第185話 梅雨が明けて夏が来た

 県内で名の知れた好打者などでも、高校で野球を終わらせてしまう人間は少なくない。

 別にプロなどは目指していなくて、大学で野球をやる気もなくて、ただ甲子園には出たい。

 そういった高校球児の大半の夢が破れる季節が、今年もやってきた。

「言い方ぁ!」

 亭主の頭をハリセンで殴る、北村百合子さんであった。


 北村は最後の夏のベンチ入りメンバーを選ぶというのは、本当に大変なことなのだな、と思う。

 この夏を最後と思って野球をしてきた選手たちから、20人を選ぶのだ。

 ましてセンバツまではベンチに入っていて、夏に一年生に背番号を取られるのは、どういう気分だろう。

 自分の高校時代、そういう意味では平和だったな、と思う北村である。


 30人ほどの三年生から、ベンチに入るのは10数人。

 二年生からはスタメンはピッチャーも兼ねる中臣だけだが、あちこちを入れ替えてもいい。

 実際のところ高校野球は、私立の強豪が本気を出したとき以外は、12人ぐらいしかメンバーを使わないことが多いのだ。

 北村は特に、選手は出来るだけ使うようにしている。

 アメリカのアマチュア野球であると、また世界的なアマチュア野球であると、そもそも勝利至上主義ではない。

 ベンチメンバーは試合の中でほとんどどこかで出番があるのが普通で、日本の選手起用の方がむしろ歪なのだ。


 甲子園というまさに勝利至上主義の果てに行き着く先。

 ただ北村としては、高校生の段階で、非情な勝利と敗北を経験するのは悪いことではないと思う。

 全力でやって、それでも勝てなくて、だがまた立ち上がる。

 もっとも現代の教育においては、成功体験こそが大切だと教える向きが多いが。


 北村は、自分では鍛えられることも耐えられるため、どちらも分かる。

 厳しくやりすぎて野球を辞めてしまうなら、それは本末転倒だと思うからだ。

 今の白富東は、本当に効率よくやって退部者もまず出ないようにしている。

 三年間続けて、最後に甲子園を経験する。

 グラウンドに出るのが無理なら、せめて応援スタンドに。

(俺の最後の夏も、決勝まで行ったから盛り上がったよなあ)

 甲子園に行けなかったことは、全く残念には思っていない。

 だが友人たちやその他、多くの人たちの期待に応えられなかったのは、まあ残念かなと今なら思う。

 三年間のうち、本気でやったのはジンたちが春から練習に混じってからのわずかな間であったが。


 去年は優也の負傷もあって、最後の夏に甲子園を経験させてやれなかった。

 もちろん日本全国、47都道府県49校だけしか甲子園には出られないのは分かっている。

 それに客観的に見て、甲子園という舞台が歪だとも分かる。

 プロに行く気など全くなく、甲子園に行けたらそこで壊れてもいいと思っている選手が、どれだけ多かったことか。


 実際のところ肩や肘が壊れると、ちょっとした運動でも痛みを感じるようになる。

 そして年齢を重ねてからだと、さらにその後遺症が大きく出てしまうことがあるのだ。

 北村はそれを許容しないため、練習で限界まで鍛えるということはやらない。

 ただ限界をどこまで見極めるかは、監督としての役割だと思っている。




 ベンチメンバーが発表されて、悲喜こもごもという結果になった。

 スタメンぐらいは多少のベンチとの入れ替えはあっても、一気にスタンド送りになることはない。

 それは全て、最低限の怪我はしないように、と考える北村の方針によるものだ。

 去年の夏の優也の故障は、いい戒めとなっている。

 無理をしてもそれは、チームのためにはならないという。


 試合中の思わぬ接触プレイなどがあれば、それは仕方のないことだ。

 だがそれとは別の、疲労などによって集中力が落ちていたり、オーバーワークでの不注意の怪我は、あってはならないことだ。

 一年生の大半は、体作り以前の身体操作の意識。

 自分の体がどういうタイプで、どう動かせば効率的かを、しっかりと知らなければいけない。


 上級生がたどった道を、また一年生もたどっていく。 

 効率を考えると仕方のないことだが、ほとんどの一年生は、これまでそんな高度な練習をしてきていない。

 そこまでリソースを割くほど、指導者には時間も情熱も知識もないし、設備なども少ないのだ。

 だが白富東は、進学校らしく考えて野球をする。

 三年生までに鍛えれば、どれぐらいのものになるか。

 そこで調べて残念なことに、高校生の間にはピークが来ないと分かってしまう者もいる。


 高校野球はそんな、まだこれから先があるという未成年のものであるのに、興行的には最大のものであるのだ。

 アメリカでも大学スポーツはかなり盛んであったりするが、高校生のスポーツでこんなことをするなど、とても考えられない。

 だいたい甲子園の取材をするアメリカ人は、これを虐待だと捉えるらしい。

 そう思われるのも仕方がないが、甲子園は単に技術だけではなく、その過酷さを乗り越えることも含めて甲子園なのだろうと北村は今は思う。

 だがそれなら球数制限など入れるなよ、というのが言いたいことではあるのだが。




 今年の千葉県大会の日程は、16日間にて行われる。

 そしてそのうちの二日は、休養日に当てられる予定だ。

 ただ雨などが降れば、終盤の苦しい試合で、連戦ということは考えられる。


 白富東は当然一回戦はシードで、そして初戦の二回戦からマリスタを使う。

 なんだか忖度を感じるきもするが、勝ち上がって全てをマリスタで行うという組み合わせでもない。

 準決勝で勇名館、決勝でトーチバと当たるのが、妥当なところだろうか。

 もっとも高校野球は、どんな事故が起こるか分からないので、そこは注意が必要だが。


 大会期間中は、終盤にならないと夏休みにならない。

 幸いにも初戦は土曜日に行われるが、それ以外は平日の試合も多い。

 応戦しに来る学校関係者やOBのことも考えると、そう簡単には負けられないと思う。

「センバツ優勝してるから、色々と変な期待かけてくるところもあるだろうけどな」

 北村はのんきにそんなことを言う。


 関東大会でも優勝したし、県大会ぐらいは勝って当然。

「そんな有象無象のプレッシャーから、自滅することが多いんだよなあ」

 変な脅しをかける北村だが、それは今からプレッシャーに慣れておけということでもある。


 ともあれ、準備が本当に整ったかどうかはともかく、いよいよその時がやってきた。

 夏の大会が始まる。甲子園へと続く道だ。

 今年はつまづくなよ、と北村は内心で必死に祈っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る