第111話 球質向上
ピッチャーのストレートに必要なのは、単純なスピードではない。
分かっていたつもりで、分かっていなかった。
毒島のストレートはクセがあって、手元で細かく動く。
小川のストレートはホップ成分が高く、まるで浮かび上がるような軌道を描く。
阿部はただひたすら速く、それでいてキレがある。
自分には、自分のストレートには、そういったものはない。
150km/hオーバーのストレートであるが、それでもストレートだけで勝負するのは、甲子園の最高レベルでは難しい。
緩急と、そしてスライダー。
入学時から磨いてきたそれで、全国制覇を果たした。
だからこれからもそれを磨き続ければ、レベルアップしていけるのだと思った。
あるいは、やろうとしていた縦スラなどの、新たな変化球。
しかし故障で、キャッチボール程度しか出来なくなって、ようやく気づく。
ストレートのギアをチェンジすれば、まだまだそれだけで高みに昇れると。
最も基本となる、ストレートという変化球。
これこそが、磨くべきものだったのだ。
プロや社会人など、スカウトが注目していたのは、この日の第一試合を戦った勇名館の選手である。
サウスポーの榎木、強打の四番郷田、そして郷田が敬遠されればそれを帰すキャッチャーの田無。
この三人はプロ級の素質だとされていて、実際に目をつけている球団は多い。
試合が終わってその評価は変わらない。
だが次の試合もやはり、見るべき試合ではあった。
白富東で注目されているのは、全国制覇投手である優也と、既に甲子園で五本も放り込んでいる正志。
そして多くのピッチャーをリードして、バッティングでも結果を残している潮の三人だ。
ただしこの三人は二年生なので、本格的に獲得に乗り出すのは、来年の話である。
もっとも既に今の時点から、監督などには話を通しておくのだが。
白富東は公立なので、監督がもうすぐ入れ替わる。
その時に改めて、話の筋は通さなければいけない。
慎重に考えなければけないのは、優也の故障のことである。
この大会、初戦から登場はしているが、ピッチング内容は不思議なものだ。
130km/hそこそこのストレートで、三振を多く奪っている。
この準決勝でも先発して、球速ではなく球質で抑えている。
トーチバの150km/hのマシンを打っている選手たちが、ことごとく詰まらせて凡退している。
球速が速いわけではないのは、傍から見れば明らかである。
だが打席に立ってみると、とにかくタイミングが早いのだ。
フォーム自体はむしろ、ゆっくりとしたものである。
足をゆっくり上げて、体全体が浮かび上がり、そこから急速に沈んでくる。
肩が大きく開くことはなく、かといって肘の抜き方もおかしいものではなく、クラッチ式の投げ方。
そこから投げられたストレートを、どうしても打てない。
コントロールされたストレートが、低めに決まっていく。
わずかに混ぜられたこれは、カットボールか。
スイングしても差し込まれて、カットボールは凡打となり、なかなかヒットが出ない。
守備の方こそよく訓練されていて、確実に内野ゴロをアウトにしていく。
まずは一回の表は、0で始まってしまったトーチバである。
トーチバのエースは球速こそ140km/hがMAXであるが、それをしっかりと低めに集めている。
変化球もカーブとスライダーにチェンジアップと、そこそこそろってはいる。
だがこのスペックだけを並べると、今の優也よりは上のはずなのだ。
しかし一回の先頭打者から粘られて、苛立ったところへ三番の正志がバッターボックスに入る。
センバツでも三本放り込んだ、白富東の主砲。
いまだに高校野球では、ほとんどのチームが四番に最強の打者を置いている。
MLBなどは二番にこそ置いているし、プロでも三番に強打者を置くことは珍しくなくなっているが、高校野球には打てるバッターがそうそうそろうものではない。
また一発勝負のトーナメントにおいては、四番最強でずっとやってきたチームが、三番最強に適したメソッドを持っているはずもない。
三番最強でずっと実績を残している白富東がいても、なかなか全ては変わらないものである。
もっとも全国レベルでの強豪でも、それなりに三番が最強のチームは増えているのだが。
実際のところ、まだボールをスタンドに放り込む力の少ない高校野球においては、四番に最強打者を置く、つないで打っていくことが間違いとも言えない。
ただしピッチャーの力もアップしている現代では、一発の重要性も上がっているのだ。
MLBやNPBでやっていることが、高校野球でも通用するのか。
それは選手層が違うし、指導の仕方も違うので、なかなか結論付けることは出来ない。
確かなのは白富東がそれを運用し、そして結果を出しているということだけだ。
正直なところ、初回で上手くツーアウトを取って、あと一人というところでホームランバッターが出てくるのは、確かに苦しいものである。
一人でもランナーが出ていれば、さらに厳しいものがある。
これを歩かせてしまっても、次の四番が打てないバッターなわけではない。
四番でエースを地で行っている優也が、ネクストバッターサークルからじっくりとピッチャーを観察する。
一回の表は、とりあえず抑えられた優也である。
テーピングでガチガチに固められた肩は、バッティングには影響はない。
最後に左手一本になって、打っていけばいいのだ。
これが左打ちだったら、困ったことになっていた。
昨今は右投左打というのが多いが、普通に右で打っていてよかったと思う優也である。
マウンド上で圧力を受けている相手のピッチャーのことは、少し気の毒だな、と思う。
ここまで敬遠されてあまり打数がないのだが、それでも三本のホームランを打っているのが正志なのだ。
打率も五割を超えていて、ツーアウトからでも歩かせて、全くおかしくないバッターである。
ただしそんな舐めたマネをしてくれたら、次の優也が全力でスタンドにぶち込むが。
トーチバは名門の意地として、一回からランナーのない場面で、正志を敬遠するなどということはなかった。
ただし攻めるコースは、アウトローの出し入れ。
そしてそこに投げるであろうことは、国立も正志も分かっている。
ほんの少し甘めに入ったボールを、無理に引っ張ることなくライト方向へ。
マリスタのスタンドへ、初回の先制ソロホームランを叩き込んだのであった。
既にこのレベルであれば、狙ったホームランを打つことが出来る。
正志のバッティングは、プロのスカウトの目にも強力な印象を与えた。
少しの失投も見逃さず、容赦なくスタンドに放り込む。
四番としてのバッティングを、三番がやっていたわけだ。
続いて打つかと意気揚々とバッターボックスに入った優也は、これまた積極的に打っていく。
だが力んでしまった打球は、ボテボテのサードゴロ。
これをなんとか足で、内野安打にしたのであった。
「ピッチングはともかく、バッティングはどうなの?」
「いいですよ。去年の秋も放り込んでますし、センバツの打率も四割ぐらいあったかな」
「ピッチャーとしてダメでも、バッターとして通用する可能性はあるのか」
こんな会話がスカウトの間ではされているのだが、打席には五番の川岸が立っている。
今日は渡辺と山口が完全にピッチャー専念なので、スタメンのファーストに起用された。
スタメンで出場するのは、これが三試合目。
ただしまだ結果が出ていない。
トーチバとしては、ヒットが打てていないというデータしか持っていない。
だが白富東の五番に、準決勝で座っているのだ。
これをたいしたバッターでないと判断するのは危険である。
慎重に低めを突いていた、その三球目。
川岸は完全なアッパースイングで、そのボールを捉えた。
ただしそれはスタンドにまで届くことはなく、ライトが後退してキャッチ。
飛距離は出せるが、まだそれほど怖くはないと、判断するトーチバであった。
トーチバの四番ともなれば、プロから注目されているバッターが普通にいる。
この夏を前に、高校通算で40本塁打とかいうスラッガーだ。
しかしホームランなどというものは、どういう状況で誰から打ったかが重要なものだ。
大介のように、高校通算170本などとまで突出すれば、話は別であるが。
正志が先制のホームランを打ってくれたおかげで、優也はこの四番と勝負することが出来る。
潮はこの左打者に対して、内角攻めを行った。
サウスポーの左打者に対する内角攻めは、確かに有効だとも言われている。
しかし同時に、ピッチャーとしてはコントロールが難しいのだ。
優也はデッドボールの危険も承知の上で、内角を強気で攻める。
むしろ潮がこんなに強気なのに、わくわくする感じであるのだが。
四番を内角攻めで打ち取ったなら、この試合はここから楽になれる。
そう思ったからこその内角ストレート攻めであったが、いくらなんでも130km/h程度のボールを、前に飛ばすことが出来ない。
詰まったボールがファールにはなるが、これでもう三球も内角攻めを行っている。
そして追い込んだ四球目、わずかに変化するカットボール。
ファースト川岸が処理して、ワンナウト。
四番の第一打席を、見事に封じたバッテリーであった。
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