったわけだ。
(ヒリヒリするな)
綱渡りのような感覚があるが、それ以上に充実している。
命のやり取りに近いのではないかとも思う。もちろんそんなことを実際にやったことはないが。
(少なくとも単なる殴り合いよりは、よっぽど刺激的だ)
そう思いながら、集中力を途切れさせずに投げる。
スライダーを空振りさせて三振。
これでまた、勝利に近づく。
三番打者は凡フライでアウト。
最後の打席となるなら、これはとてもつらい記憶になるのかもしれない。
だがそこで手心を加えるというのも、おかしな話なのだ。
七回の表に試合が動かなかったことによって、鶴橋はこの試合をほぼ諦めた。
もちろん選手には見せないが、目標を勝利から、パーフェクト阻止にするべきかな、と考えた。
二番と三番に、球数を投げさせることには成功していた。
しかし優也は動じずに、三者凡退で切って捨てた。
「やるなあ」
野太い笑みと共に、言葉を発する。
単純に一人の高校野球監督として、優也のピッチングに感嘆している。
「監督、それよりもどうにかランナーを出さないと」
「まあ、今のイニングでそこそこ投げさせたからなあ」
初回の先制攻撃が通用しなければ、終盤勝負だとは思っていた。
だがまさかここまでの投球をされるとは。
点差は一点で、ロースコアゲームに持ち込むのには成功していた。
事故のようなホームランは仕方がないとして、それ以外はしっかりと封じているのだ。
(流れはまだ定まっていない)
鶴橋としてはそう思っていたが、彼もまた野球の全てに精通しているわけではない。
七回の裏、先頭打者をフォアボールで出してしまう。
チリチリと首のあたりが嫌な感じだが、まだ終わらない。
続くバッターがヒットを打って、ノーアウト一二塁となる。
(白富東も下位打線にはそれほどの打撃力はないんだが)
そう思っていたら、向こうのベンチには動きは見えなかったのに送りバント。
ワンナウト二三塁となって、先頭の岩城に回る。
岩城は長打力はないが、出塁率は高く足の速い一番。
鶴橋は腹を決めた。
内野ゴロを打たれても、一点は入る。
ならばもう埋めてしまおう。
岩城を敬遠し、二番の潮と勝負。
確かに今日はまだ快音は聞かれないが、打率は四割あるバッターだ。
ワンナウト満塁。
おそらく確率だけを見れば、岩城と対決しておいた方が、ずっと失点の可能性は低かっただろう。
だがこの試合で上総総合側に勢いが来ないのは、もっと大きな衝撃がないからだ。
ここのピンチをなんとか乗り越えて、それでもまだ流れが変わらなかったら。
それはもう本当に、どうしようもないことなのだ。
狙われているな、と潮は思った。
上総総合はここでダブルプレイを取って、逆転への流れを作りたい。
一番いいのは自分がここで、確実に点を取ってしまうこと。
スクイズはだが、満塁なのでしにくい。
(内野フライと三振はまだマシ。内野ゴロが一番危険)
そして比較的いいのが、外野フライだ。
タッチアップで一点。
フライを打っていけばいい。そして向こうのピッチャーは、ゴロを打たせる以外の選択肢はほぼない。
(低目を)
そう考えていたところに、投げられたのはカットボールか。
やや打席の前で待っていた潮は、それを振りぬいた。
打球は高く遠く、センターの頭を越す。
そしてランナーは一斉にスタート。
次々とホームベースを踏んでいく。
賭けに負けた。ただそれだけだ。
だが潮は純粋に、読み勝ったのだ。
このイニングに白富東は一気に四得点。
試合の趨勢は決まった。
決着はついた。
だがそれでも九回の裏まであるのが野球である。
地方大会はコールドがあるが、それも決勝にはない。
もういくらでも点が入ってもおかしくなかったが、それでも八回の裏に、白富東は無得点で終わる。
北村はこれで決まった、とは思う。
だが憂慮すべき点は一つある。
優也のパーフェクトが続いてしまっている。
これが普通の試合なら、控えの投手を試すか、という考えも湧いただろう。
だがパーフェクトをやっているエースを降ろすことは出来ない。
やってしまえとけしかけたのは自分だ。
だから潮に、注意するようにと言うぐらいしかない。
ほぼ決まった試合で、集中力を欠けば怪我の可能性もある。
だが優也に浮ついたところはない。
ただ今の白富東はかつての早稲谷のように、だれかさんがパーフェクトをあっさりするのに慣れているわけではない。
守備陣がどう動けるか、それが問題だ。
七番が空振り三振したが、潮がスライダーを後ろに逸らしかけた。
さすがに大記録の達成に、緊張しているのだろう。
八番はファーストへのファールフライで、これは簡単にキャッチアウト。
ラストバッターには、思い出代打が出てくる。
鶴橋は言った。
三回、おもいっきりスイングしてこいと。
バッターボックスに入るその代打の振りは、鋭いものだ。
単なる思い出代打ではなく、純粋に打てるバッターを出してきた。
優也はそれに対して、真っ向勝負する。
潮のサインに首を振り、ストレートでの勝負を。
そんな危険なことをしなくても、スライダーを外に投げたらそれで空振りしてくれる。
そう思っていても、優也がそれを拒否するのだ。
パーフェクトの達成より、それが大事なことなのか。
大事なのだろうな、と潮は諦める。
(内角から)
そのサインに頷いた優也のストレートは、バットに当たった。
しかしサードのファールグラウンドに転がり、まずはストライクカウント一つ。
そしてアウトローにびたりと決まったストレートには、手が出なかった。
あと一球。
ここでもまだ、優也はストレート勝負を要求する。
潮はため息をつきながら、この日一番のボールを求める。
投げられた球に、バッターはフルスイング。
しかし投げられた球は、そのバットの上を通過した。
高めのボール球で、ストライクバッターアウト。
パーフェクトゲームが達成されて、そして白富東の甲子園出場が決定した。
また派手なことを、と各球団のスカウトは難しい顔をしただろう。
優也は現時点でも既に、ドラフトの一位指名候補である。
だが決勝でパーフェクトなどをしてしまったら、それだけで話題になる。
甲子園での結果次第では、競合は数球団出てもおかしくない。
スペックから言うならば、大学志望の小川を除けば、毒島が将来性が高い。
だがこれだけのピッチングを見せられれば、即戦力として期待されてもおかしくはない。
「参ったもんだ」
地元千葉の決勝を見に来ていた鉄也は、困ったような笑みを浮かべた。
試合の後に、白富東には、上総総合からの千羽鶴が託された。
「こういうの、うちはやらないんですか?」
「やらないなあ。俺たちの代の頃は、そんなことをする人数はいなかったし。それにそんなことをする暇があるなら、他にもっと役に立つことをするべきだし」
北村はそんなことを言ったが、メンタル的にはこういったものが、後押しをしてくれる場面はあるのかもしれない。
だが白富東は、そんなものは必要ないほどの強くなった。
敗れていった者たちの想いなど、背負う必要はない。
単純に強い者が勝ち、弱い者が負けた。
それでいい。それに色々と、難癖をつける方が間違っている。
ともあれ、これで決まった。
去年は届かなかった甲子園。
夏の大舞台に、白富東は出場することになる。
第八章 了
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