第184話 ビジョン

 本格的にプロになることを、もう考えなくてはいけない。

 経済的に困窮したことのない優也であるが、将来を全く考えてこなかったわけではない。

 プロに進むというのは、漠然とではあるが意識していた。

 しかし最後の夏を迎えるにあたり、北村と個人ミーティングを行う。

「こんな相談に乗れるのは、俺ぐらいだろうからな」

 監督としてではなく、教師としての進路指導である。


 優也の母はある意味、北村の知る限りでも最も過保護な親だ。

 息子の夢を知り、それが難しいのも理解して、それで失敗したとしても、どうにか生きていけるぐらいにはする。

 そんなことを考えて、言葉にはしなくても実際には大きく応援している。

 北村としてはそれを知ってはいるが、もちろん優也には伝えていない。

 退路があると、甘えが生じる。

 プロの世界というのは、野球バカでないと通用しないと思うのだ。

 ごく少数の例外はいるが。


 優也の担任と話し合って、一応学校側としては、野球で大学進学した方がいいのでは、という話で進めている。

 それは正志に対しても同じことだ。

 学校からの指定校推薦という方法で、行ける大学はそれなりにある。そもそもこの二人なら、普通に特待生で入れる大学は多いだろう。

 だが北村は、正志はともかく優也は、大学野球には馴染めないだろうと思っている。


 直史と樋口が破壊した早稲谷は、かなりの例外であるのだ。

 今もなお大学野球は、古い体質を持っている。

 むしろ高校野球の方が、現代に適応してバージョンアップしている。

 大学野球はリーグ戦で、六大や東都は普通に神宮で公式戦をする。

 だが高校野球は地方大会を勝ち進まなければ、甲子園には進めないからだ。

 そして甲子園まで進んでも、そこから頂点を目指していくことになる。


 大学野球の価値など、甲子園には到底及ばない。

 だから極端な話、強さはそこそこでもいい。

 早稲谷の場合は直史たちが完全に体制を破壊したため、かなり進歩的にはなっているらしい。

 ただあそこが軍隊の延長だとは、北村は今でも思っている。

 それも、おままごとの軍隊だ。

 勝つために必要のないことでも、伝統だと慣例だので、存在し続ける聖域。

 むしろ純粋にプロフェッショナルなプロ野球か、あるいは社会人として当たり前の実業団の方が、優也は絶対に合っている。


 大学を経由するというのは、まだ肉体が成長しきっていない例を別にすると、そのメリットは最終学歴が大卒になることだ。

 これが案外バカにならないのだが、今の大学はバカばかり輩出しているので、北村としても正直お勧めは出来ない。

 実業団の社会人野球にしても、確かに希望する以外の球団から指名されたら、回避の選択としては有効だろう。

 だが優也には、希望している球団などはないのか。

「お前はプロ志望でいいんだよな? たぶん大学野球に進んだら問題起こして退部するだろうから、はっきり言ってお勧めしない」

「信用ねえな」

「お前を信用してないんじゃなくて、大学野球を信用してないんだよ」

 野球を上手くなるため以外の、無駄なことが多すぎるのが大学野球だ。

 完全にそれを無視していたのは、直史と樋口のバッテリーぐらいだろう。


「それで、だ。まずプロの球団で、ここには行きたくないとかはあるか?」

「別にないけど……さっさとチャンスをくれるところがいいかな」

「そこで間違ってる。最低一年は体作りをしないと、プロでは通用しないか、通用してもすぐに壊れる」

 北村はプロに行ったことはないが、プロにいった選手は多く知っている。

 そして現在の白富東においては、そのままプロに行くのは問題があることも分かっている。

「特にお前はプロに入って即戦力でそれなりに通用するだろうから、いきなり壊される可能性が高い」

 ピッチャーに比べて野手は、一年目から活躍する者は少ない。

 なので正志については、実はそれほど心配はしていない。

「今の白富東の練習メニューだとな、甲子園で優勝するまでのスタミナはあっても、プロで一年無事に投げるだけの耐久力は、備わらないはずなんだ」

「なんだそりゃ」

 優也の疑問も分かる。


 高校野球も大学野球も、今の日本のアマチュア野球は、体力の増進に比重が行き過ぎている。

 昨今はフィジカル重視の方針を多くの学校が採っているが、それでもまだ体力に偏りすぎなのだ。

 もちろん体力があれば、それに任せて練習量を増やすことが出来る。

 莫大な体力をつけて、練習量をがんがん増やし、それによってフィジカルも技術も鍛える。

 分かりやすい鍛え方だ。


 白富東はそれを行っていない。

 単純に野球にそこまでの時間を割けないからだ。

 もっとも時間比で考えれば、相当に効率は良い。

 純粋に競技だけに使う体力なら、充分なのだ。

「プロともなれば年間143試合。先発ピッチャータイプだとは思うけど、意外とお前は負けん気が強いからリリーフも向いてると思う。単純に試合をするだけでなく、練習と移動、これに使うだけの体力はまだ足りてないはずなんだ」

 もちろん北村もプロの生活を詳しく知っているわけではないが、後輩のプロでの活躍を見ていると、ある程度は想像がつく。

「野手なんかだと大卒レベルでも、シーズンの後半に調子を落とすのはいるしな」

 ピッチャーはまた、ちょっと事情は違うが。

「高卒ってのは本来、まだ骨の成長と固まるのが終わってないはずなんだ。身近なとこだと……大京レックスの吉村なんかは、一年目から故障してただろ? だから一年目に試しはしても、無理に戦力化する球団は避けた方がいい」

「具体的には?」

「今はピッチャーが足りてるけど、三年以内に入れ替えが起こりそうなところかな。ただ二軍の状況まで考えると、そこも微妙になる」

 北村はそれでも、ある程度の目星はつけている。

「まずタイタンズは外国人補強とFAで取ってくるから、避けた方がいいな。金銭的な待遇とかはいいんだろうけど、お前には合わないと思う。パは福岡以外はお勧めしない」

「なんで?」

「高卒でも普通に使いまわすとこが多い。もちろんそれはチャンスでもあるけど、さっき言ったとおり一年目は二軍メインで投げた方がいい」

「福岡って外国人取ってね?」

「足りないときはな。最近はリリーフとかを短い期間取ることが多いし」


 色々と考えると、北海道と東北も悪くはないのだ。

 新しい球団や育成力を考えると、この二つも悪くない。

 もっとも北海道はやはり、若手のうちからかなり使っていくイメージがある。

 優也は一度それなりに大きな故障をしている。

 これをスカウトがどう評価するかは、かなり微妙なところである。


 セのチームに絞ってみると、中京がいいのではと思えてくる。

 先発の枚数がいまいちであるし、最近は投手陣が安定してきた。

 それと育成力なら、昔から広島であろう。ただこの数年は、コーチ陣の変遷もあってか、あまりいいとは言えないが。

 あとは将来的なFA流出を考えるなら、大阪と大京もいいかもしれない。

 神奈川は微妙なところで、打線がどれぐらい伸びてくるかで、ピッチャーの成績に影響してくる。


 ただ北村は、選手の評価システムも変わってくるのではないか、と思っている。

 近年のピッチャーは、勝ち星があまり伸びなくても、年俸は維持か伸びている場合が多い。

 クオリティスタートや防御率、WHIPでの評価が主流になりつつあるからだ。

「まあ、なんだかんだ言っても、どの球団か選ぶんじゃなくて、選ばれるわけだしな」

「それなあ。FAまでの期間とか、もっと短くなんないもんかな」

「大切なのは指名される前のインタビューとかで、どういうビジョンを示せるかだな。それとあとは、競合する選手の評価を球団がどう下すか」

 単純にほしいかどうかなら、どの球団もほしいと言うだろう。

 だが優先順位をどうするかで、それは決まってくる。

「あとは一年目から金を使ってでも、民間のトレーナーにも付いておいた方がいいらしいぞ。ただ今言ったことは全部、球団のGMだの監督だのが代わったら、一気に変わるしなあ」

 最後のところは、自分で自分に責任を持ち、本当に信頼できる人間を見極められるかだ。

「レックスなんかは佐竹をFAで放出する可能性が高いし、悪くはないと思うぞ。あとライガースも真田は出て行くんじゃないかな」

 このあたりの北村の目算は、頭文字がSを持つ二人の選手の去就によって、一気に変わったりするのだが。




 優也に比べれば正志は、あまり注文をつけることはない。

 基本はライトを守っているが、外野ならレフトも守れるし、ファーストやサードも守れなくはない。

 打撃にしても打率と長打のバランスがよく、選球眼がいい。

 白富東の中ではともかく、プロに行けば無理に自分で決める必要はない。

 最近の流行からすると、三番かあるいは二番を任されるのではないだろうか。


「それでも心配するとしたら、怪我とヘボコーチだな」

 怪我は誰でも心配なものだ。しかしこれもトレーナーがしっかり見ていれば、正志は無茶をするタイプではない。

 小川や毒島は、その能力だけを見れば、プロ入り即戦力クラスで、それと対決してきた正志も、かなり一年目から活躍できる可能性は高い。

 あとはヘボコーチに無理にフォームを変えられたりすることだが、そもそも正志は基本からしっかりとしたスタイルなので、あまり手を入れる部分がないのだ。

「というわけで、逆に聞きたいことはあるか?」

 そう問われた正志は、しばらく考えた。

「正直なところ……プロに入るのに、監督は賛成ですか?」

「正直なところ……俺は少しは誘われていたが、入らなかった。だが賛成も反対もしない。けれど成功するか失敗するかを考えるなら、失敗する可能性の方が高いと答える」

 才能や本人の技術は問題ではない。

 そもそもプロ野球選手というのは、生涯の生活手段としても、難しいものなのだ。

 一軍に一年いるなら、最低年俸の1600万は必ず手に入る。

 サラリーマンと比べれば、圧倒的な高給だろう。

 だが問題はそれが、短い年月に集中していることだ。

 そして引退すれば、また違った収入を考えなくてはいけない。

 平均で28歳で、怪我をすればさらに早まる。

 正志の能力を考えれば、平均よりは成功の確率は高いだろう。

 それでも保険をかけるなら、大学にでも行っておいた方がいい。


 ただ今の世の中、そもそも日本の社会全体が、職の安定性が損なわれている。

 野球というスポーツからつながっている人の伝手は多い。

 また正志の残してきた実績は、ちゃんと通用するものだ。

「甲子園の通算ホームラン数七本、充分な実績ではある」

 そしてこの先、プロの世界に進むとしたら。

「お前は才能とかセンスよりも、基礎を繰り返して力量を高めてきたタイプだからな。将来的に指導者になったりするのもいいと思う」

 なかなかそういった道も少ないだろうが、北村の大学時代の伝手、さらにその先の伝手まで考えれば、一人が生活していくぐらいの職にはありつけるだろう。


 なんだかんだと、ドラフトの上位指名は、それだけで契約金も高くなるし、与えられる機会も多い。

 それにこんな人生を送れる人間は、限られた者であるのだ。

「俺は結婚するために安定した職業を望んだわけだし、そういうのがないならプロを目指してもいいかな」

 なんだかんだと打算はあっても、正志も野球バカではあるのだ。




 北村が思う、プロに行く素質があるのは、あとは潮もそうであった。

 だが潮には、向こうがあえてそう言わない限りは、勧めようとは思わなかった。

 潮は確かにキャッチャーとしての能力は高いものがあるが、プロ向きのメンタルではない。

 何かに執着して極めようというものはあるが、プロの世界にまで向かうような、そういうものではないと思ったのだ。

 何よりキャッチャーは、ポジション争いが壮絶すぎる。


 とりあえず、気になる主戦力はこの三人。

 北村は個人ミーティングなども行って、夏の前の最後の時間を過ごしていくのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る