第142話 現代戦

 後に国立は北村に尋ねる。

 いったいいつから、ああいったことを考えていたのかと。

 それに対して北村は答えた。

「野球以外のところなら、けっこう考えられてますでしょ」

 セイバー・メトリクスを生み出したのは、統計の学者である。

 全くの部外者の出したデータによる分析も、結果的に正しいことが分かるのだ。


 北村の考えていることは、全ポジションの適性再確認である。

 それには時間が必要であり、新チームの誕生してから秋までの間に、出来ることではない。

 今の白富東は、確かに強いことは強い。

 だが優也と二番手ピッチャー中臣の間には格差があり、正志と優也の間でさえ、長打力はかなりの差がある。

 そんな中で考えるのが、とにかく多数のピッチャーを用意すること。

「マンガではピッチャーばかり集めてチームを作るのもあったんですよね」

 日本においては基本的に、一番身体能力の高い者はピッチャーをやる。

 例外的に肩だけは弱い選手などというのもいたりするが。

 だが今のアメリカ、MLBでは花形はショートと言われる。

 投手の分業化が合理化しすぎて、数試合に一度、限られた球数しか投げないピッチャーからはロマンが薄れたからだろうか。


 とりあえず選手たちは潮を中心に、一年生もベンチに入らない選手も集まって、色々と作戦を立てていた。

 ちなみに最初に北村が固定した条件は、先発は優也以外のピッチャーを使うこと。

 そして優也は80球までか、北村が危険と見たらすぐに降ろすということである。


 これは実質のところ、優也の役割をクローザーに固定するようなものだ。

 しかし試合に勝てば翌日は決勝なので、優也に疲労を残さないという考えは当然だ。


 実のところ潮は、はっきりとは言語化までは出来ないが、北村が何を求めているのかぼんやりと把握している。

 そのために自分の意見の補強のために呼んだのが、一年生サウスポーの浅井である。

「桐野側から見た場合、先発は誰が来ると想像するかな?」

「俺か中臣だろ」

「だよね」

 優也の意見は間違いない。

 球数制限と、先発禁止がなければ、優也が投げるのが正しいのだ。

 そして優也が投げないなら、決め球も持っている中臣がいい。


 ただ問題もある。

「桐野のバッター、スタメン七人が左打者なんだよね」

 事実である。機動力を重視する桐野は基本的に、左バッターを多くしている。

 一塁にまで一歩近いというのは、最後の最後でわずかな差となる可能性もあるのだ。


 桐野の基本的戦術を破るためには、スライド系の変化がある左ピッチャーが望ましい。

 浅井のカーブはある程度斜めに入ってくるので、確かに左バッターには効果的なのかもしれない。

「というわけで、先発は浅井ね」

 一応ここまでにも公式戦には出ているが、この大舞台の先発というのは荷が重い浅井であった。




 一方の桐野の方は、これは参ったな、というのが感想である。

 優也でもなく中臣でもなく、ほとんど公式戦では投げていないピッチャー。

 しかも左のピッチャーが先発で投げてくるのだ。

 左には左という基本的な不利を、桐野は克服できていない。

 そもそも左には左という価値観自体を、疑っているところはある。

 確かにプロの世界でも、真田などは左殺しであるが、あれは絶妙な切れ味のスライダーを持っているからこそだ。

 しかしこのピッチャーも、左のカーブは大きく弧を描いてくる。


 変化量の大きいカーブが、背中側から落ちてくる。

 これとストレートをアウトローに組み立てられれば、どうしても腰が引けてしまうのだ。

 カーブなどあるいは、変化が少なければ、リリースが悪ければ、当たってしまうかもしれない。

「当てればいいじゃん」

 そう平然と言うのは潮だ。かなり過激に思考が流れている。


 高校野球には、危険球退場はない。

 そもそも浅井のカーブであれば、逃げられないほどの球速にはならない。

 だからこそ逆に、避ける余地があるため、なかなか腰が引けてしまうのを防げないのだろうが。


 とりあえず、初回を三人でしのいだ浅井。

 ベンチに戻って駆けるそのひょろっとした長身の背中を、守備陣が叩いていった。




 桐野のチームには、本当にエースがいない。

 もちろん一番投球頻度の高いピッチャーはいるが、それが全てを任せられるというものでもない。

 基本的に打者が一巡すれば、そこでピッチャーは代わる。

 調子がいいとか悪いとかではなく、同じピッチャーと戦わせないのだ。

 それがピッチャー五人体制という極端な分業制になっている。


 白富東も昔は、そういった分業制であったころがあった。

 今もエースは優也であるが、この関東大会の準決勝で先発が浅井である。

 一年生をピッチャーにすることには、相手の打線を抑えようという意味以外の副産物も産んでいる。

 即ち少しでも相手から多く点を取り、楽に投げさせてやろうという打線の奮起だ。


 先制して逃げ切る。

 白富東の作戦は、おおよそその一言に尽きる。

 ワンナウト二塁のスコアリングポジションから、三番の正志へ回ってくる。

 一番と二番で散々に、ボール球を投げさせた。


 ただしここで桐野も、あっさりと正志は敬遠してくる。

 エースがいないチームの、ここが弱点だ。

 主砲に対したとき、ピンチの場面で勝負することが出来ない。

 そして白富東が、三番に正志、四番に優也を置いていることで、さほど危険度の変わらないバッターと対戦するしかない。

 まさか一回の裏から、ここで逃げるわけにもいかない。

 

 外角中心で勝負して、歩かせても仕方がないという桐野のバッテリー。

 ほどほどのピッチャーで継投をしていくというシステムは、確かに普通の高校野球レベルなら、充分に通用するのだろう。

 しかし正志のような全国でも屈指のバッターや、センスだけなら正志にも匹敵する優也を相手にしては、充分な能力とは言えない。

 やはり一人は、中心となるピッチャーが必要なのだ。

 結局桐野のやっていることは、対処療法に近いものである。

 人がいないから、分散して支えよう。

 その意図で最初からピッチャーにエースを作らなければ、相手を気迫で抑え込めるピッチャーがいなくなる。


(チーム作りの失敗なのかなあ)

 反面教師として、北村は桐野のチーム事情を考える。

 ただ正志と優也ほどの打力を持つ選手が、二人いるというチームは、全国区の中でも甲子園常連の強豪しかいないだろう。

(これに対する回答まで持ってたら、よりこちらも嬉しいんだけど)

 そう思っていた北村の視線の先で、優也は甘く入ってきたボールを打っていた。


 ボール先行から、甘く入る球が来るだろう。

 優也もそういった考えで、好球必打のつもりでいたのだ。

 打てそうな球を打ちに行くよりもさらに、失投を打ちにいく。

 そんな思考で打ったボールは、フェンスを直撃する長打となった。


 まずは二点入り、優也も二塁へ。

 四番に入っている優也の打撃で、二点を先制した白富東である。




「勝ってもいいのかな?」

 国立は思わず、こっそりと北村に尋ねてしまう。

「選手たちの考えで、こちらの縛りの範囲内で勝ってしまうなら、それはもう諦めて決勝を戦いましょう」

 北村の返答も奮っていた。


 桐野はピッチャーを代えないまま、なんとか初回は二点で抑える。

 しかし初打席であっても、正志や優也ならば、このレベルのピッチャーは打てるのだ。

 あとは大変なのは、桐野がそれ以上の攻撃で、白富東から点を取っていくこと。

 だが、根本的にこの両者は、白富東の方が有利であったのだろう。


 国立が鍛えてくれている内野守備は、内野安打を少なくする。

 そして浅井のカーブが、想像以上に効果的だ。

 セーフティバントなどを仕掛けられたりもするが、それはファーストとサードが基本的に処理する。

 流れが完全に、白富東の方にある。

「こういう状態だと、監督は置物でいいですよね」

 気楽そうに言う北村に、国立は複雑そうな表情を向けた。

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