第191話 一球入魂

 グラウンド整備が終わり、試合が再開される。

 ここまで相手をパーフェクトに抑えている優也だが、変な期待はしていない。

 浅めのフライであるが、外野にまでは飛ばされている。

 それだけストレートは走っているということでもあるが。


 潮のリードはこの三年の夏にきて、優也といい感じで会話が出来るようになっていた。

 相手のデータと試合の動静から、相手もどうやって打ってくるか。

 基本的には一致することが多いが、全てが合いすぎるというわけでもない。

 互いの認識があって、そこから回答を導き出していくのだ。

 投げるリリースの瞬間、相手バッターがタイミングが合っていることに気づくこともある。

 そういったときに、咄嗟に外すことが出来るか。


 ランナーを出さないということは、ものすごく有利だ。

 極端な話、ツーストライクまでは暴投しても構わない。

 スライダーを曲げすぎて、相手の意識をそちらに引く。

 それからストレートで内角を攻める。


 甲子園がかかっているのだ。

 戦力ではこちらが上だと、はっきり分かっている。

 だが見えない力が、両チームの均衡を生んでいる。

(それでも俺が勝つ)

 俺たちがではない。ここで俺と言ってしまうあたり、優也はまさにエースらしいエースだ。


 10個目の三振を奪って、六回の表も終わる。 

 この裏の攻撃には、優也の打順も回ってくる。

(俺が決める)

 なんでもかんでも自分で決めるというのは、あるいは危険なのかもしれない。

 だがそれが微妙なバランスとなって、今の優也の状態を作り出している。




 勝負となるかもしれない、六回の裏。

 先頭打者は三番の正志である。

 いくらなんでもここは、一点を取らないとまずいな、と考える北村だ。

 徹底してマークされているし、一打席目はいきなり敬遠だったとは言え、正志のバットに快音が聞こえないのは、チームの状態としてはよくない。


 ピッチャーはまた交代して、正志とは初対決の選手となる。

 正志一人を封じるために、どれだけの策を考えていたのか。

 鶴橋の執念と言うか、自在の選手起用はすさまじい。

 そしてこれだけコロコロと代えられながらも、選手たちも集中力を保っている。


 初球から投げてきたのは、内角のボールであった。

 見逃せばボール球だったのだろうが、正志は打てると判断。

 振りぬいたがレフト方向のポールの向こうに飛んでいった。

(まだまだ未熟)

 体の開きが早かった。

 そうでなければスタンドに入っていたのだ。


 上総総合のピッチャーは、ボール球になってもあそこまで飛ばすのか、と戦慄する。

 もう少し真ん中に寄っていれば、それで終わりであった。

 ベンチからのサインが出るが、本気かよ、と言いたくなる。

 だが鶴橋を信じて、自分たちはここまで勝ち進んできたのだ。


 二球目も内角であった。

 少し低めのこれを、またも正志は打ってしまった。

 ただこの打球は強い当たりでもなく、普通にファールグラウンドに飛ぶ。

 それでもその打球の速さは、サードを恐れさせるものであったが。


 向こうの狙い通りか偶然かはともかく、二球で追い込まれてしまった。

 次はおそらく、外で勝負してくるだろう。

(あるいは三球連続で内)

 コントロールがしっかりとしているなら、それもありうる。


 ツーストライクまで追い込めば、そこからは決まっていた。

 ゆっくりと足を上げて、全力でボールを投げる。

(甘い!)

 内角のつもりが、やや中に入ってしまったか。

 打てると判断した正志はスイングを開始するが、そこからボールは変化する。

 懐に飛び込んでくるシュート。

 あるいはツーシームだったのか。


 バットの根元で打った球は、それでも外野までは飛んだ。

 しかしレフトが数歩後退し、そこでキャッチ。

 結局は内角球三つでアウトになってしまった。

 そしてこれは全て、見逃せばボール球であった。

(相手を勝手に甘く見ているとは思いたくないな)

 ベンチに戻る正志だが、北村は苦笑いをしている。




 内角攻めを何度もしてくるなど、正志のようなスラッガーには本来危険すぎる。

 それも正志は単なる長距離砲ではなく、アベレージも残せる器用さを持っている。

(欲張ったかな)

 北村としては正志がそんな人間ではないと思っているが、やはり気が逸っていたとは思う。

 ここまで試合が動かなければ、自分の力でどにかしたいと考えるのが、チームの主砲の役割だ。


 だが正志は足もあるのだ。そこから出塁し、攻めて行っても良かった。

「焦ってたか」

「すみません」

「まあこの打順なら、後ろに任せても良かったな」

 野球はチームプレイだが、個人技が物を言うこともある。

 個人のプレイの集合以外で点を取れるのは、確かにホームランだけだったのだ。


 ただまだ試合が終わったわけではないし、それに正志のバッティングが無駄であったわけでもない。

 今日の打順に北村は、ある程度の意志を込めている。

 優也と川岸を入れ替えた打順。

 それはこういう時に、役に立ってくれるのだ。


 バッターボックスに入る川岸に、狙っていけとのサイン。

 強打者の正志をしとめた後は、どうしても気が緩む。

 ここでボール球から入るなら、それはまだ冷静な証だ。

 しかし果たして向こうのバッテリーは、ベンチで冷静な鶴橋の意思を、ちゃんと確認出来ているのか。


 バッターボックスで川岸は狙う。

(低め、来い)

 フライボール革命とはまた別に、川岸は手足が長いため、普通に大きなスイングをするようになっていた。

 本来なら長打になりにくい外角低目でも、川岸は長打に出来る。

 そして北村はなんとなく、このピッチャーは右打者の内角を攻めるのは上手くても、左打者に対しては弱いのではと判断した。

(投手交代しないのか)

 してきたとしたらまた、話は変わっていたのだが。


 長打を避けるために低め。

 これは今でも、全世界で共通している。

 だがバッターの中には遠心力を上手く使って、外角低目を一番遠くに飛ばせる者もいるのだ。

 それ以上に純粋にミートが重要なだけで。


 川岸への第一球は、低めに甘く外れたボールであった。

 見逃せばボール球。それは先ほどの正志と同じ。

 だが川岸が違うのは、ボール球でもそれを打つ気であったことだ。


 スイングの始動。そして掬い上げるように打つ。

 高く上がったボールは、マリスタの気まぐれな風に翻弄されることもなく、スタンドに入った。

 四番の一発が、試合の流れを動かした。




 失点を一点に抑えた点で、上総総合は誉められてもいい。

 七回の表、点が入ったことで、試合が動くかもしれない。

 そう思った北村は、優也の様子を注意深く見守る。


 実のところ、この一点差はかなり危険だ。

 優也はここまで、パーフェクトピッチを続けてしまっている。

 ここから一人でもランナーが出れば、そこから崩れて逆転という展開もありうる。

 それが高校野球というものだからだ。


 パーフェクトを意識しないでおこうという、守備陣の空気が分かる。

 だから北村はあえて言った。

「パーフェクトなんて普通、一生に一度出来るかどうかなんだ。やったら一生自慢出来るぞ」

 その言葉に優也は、自然な笑みを浮かべた。


 ここで緊張しているようなら、危険であったかもしれない。

 だが優也はどうやってか、上手く折り合いをつけてメンタルを平静に保っている。

 残りの三イニング。ヒットを打たれるまでならいい。

 それで勝って、甲子園に行ける。

(ここからが厳しいんだろうなあ)

 だが白富東は、後攻を選択している。

 おそらくはこれが、精神的な余裕につながっているのだ。


 遠かった場所が、もうすぐそこへ。

 千葉県の高校野球の夏が、もうすぐ終わる。



×××


 ※ 本日群雄伝投下しています。

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