第110話 偽装エース
もう、ずいぶんと昔の話である。
国立がテレビで見ていた甲子園で、140km/h台後半のストレートで、相手をどんどんと三振に取っていくピッチャー。
それに対するチームの、間違いない背番号1は、130km/h程度のストレートしか投げていなかった。
ただしカーブとスライダーを投げて、それでこちらも三振を奪っていた。
魅了されたのは、ストレートで三振を奪う速球派。
しかし試合に勝ったのは、カーブとストレートで試合を組み立てるもう一人のピッチャーだった。
その年の、甲子園の優勝投手である。
現在の優也の投げられる球は、肩を固定している関係上、変化球も少なくなっている。
スプリットと、チェンジアップ。この二種類に加えて、カットボールのように変化するスライダーとなっている。
甲子園で最大の武器となったのは、鋭く大きく曲がるスライダーであった。
球速もダウンしたため、優也の投げるスライダーは、肩も固定されているため、曲がりにくくなっている。
だがわずかに曲げる意識を持てば、スライダーがカットのように変化することとなった。
三ヶ月以上の離脱と言われて、国立は甲子園行きさえ難しくなったと思った。
だが優也個人の今後のことを考えれば、おそらくこの挫折はプラスになる。
もちろん怪我が完治することを前提に考えてだ。
あの、キャッチボールの延長のような、ボールのキレに特化した練習。
球速が年々増していく高校野球であるが、実際のところストレートに必要なのは、球速ではなく球質である。
その球質が何かといえば、キレとか伸びというもので、これは回転数と回転軸で説明がつけられる。
速いボールは判断する時間が短いため、打つのは当然難しい。
だがキレのあるストレートも、タイミングが違うために打つのは難しいのだ。
そして逆に、キレや伸びが全くないボールも、むしろ打ちにくかったりする。
夏の千葉県大会、初戦のマウンドには優也が登った。
故障の噂は散々に広まっていたから、これに驚く偵察班は多かった。
だが故障をしたはずの優也は、この試合で四番のピッチャーに入っている。
白富東は最強のバッターを三番に置く傾向が強いが、それでも四番に打てないバッターを置くわけではない。
後攻の白富東では、優也が対戦相手に対して、軽く投げていく。
軽くとしか見えないピッチングで、実際に横から見ていれば、それほど速いとは思えない。
だがバッターボックスに立てば、体感速度は相当に速い。
「あれで故障中?」
「投げてるんだからリハビリはしてるんだろうけど」
「全国優勝投手だもんなあ」
エースでなくても甲子園を経験している三年ピッチャーが二人いる。
そんなものを打って、勝てるとは思っていない。
だが、三年生にとっては、これが最後の試合になる者もいる。
そう考えればむしろ、将来はプロに行きそうなピッチャーに当たることは、幸運であると思えるかもしれない。
優也のボールを振りにいって、タイミングが合わずに空振り。
アウトローにコントロールされたストレートは、クセのない真っ直ぐ。
ストライクゾーンの球であるが、とても打てるとは思えなかった。
スピードが出ていないのに、タイミングの合わない空振りが取れている。
国立のピッチャー経験からすると、このレベルのピッチャーの感覚は分からないものがある。
力感がないところからの、ゆっくりしたフォームで、最後に肘から先がしなる。
「なんだかナオの一年の頃に似てるような」
北村の言葉に、そうなのか、と納得する国立である。
直史を実戦で知ったのは、二年生になってからだ。国立が三里に赴任したことによる。
一年生の夏、参考ながらパーフェクトピッチングをして、期待の新星と呼ばれたことは、後に新聞の切抜きで知った。
センバツで既に有名になっていたので、どれほどのピッチャーかとは思ったものだ。
140km/hも出ていないのに、コントロールとコンビネーションで、ノーヒットノーランをしたのには驚いた。
実際に対戦したのは二年の夏で、その時もまだ球速は140km/hに達していなかった。
変化球は多彩であったが、それに加えてストレートがあんな感じであるのなら、県大会の決勝までいけるのも納得する。
優也はスライダーが決め球だったが、それでも本格派のパワーピッチャーだった。
しかし今はパワーの最大値が抑えられているために、コントロール重視で投げている。
そしてここまで抑えているのだから、間違いなく技巧派の才能もあるのだ。
皮肉なことに故障によって、新たな才能に目覚めたのである。
白富東は打線の方も、遠慮なく打っていく。
上位打線では得点を重ねて、下位打線ではピッチャーを削る。
容赦のないこの攻撃に、運よく一回戦を勝った公立校は、がんがんと大事なものを削られていく。
大学でも野球をやろうかなと思っていた者も、ここでそんな気持ちはなくなったろう。
三回を終わって時点で12-0となり、国立はピッチャーを交代させる。
優也はファーストに入り、正志がマウンドに立つ。
一応ストレートとカーブで組み立てられるようになったが、真ん中を狙って投げて、ゾーンに入ったらいいかという感じである。
先ほどまでのストレートより、確実に速い。
だが正志のストレートには、それなりにバットが当たった。
ただそれとカーブを組み合わせると、それなりにリリースの瞬間には分かるのに、対応はしきれない。
内野ゴロを量産して、得点には結びつかないのだ。
五回を終えた時点で、15-0で白富東の勝利。
負ければ終わりのトーナメントで、容赦なく初戦で相手を粉砕した。
他の球場でも、この日からシードの強豪校の試合が始まっていく。
トーチバ、勇名館、東雲、上総総合など。
16のシードのうちのほとんどが、初戦を突破する。
ただ中にはダークホースに足元を掬われることもある。
終わってしまえば、それで三年生の夏は終了。
高校野球は引退なのである。
優也は故障の原因は、ほんのわずかに投げていた自主練のせいではないと言われている。
高校生の肉体はまだ未完成であるから、ほんのわずかなことでこういったことは起こるのだと。
あるいは大学生になってもまだ、その肉体の成長が終わらない選手はいる。
国立にしても、大学時代にどんどんと成績を伸ばしていたことを思うと、無理をしていたのだろうな、と今さらながら思う。
千葉県大会は四回戦までは、夏休み前の期間に消化される。
ほとんどの高校球児は夏休みを迎える前に、その高校野球は終わるのだ。
準々決勝からは応援団とブラバンだけではなく、ほぼ全校生徒が応援に来る予定だ。
白富東にとって夏は、高校野球が一大イベントになっているのである。
三回戦の先発は、一年生の中臣であった。
入学してからこちら、球速もアップして、何よりコントロールが良くなっている。
部活軟式ではしょせん、顧問の指導も限界がある。
白富東のバッテリーコーチの指導によって、球速もだが何より、コントロールが良くなった。
135km/h近くのストレートを、おおよそ四隅に投げられれば、三回戦レベルのチームでは打てない。
ここでもまた、白富東は打線の援護が大きい。
五回までに12点を取って、中臣が疲れる前に、試合を終わらせた。
「あと五つか……」
クラブハウスに貼ってあるトーナメント表は、日々その勝ち進んだチームが線を伸ばしていく。
そしてその中では、注意しなければいけないのではないかという、ダークホース的なチームも見えてくる。
幸いと言うべきか、そういったチームは先に、他の強豪と対戦してくれる。
もしも大金星を上げたとしても、その試合でおおよそ全ての戦力を露呈することになる。
今年もおそらく四強であろう、トーチバ、勇名館、上総総合は勝ち残っている。
このまま勝ち進めば、準決勝でトーチバには当たる。
向こうの山からは、おそらく勇名館が上がってくるだろう。
四回戦ともなれば、シード校との対戦にもなってくる。
白富東は三年の渡辺と山口で、ここも一失点で勝ち上がる。
11-1と五回コールドは、まだまだその余裕を感じさせる。
そして次は五回戦である準々決勝。
対戦相手は私立の蕨山である。
ここで国立は、サウスポーの川岸を先発に持ってきた。
この夏、代打では出場していたが、ピッチャーとしては始めての先発の川岸である。
本当なら初戦あたりで投げさせても良かったのだが、あちらは試合があっさりと終わりすぎた。
長身のサウスポー川岸は、基本的にオーバースローで投げるのだが、そのリリースポイントや身長の高さから、打ちにくい軌道となっている。
ただそれでも、ここまでのレベルになれば、二巡目からは普通に打ってくる。
山口と渡辺を投げさせて、継投で10-3の七回コールド勝ち。
ここまでは国立も予測できていた。
大会期間中も、裕也の肩については、経過観察が行われている。
ただ一刻も早く全力で投げたいと思っていた優也が、最近では少し変わってきている。
出力は今のままで、それよりもコントロールと、リリースの瞬間の感覚を味わって投げている。
準決勝のトーチバ戦には、優也を先発させると、国立は決めている。
そしてそこからの展開次第だが、山口と渡辺の継投で、どうにか勝ってしまいたい。
ある程度の打撃戦を、覚悟する必要があるだろう。
ただその打撃戦を制する自信は、もちろんある。
これまでずっと基礎体力を増すことを考えてきた三年は、最後の夏に向けてはバッティング練習を一番多くさせた。
誰が最後の打席になっても、後悔せずに打てるようにという考えからだ。
今年の白富東は、優也が全力で投げられないと分かった時点で、全国制覇は無理だと分かっていた。
あとは甲子園に行けるかどうか。
そして甲子園に行けたとして、燃え尽きることが出来るかどうか。
準々決勝までをホームランを含んだ打撃力で、勝ち進んできた白富東。
ここまで全ての試合がコールドであるが、トーチバも全ての試合がコールドで勝ってきている。
チーム力としては、ほぼ互角なのではないか。
そう思いながら、国立は最後の分析を行う。
国立にとっては、白富東では最後の夏。
三年生の気持ちが、今までになくはっきりと分かる夏であった。
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